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 面会時間に合わせて病院に向かった俺はタクシーの運転手に代金を投げつけるように支払い、門を抜けた。  耐え難い焦燥に駆り立てられながら院内を駆け抜ける。看護師さんの制止の声が聞こえた。  そう言えば前にもこんなことがあったっけ。あの時は差し伸べた手を弾かれて、訳も分からず絶望して涙を流した。  でも今は違う。晴輝は俺が手を差し伸べるのを待っているのだ。 「――晴輝ッ!」  大袈裟な音を立てて病室の扉が開かれた。 ベッドで蹲っている……のでは無く腰掛けていた晴輝は突然の訪問に驚き俺にこう言った。 「うおっ! ……びっっくりしたぁ。そんなに慌ててどうした?」 「…………はっ?」  晴輝は普段通りに本を読んでいた。  その姿を見た俺は心底驚いたが、晴輝もまた同じように俺を見て驚いていた。  以前幼児退行が起きた時にそのことを尋ねてみたが、どうやら記憶に残っていないらしい。晴輝の場合、幼児退行時に経験した出来事は元に戻ると無くなってしまう。  落胆から肩を落とすと晴輝に心配の声をかけられる。想像とは立場が逆転していた。これでは俺の方が夢でも見てたようだ。  しかし帽子と鞄を定位置となった棚の上に起いてベッドに向かった時、俺はあることに気がついた。  こちらを見上げる晴輝の両目が赤く腫れてていたのだ。  それは今朝のことが夢や妄想ではないことを証明していた。 「……俺、晴輝のためならなんでもするで」 「どうした急に」  緊張のせいか、カラカラに乾いた喉から思ったように言葉が出ていかない。  それでも一度決意したことだ。例え晴輝が覚えていなくても、ここまで来たら引き下がることは出来ない。 「病院にいるの、ほんまは嫌なんちゃう? 一人でおるの怖いんやろ?」  僅かに晴輝の肩が揺れたのを俺は見逃さなかった。  大きな双眸が更に大きく見開かれ、黒い瞳が左右にゆらゆらと揺らめく。下唇を噛んで俺の視線から逃れるように逸らされた眼から、図星だと確信を得る。  例え幼児退行していても晴輝は晴輝だ。今朝の言葉は別の人物が言った偽りの産物なんかでは無い。  俺と目を合わせようとせずに自分の拳を見つめ続ける晴輝に優しく務めて声をかけると、様子を伺うように顔を上げた晴輝と視線が絡んだ。  白い肌に囲われた桃色の唇から、消え入りそうな声がぽつりぽつりとこぼれ落ちる。 「……夜が怖い。暗い中一人でいると、あの時のことを思い出しちゃって……もうここにいたくない」  眉間に皺を寄せて苦痛に歪んだ表情を浮かべた晴輝がやけに弱々しく見えた。  擽られる庇護欲。  それと同時に醜い独占欲も顔を擡げた。  心臓が早鐘を打ち始める。まただ。けれど今だけは……。  目を瞑って浅く深呼吸をした。  どうか俺に勇気をくださいと、こんな時だけ都合の良く神に願う。  心音が落ち着きを取り戻し、荒れていた波が一本の線に戻るのを感じ取った。 「じゃあ、俺のとこ来る?」

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