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 蛍光灯の味気ない光は瞼を閉じても存在を主張し、俺の意識を眠りの世界に落としてはくれなかった。  電気を消せば済む話だが、鉛のように重くなってしまった腕は脳から伝わるその命令にすら背いて動くことをしない。否、大本となる脳が機能していないと言える。  病院から逃げるように帰宅した俺は自分の部屋のベットに寝転がって天井と睨めっこをしていた。思考を支配しているのは先程まで一緒にいた晴輝の存在。口をついて出るのは意味を失った嘆きばかり。  許容範囲を超えた現実を目の前にして整理のつかなくなった頭は偏差値が下がり、どうしようと繰り返す。  その独り言は誰の耳に届くことも無く住み慣れた部屋の壁に吸い込まれて消えいった。  病室で見た晴輝の切なげな表情が脳裏に浮かぶ。 「あかんやろ……流石に」  この感情の名を俺は知っている。初めて経験したのは小学生の時だったか。  自分の脳が乗っ取られたように晴輝の存在に支配され、会いたいと会うのが怖いを繰り返す。もう一度会ったら作り上げた自分という存在が崩れ落ちてしまいそうだからだ。  視線が天井を彷徨い続けて数十分。  此処に入居してからもう数年が経過しているのに、睨みつけた白い天井がぷつぷつと黒い点を交えていることを今更知った。  注意深く観察するとその柄にも規則性がある。あそこは点が少なくて、こっちは密集していて、また少ない場所があって……。  そんな現実逃避も直ぐ晴輝に塗り替えられていく。自分の掌を蛍光灯の光に掲げて溜息をついた。  晴輝を抱きしめたときの感触が鮮明に蘇る。息遣いが、体温が、心臓の音が。 「……小さくなっとったな」  筋肉が落ちたことにより以前より男を感じさせるその角張った肩と背中の感触が忘れられない。  数センチ俺より背が高いだけのくせに自慢げだった晴輝は腕の中にすっぽりと収まってしまう程に小さくなっていたけれど、やはり男で、女の子みたいに柔らかくはなくて。  そんなことを考えていると早鐘を打ち始める心臓。思い出すのはやはり晴輝の顔。  布団の上に投げ飛ばしたスマートフォンが震えた。億劫だと訴える手を何とか動かし、指先にまで伝わる振動の正体を掴んで画面を覗き込む。  案の定電話のマークと共に表示されていたのは悩みの種である彼の名前だった。  素直な喜びの陰から顔を覗かたのは、会話を通して脳を支配するこの感情が膨れ上がる恐怖心。  ひょっとすると勘違いかもしれない。距離を置くことで以前のような友人に戻れるかもしれない。確かに俺はそれを望んでいた。  男にこんな感情、絶対に有り得ない。間違いに決まっている。そう自分に言い聞かせる。 「ごめん……」  俺は晴輝からの電話を取ることが出来なかった。  手の中にあるスマートフォンを祈るように額に宛てがい、届くはずのない小さな謝罪を何度も繰り返す。掌の震えが止まっても手脚が銅像にでもなってしまったようにその体勢を崩すことが出来なかった。  晴輝は男で。当然だが俺も男で。  再会を果たしたあの日、弱くなってしまった彼を護りたいと強く思った。俺が助け出すんだと確かに誓った。  それは飽くまでバンドメンバーとして、友人として抱く感情で、恋愛感情なんて一切無い筈だったのに……。  確実に今日、愛おしいと思ってしまった。あまつさえ小さく震える晴輝を自分のものにしたいとすら思った。 「あんな顔、反則やろ」  十年来の付き合いなのに、ああいった表情を見せる晴輝を知らなかった。  濡れた瞳で見つめられて練習と称して身体に触れられたら、誰でも好きになってしまうに違いない。  常に向日葵のような笑顔を絶やさなかった晴輝のギャップに少し心臓が驚いただけ。だから晴輝が悪いんだ、と自分勝手な責任転嫁をする。  そう決着を付けてる時点で、既に落ちてしまっているなんて気が付きもせずに。

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