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13 抑圧
大学で喫煙所に足を運ぶと、二日に一度は賢一と遭遇する。
今日もその姿が目に入ったが、真は見なかったことにして電子煙草をセットした。
こちらからは話しかけない、いつも向こうから近づいてきて『喧嘩しないか』とか『妃と寝たか』と冷笑しながら聞いてくる。
先日問いに対して『寝ることは寝た』と答えると鼻で笑われたため『キスもした』とつけ加えると、半眼で『喧嘩売ってんだよな?』と詰め寄られた。
妃の話を信じていなかったわけではないが、妃が誰にもキスをさせなかったというのは本当のようだ。
なぜこの男と恋愛話をしなければならないのかと不可解な気分ではあるが、自分を支援しているような雰囲気があるため無視する気にはなれない。
むしろ同性と懇意にしていることをなんの気兼ねもなく話せる相手は貴重であるように思えるし、なによりこの男がどういうわけかさほど嫌いではない。
一人煙草をふかしていると、賢一より先に別方向から声がかかった。
「奈良場」
声のした方向に顔を向けたが、すぐに顔をそらした。
女を寝取って下らない言い訳をしてきた、同学科の相原。
その後ろから走って追ってくる、陽織 。
「奈良場、最近も陽織と会ってるよな?」
いら立ち混じりに言葉をぶつけてくる相原、関わらなければもうどうでもよい相手だったのに、また自分を不快にさせる。
真が答える前に、追いついてきた陽織が同様にいら立ちながら相原に反論する。
「会ってないって言ってるよね? なんで私の話聞かないのかなぁ?」
ショートカットにライダースジャケットの似合う、気の強い女だった。
男にだらしないようには見えなかったが、また問題を起こしているらしい。
四カ月前、ほかの男に惚れたと知った名を告げられた。
くだらないことをされたというのに、陽織に対してはどこか沈痛な思いが胸をかすめる。
復縁したいという気持ちはまったく湧かないがいまだに惚れた弱味の効力があるのか、自分の目の届かない場所で達者で過ごしていて欲しかった。
だが同じ学科ではそうもいかない、関わらないがどうしても顔を合わせてしまう。
「全然会ってない、そんなヒマないから」
おかしなうたがいをかけられてもかなわない、事実を述べたが。
「なにかばってんだよ」
「かばってるんじゃないでしょ、ホントのことだし!」
「じゃあ誰と会ってるんだよ?」
「ちゃんと話聞いてる? 誰とも会ってないから!」
二人は目の前で分別もなく痴話喧嘩をはじめる。
相原が疑い深いのか陽織がまた別の男のところへ行ったのか。
そもそもこの二人はそういった疑いに誰に文句を言えたものでもないだろう。
あきれながら無視するように煙草を吸っていたが、再び自分に矛先が向いた。
「奈良場くんはそんなしょうもないことグチグチ言ったりしなかったけどね?」
「なに、またそっちに乗り換えんの? 最悪」
陽織の言葉に憤慨して、相原は言い捨てると喫煙所を去っていった。
残された陽織に対してさすがに不憫だとは思えず、真は無言で喫煙を続ける。
目が合ったが無表情にひるんだのか、陽織もなにも言わずにその場を離れた。
煙草を捨てると、存在をすっかり忘れていた賢一がいつものように微笑を浮かべて寄ってくる。
「なに、今の」
「さぁ」
短く答えて流したが、賢一は新たな煙草に火をつけながら不穏なことを言い出した。
「あの女、俺が引き取ってやろうか?」
なぜ賢一が陽織に手を出そうなどと考えるのか。
賢一の目を見て、思い当たる。
陽織が真とヨリを戻そうとしていると判断したから。
賢一はおそらく妃にとって想い人に肌を見せる行為が難題であると知っていて、真に対して寝たのかどうかとしつこく聞いてくる。
妃のしがらみが解けるとこを望んでいる。
「妃の邪魔になるから手助けするとか、そういうやつ?」
「はは、俺そんなできた人間じゃねーし。テキトーな女と無理矢理ヤるより、男なら誰でもいいヤツ落としてヤったほうが合法的だし、誰も損しねーだろ」
あいかわらず物騒なことを言う。
誰も損をしない気もするが、陽織が軽く扱われていることが気にかかった。
「誰でもいいって、思っているかどうか」
「俺が口説いて落ちたら、問題ないな」
たしかに問題はない、しかし。
そこまで思って、真は自分に嫌気がさした。
あの陽織を気にかけるなど、自分がひどく損をしてはいないか。
違う、個人を心配しているのではなく、倫理的に賢一の思惑が許されないと思うだけ。
賢一はさらに真をたたみかける。
「今から口説いて落ちるなら、引き取るの妃でもいいんだよ」
ここで妃の名をあげるなど、自分を煽 っているのだとしか思えない。
賢一に妃と復縁する気はないとなぜか確信できる、しかし煽るためなら際どいことをやってのけそうでもある。
「俺は妃を裸にできるし、イかせるのも余裕だからな。まだ奈良場には勝ってんじゃねーか?」
二人に濃密な関係があったことを知りながら今の状況になっているから、次いだ煽りに平静を失うことはなかった。
むしろ自分は本当に負けていると、妃と自分の間に遠慮があるのは自分に難があるからではないかと、別のなにかを揺さぶられる。
「どっちを俺によこす?」
「誠意がないならやめてくれ」
「はぁ? ここ誠意なくてもいいトコだから」
確かに、陽織は異性に深いつながりを求めてはいない可能性がある。
妃は誠意があれば身体は許さない、身体を許すならそれは情を持たない相手。
だが。
妃がほかへいくことは、単純に『いやだ』。
くちづけを重要視していたため貞操観念があるものだと思いこんでいたが、確認したわけではない。
遊びと称して自己を保 つために愛してもいない人間と寝てきた妃が、自分と同じもののとらえかたをしているとは限らない。
自分が無理ならほかの人間と寝てもよいと言いはしたが、それは妃の状況を第一に配慮したかったから。
妃が賢一の元に行ったとしてそれは妃の気持ちが自分から離れたことにはならないが、自分の感情論でいうなら、いやだ。
「妃は口説くなって言ったら、口説かないのか?」
消極的な提案だ、妃を自分につなぎとめるまでの時間稼ぎ。
「そーいうのは聞けねーな。どっちかを俺にまわせ」
「普通にどっちもやめろ」
妃を得るために陽織を差し出すなどできない。
「聞けねーっつっただろ。気分乗ったらどっちももらうし」
賢一は吸殻入れに煙草を落とすと、冷ややかな視線を真に向けてから喫煙所を出ていった。
賢一を強く静止することができなかった。
陽織に関してはきっと、もうどうでもいい気分なのだ。
賢一は一応『口説く』という意思の疎通の段階を踏むらしい、無理にでなければ止める必要もない。
妃に関しては、自分の妃に対する気持ちの重さにかかっている気がした。
他人の自制心をあてにする状況ではない。
自分の意思を妃が理解してくれたなら、賢一に口説かれてついていくようなことはしないはず。
賢一の遊びを自分の都合で止めはしない。
妃の貞操観念は受け入れてきたつもりだ。
だから自分も、自分の意思を白状する。
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