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 それからの数日は瞬く間に過ぎ去った。予定通りメンバーを乗せた俺の車は、まるで葬儀場と火葬場を繋ぐバスのように陰湿な空気を含んでおり、普段の楽しげな雰囲気は全く見られない。楽しげと比喩した空気も晴輝が休止してからは味わえていないが。  晴輝はと言うと、この数週間で大きく成長した。一人で出掛けられるようになり、先日はスタジオにも顔を出したらしい。  より近しい存在のメンバーとなら容易に会うことが出来るだろうと思うかもしれないが、事はそう簡単には進まない。  距離が近いからこそ今まで会えなかったのだ。 「ただいま」  普段通りにそう呟きながら扉を開ける。  晴輝がここに来る前、一人暮らしの頃から習慣として使っていたその言葉。先月まで返事は無かったが、最近は俺が帰ると嬉しそうに微笑んでおかえりと言ってくれる人がいる。  俺はその笑顔が一番好きだった。  それなのに今聞こえるのは玄関を跨ぐ皆の声だけ。俺が求めている言葉は聞こえず、部屋の奥から覗くのは青い静寂のみ。  メンバー全員がここに集まることは勿論伝えてあるため、外出したなんてことは無い筈だ。そもそも玄関には毎日見ている靴が置かれている。  得体の知れない恐怖を感じた。  根拠無く背筋が凍った。  足早にリビングに足を踏み入れて晴輝を探す。一目で全体を把握できるその部屋に彼の姿は無い。  布団の中に隠れているのではと思い寝室の扉を開けて電気を付けるがそこにも探し人は居なかった。  胸がざわざわと不可解に掻き回される。心に黒ずんだ不安が影を落とした。  リビングに入ってきた三人を押し退けて風呂場へ向かうと、不安げな声を上げた柚葉に問いかけられる。 「どうしたの駿佑?」 「…………晴輝が……おらん」 「えっ?」  言葉にしたことで強く実感させられたその事実に、ぐわりと視界が大きく揺れた。漠然とした不安が明確なものに変わっていく。  世界が上下し、白く霞み始める脳内。落ち着け、俺がしっかりしないといけないだろと言い聞かせて必死に自分を保った。  張り裂けそうなほどの音量で飛び跳ねる心臓を抑えるように胸元の服を握りしめる。  その時、柚葉の金切り声が耳を打った。  声と言うよりはほとんど絶叫に近いものだった。  ぐらぐらと回り続けていた世界がピタリと動きを止める。脱衣場を飛び出して声の聞こえた方に向かうと、心配そうに顔を覗き込む奏多と和人に囲まれて床に座り込む柚葉がいた。 「柚葉、何があったん?」  ガタガタと全身を震わせている柚葉と同じように座って尋ねる。  可愛いと言われるその顔はお化けでも見たように蒼ざめており、瞳は怯えを写しながらひたすらに一点を見つめていた。  はくはくと口を動かした柚葉の右手が緩慢に持ち上がる。 「…………っぁ、あれ……」  柚葉の人差し指が何かを指し示す。その先には見慣れたベランダがあった。  彼女が何を伝えたいのか直ぐには理解出来なかったが、立ち上がってベランダに一歩近づいた時俺は気がついた。  ベランダの窓が数センチ開いていることに。  俺が出た時は閉まっていた扉。  一体誰が……。  懸命に動き出す脳。フラッシュバックのように頭がざわめき出し、俺は息が詰まったように立ち尽くしてしまった。  それは瞬きほどの時間だっただろう。  けれど、永遠のような一瞬でもあった。  魂が身体に戻った瞬間、俺は考えるよりも早く部屋を飛び出した。弾丸のような強さでフローリングの床を蹴り、稲妻のような速さでベランダの窓を開け、人が落ちないように設置されている筈の柵に飛びつく。  どうか、どうかと願いながら地面を覗き込んだ―― 「…………ッ、はっ……はぁっ、!」  ライブの後のように額から滲み出た汗が視界の中で膨れ上がる。むくむくと広がっていく透明なそれは、限界を超えた瞬間弧を描いて地面に落ちた。  真下の駐車場は普段と何ら変わりはない。人集りも出来ていない。  想像しうる最悪の事態は免れたと吐息を洩らすと、緊張の糸が切れたことにより身体が宙に浮く感覚。柵を掴むことで身体を支え、額の汗を拭った。  しかし晴輝が見当たらないこの状況から事態は全く進展していない。  一先ず皆がいるリビングに戻ろうと振り返った時、あるものが視界に飛び込んだ。  部屋の中からは死角になるベランダの隅に、膝を抱えて座り込んでいる晴輝がいたのだ。 「…………ぉ、おかえり」 「――ッ、晴輝、お前……!」  俺に見つかった晴輝は申し訳なさそうに眉を下げ、蚊の鳴くような声でその台詞を言ってのけた。  凍えるような恐怖が彼の姿を見た瞬間熱湯をかけられ急激に溶け始める。  気がついた時には晴輝を抱きしめていた。痛いと制する声が聞こえた気がしたが、お構い無しに強く強く抱きしめた。  離さないと彼の頭を胸元に押し付け、短くなった髪の毛を撫でながらその存在を確かめるように頬ずりをする。自分を落ち着かせるためにゆっくりと息を吐いた。  本当に怖かったんだ。  それは明らかな恐怖だった。  晴輝を失うと思っただけで息も出来なくなり、そんな未来を想像しただけで心臓が止まってしまいそうだった。  耐えられない。  もう絶対に手放せないと悟った。  自分がこれほどまで彼に依存してたことを痛感する。 「こんなところで何してんねん、心配するやろ!」 「ぅ、ごめん……」 「ほんまに……ほんまに良かった」  晴輝の二の腕を握りしめた俺が声を荒らげて叱りつけると、瞳を揺らして子供のように小さくなった彼に謝罪される。  堪らなくなりもう一度抱きしめれば、されるがままになっていた晴輝の手がおずおずと背中に回った。  その瞬間、氷解した感情が堰を切って溢れ出した。  最初の一粒が零れ出すと後はもうとめどなかった。目尻から溢れた涙がボロボロと雨水のように落ちていく。

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