12 / 16

12 損気

 真は前言撤回したい感情と戦っていた。 『その気がなくても十分抱けるレベル』の人間を、その気のある人間が抱きたくないわけがない。  バイトの休みに妃と単車で街を流し、高台の団地で夜景を眺めてから自宅アパートに妃をまねいた。  和室のテーブルに買い込んだ軽食や飲み物を並べていると、妃は不安げな表情でキスをしてもよいかとたずねてくる。  座ったまま妃の腕を引き、抱き寄せてくちづけると、エスカレートしてしまった。  唇をこじ開けるようにまじわりを深くすると妃は一瞬こたえたが、身体を遠慮がちに引きはがす。  そしてつらそうな、悲しそうな表情を見せた。 「ちょっとストップ。これ以上したら、したくなる」  くちづけは許されたものの、肌を見せる行為はまだ抵抗があるらしい。 「そうか」  過去の傷と真を(けが)したくないという感情は別物、不安が去っても妃は真を近づけなかった。  安心させるように小さく笑うと、妃は目を丸くしてから、視線をそらしてあらぬ場所を見た。  失敗した、『残念だ』という気持ちが顔に出てしまった。  情けなく手のひらでひきつった笑顔をおおうと、妃はそのままの顔でつぶやく。 「真は俺としたいとか、思ってくれてるの?」 「ん、そうだな」  正直に答えると、今度はこちらを見上げ目を細めて、はにかんだ。 「ごめん、でも、そう思ってもらえるの、嬉しい」  キスの話をする直前まで、妃は調子のよい男子大学生だった。  先日までの恥じらう姿には、まだわずかにこざかしさがあったはず。  しかし先ほど唐突にあらわれた控えめな妃は、先日口づけた際と同様声も容姿も振る舞いも温かいような澄んでいるような。  真を信頼し切り虚勢を張らず、だからといってたよりきる感じでもなく、大きな淡い色の瞳が美しく見えて、とにかく抱きしめてまじわりたいと思った。  まじわるのは唇だけで終わってしまったが、しかたがない、無理はできない。  その後は普通の妃に戻り、飲み食いしながらスマートフォンで動画を鑑賞したのち、やや窮屈ではあったがダブルサイズのベッドでともに普通に就寝した。  翌日は休日だったが真は午前からバイト、妃は早々に帰っていった。  普通の男子大学生の前なら、自分も普通でいることができる。  妃の後ろめたさが薄れるまで、理性をたもつことができるだろうか。  妃は再度真をボランティアサークルへ勧誘した。  悩んだあげく、真は正式に参加を決めた。  二度の臨時参加は明らかに有意義なものだった。  昨年参加していたサークルはほぼ自校他校の大学関係者のみとの関わり、ボランティアサークルは社会に向けて非常に開けている。  貴重な時間を使ってほぼ遊んでいるだけだった前サークルとはまったく違う。  青沼に対して攻撃的にならなかった功績を妃に提示され、自主的に参加する活動は選べばよいのだと手引きされた。  大学生なのだから想いを寄せる人間とサークル活動をしたいと考えてもバチは当たらないだろうという、多少後ろ暗い動機もある。  隔週一度の図書館ボランティア、さすがに子どもの前で険悪になることはないだろうと、真は妃とともに参加した。  先日同様子どもたちの遊びを手伝っていると、しばらくして無事、翔麻と母親があらわれた。  妃の行動は無駄ではなかったと安心する。  受付で名前を書き終えた母親は、運営メンバーとなにやらしばらく会話をしていた。  翔麻を置いてここを離れないよう注意を受けていたのだろう。  しかしなんとなく想像していたとおり、母親は絨毯に腰を落としスマートフォンを眺めたまま動かず、翔麻はなにをすればよいものかと立ちつくしている。  妃に意見を求めようと周囲を見渡すと、複数の子どもにからまれ相手をしながら紙芝居の準備をしている、忙しそうだ。  母親に遊んでやれとは思うのだがどうこう言う知識も立場もないように感じ、真は前回のように翔麻に玩具を運ぶ。  磁石で連結する車を目の前でつなげてやると、翔麻は無言でまねをして、さらに連結させてやろうと車を探しに歩き回りはじめた。  子どものことなど理解していない自分が少し関わるだけで、翔麻は周囲の動きとなじむ。 「あのさ、翔麻くんと一緒に遊んでやってよ。好きそうなおもちゃ探してやるだけでいいからさ」  たまらず母親にそう頼むと、母親はあからさまに不機嫌な顔をした。 「あたし子どもじゃないし、こういうおもちゃで遊ぶの無理なんだよね」  真は、妙に納得してしまった。  たしかに自分も玩具を手渡したとして、その後はどうすればよいのかわかっていない。  なら、ほかの大人はなぜ子どもと楽しそうに遊んでいるのか。  周囲を見ればすぐわかる、玩具ではなく子どもが喜んで遊ぶ姿を見ることが楽しいのだ。  翔麻が楽しそうに遊んだなら自分も楽しくなるだろうと、言いたかったが、やめた。  楽しくないと返ってきたならもうなにも言えない、翔麻にも聞かせたくない。  手遊びや読み聞かせの最中、真は親一人に子ども複数人の参加者の補佐などを頼まれている。  周囲に目を配りながら親子に混ざって運営メンバーの話を聞いていると、ふと自然な流れで翔麻がひざに乗ってきた。  そこまで親密にされるおぼえもなく、どう対応すればよいものかわからない。  絵本の読み聞かせが始まりほかの親子同様翔麻を母親のかたわらにすわらせたが、何度帰らせてもひざの上に戻ってくる。  母親は気を悪くする様子もなく『翔麻ウケる』としきりに笑い、しまいには帰りがけに『翔麻がなついてるから今からお茶しようよ』と、非常に常識外れなことを言ってきた。  図書館外の喫煙所、翔麻とその母親に戸惑い疲れたことを愚痴ると、妃が真をねぎらう。 「翔麻が楽しんでたみたいだからって、まかせちゃってごめんね。ホントは親と一緒に楽しんでほしいんだけど」  翔麻が楽しむことで妃が安心するのならそれはそれでよいのだが、やはり母親に問題がある。  次があるのならできるだけ母親と遊ばせようと心に留めると、妃は周囲を見回してから意外な点を指摘した。 「あの母親に誘われるなんて、真ってどうしようもないヤツに好かれるね。俺とかさ」  嫉妬的な言葉ではなかったのであろう、だがその言葉に心当たりがあった。  春に別れた女も別れる以前からよその男と寝て、同時期に自分とも寝るというどうしようもない人間だった。  なのに怒りの矛先が向かったのは寝とった男側、どうしようもない人間のために殴り合いをして処分を受けるなど割りに合わない。  馬鹿げたことをしている、なにかが間違っているように思える。 「真、初見では無愛想で無気力なヤツだと思ったけど、強くて激しいのに優しいじゃん。桜祭りで俺のかわりにキレたとき、無条件で守ってくれて絶対負けないよーな感じして。俺みたいな弱いヤツに、利用されやすいのかも知れないよ」  自分の本質は初見の印象の歩合が大きい気がする。  そして『無条件で守る』ということはたしかに、過去の女にも妃に対してもおこなっていること。  馬鹿げているが、妃に対しては違うと、思う。 「妃は弱くない。強いから俺も好きになったんだし」  言うと妃は切なげに微笑んだ。  妃は自分に優しいと言ったが妃も優しい顔をする。  妃は自分を利用してなどいないし、自分もそんなつもりはない。  みずからの言動にズレのようなものを感じるが、なにを修正するべきか微塵も思いつかなかった。

ともだちにシェアしよう!