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 面会謝絶はただの嘘ではなかったのだと悟った。  覚悟も無く此処に訪れたことを後悔した。  永遠に続くかと思われたその贖罪の時間が終わったのは柚葉が現れたからだ。 「――ッ、晴輝くん!」  この悲惨な状況を見て事態を察したらしい柚葉は手に持っていたブランドの鞄さえも床に投げ捨て、一目散に晴輝の元へ駆け寄った。  パニックに陥る晴輝を助けようと肩を抱いていた俺の手が、瞬きほどの僅かな時間で剥がされていたことに驚き眼を瞠る。  咄嗟に出た柚葉の腕力は女性のそれとは思えないほど力強いものだった。母が子を守る時に発揮されるような、秘めたる力のように思えた。 「晴輝くん、私の声を聞いて……怖くないよ、大丈夫だからね」  紅一点だからと媚びることも無く、男子メンバーに負けまいとキーボードを叩いてメロディーを奏でる柚葉らしい、芯の通った声色だった。  それでいて言葉の節々が丸みを帯びて見えるのは女性の持つ包容力だろう。  柚葉の微笑みは穏やかで、それでいて冷静そのもので、パニックを起こした晴輝を前に何も出来なかった俺の背中には無力の二文字が重りとなって圧をかける。  助けられなかった。彼女には出来て、俺には出来なかった。  その事実だけが脳を溶かし、視界を霞ませる。  現に俺の声掛けには身体を震わせるばっかりだった晴輝は柚葉の声を聞き緩慢に顔を上げた。死人のように蒼白い顔で柚葉の姿を確認する目の前の晴輝には、聡明だと言われていた男の面影は無い。二回り以上小さい筈の柚葉が大きく見える程に、変わっていた。 「私のこと分かる?」 「…………ゆず、は」  彼女が背中を撫でる手を止めずに投げかけた問いへの返答は、蚊が鳴くほど小さく力無いものだった。それでも喜色に頬を緩ませた柚葉はその表情を崩さぬまま、未だ虚ろな晴輝から一秒たりとも目線を外さずにナースコールを押した。 「駿佑、出てって」  晴輝にかける言葉に対して俺に向けられた彼女の声は低く、その静けさに隠すようにして明確な怒りが顔を覗かせていた。柚葉の登場により落ち着きを取り戻しつつある晴輝を見て、自分がどれ程無力かを思い知る。  それでも異常な事態を前に未だ動くことの出来ない俺に見兼ねた柚葉が早くと急かす。  ごめんと謝罪をして部屋を後にする以外の選択肢は残されていなかった。  どうしてこうなってしまったのか見当もつかない。悪意は無かったのだ。  再会を果たした友人に声をかけたら拒絶された。まさか伸ばした手を弾かれるなんて、否定の言葉を吐かれるなんて夢にも思っていなかった。  助けたい、その一心だった。  けれど俺が助けたいと手を伸ばすほどに晴輝は怯え、溢れ出る涙を止めたいと願うほど瞳は恐怖を色濃く浮かび上がらせた。  晴輝がパニックになるようなことを、俺は無意識にしてしまったのだろうか。  病室の扉を背に、握り締めた拳が小刻みに震えた。衝動的に走り出す。  息を弾ませ、唇を噛み締め、脚を当ても無く先へ先へ。看護師さんの制止の声が聞こえた気がするが足を止めることは出来なかった。  この病院が何階立てなのかなんて知る由もなく階段を駆け上がる。ただひたすらに駆け上がる。普段は脳からの命令を忠実に熟す両脚が、止まっていられないと叫ぶのだ。  辿り着いたその場所の固く閉ざされた扉に手を掛けると、音を立てて舞い込んだ風が髪先を擽った。視界いっぱいに広がった光景に息を呑む。  そこは天国のようだった。  俺は天国に来てしまったんだ。  丁寧に手入れされた多彩な花に、真新しい清潔なベンチ。俺の身体は吸い込まれるようにそこへ向かった。  心地の良い風が頬を撫で上げる。  どのくらいの間そこで黄昏ていただろうか。意識が身体に戻ったのは声をかけられたからだ。 「こんなところにいたの、駿佑」  まさか屋上まで来てたとはね、と続けた柚葉に彷徨わせていた視線を転じる。 「何泣いてんのよ」  泣いている? 何を言っているんだと頬を撫でるとそこは湿っていた。  ああ、本当だ。道理で風が冷たく感じる。  一体いつから流れていたのだろうか。このベンチに座った時か、ひたすらに階段を駆け上がっている時か、あるいは晴輝の涙を見た時には既にもう。  どちらにせよ自分が泣いている理由が分からず黙りを決め込むと、柚葉は笑いながら俺の隣に腰掛けた。    すぅ、と息を吸った柚葉が他聞を憚った声で語り出す。 「――監禁されていたの」 「…………かんき、ん?」 「晴輝くんがいなくなった日、打ち合わせがあったでしょ? あの帰りに男三人に拉致されて、それからずっと……あ、もうそいつらは捕まったらしいんだけどね。警察に殴り込んで私がぶっ飛ばしたいくらいよ」  言葉が出なかった。何を紡ぐべきなのか、わからなかった。  女性らしい柚葉の荒々しい言葉遣いと憤慨を節々に感じさせる口調が、それを事実だと証明していた。頬を濡らし続けていた涙が音もなくピタリと止まり、先程まで穏やかだった風すらも俺を嘲笑う。 「私だけが会えてた理由がわかった?晴輝くん男の人がダメなの。駿佑が来ることは伝えてあったんだけど……アイツらと重なっちゃったみたいで。これをきっかけに男の人に慣れてもらおうと思ったんだけど……あの感じじゃまだダメね」 「それ、みんなは……」 「知らない。何でも一人で背負い込もうとする晴輝くんが、皆じゃなくて女の私にどんな思いでこのこと打ち明けたのか、分かる?」  不器用に口角を持ち上げた柚葉の眼が赤いことに今更気がつく。  悲惨な現実に脳がぐらりと揺れた。柚葉の口から語られる話を理解することで精一杯で気持ちが追いつかない。本来は怒りや悲しみに向けられるべき感情のベクトルが壊れた指針のように居場所を失う。  柚葉だけが知らされた事実。許された彼女と、許されなかった俺達。俺と彼女の違いなんて、少し考えれば分かることなのに。 「……他のメンバーには言わないでほしい。本当は、駿佑にだって知られたくなかったと思う。でもだからこそ晴輝くんが……晴輝くんの心が元に戻る手助けを、してあげてほしい。今このことを知ってる男の人は駿佑しかいないから……」  柚葉の右眼から音も無く光の筋が伝った。 「女の私が出来ることには、限界がある」  それは悔し涙だったのだろうか。晴輝が見つかってから重すぎるその責任を一人で背負っていた柚葉は、握り締めた拳で自分の太股を一度打った。

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