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「ライブお疲れ様です!」  奏多が乾杯の音頭を取る。  結果として本日のライブは大成功を収めた。それはとても喜ばしいことだ。  しかし一つだけ腑に落ちないことがある。 「……なんで俺ん家で打ち上げやっとんねん!」 「いいじゃん別に」 「まぁ、ええけど……汚さんといてな」  釘を刺すように冷たく言い放ったが、既に酒が入ってしまっている面々が場を汚さないのは無理難題だと言える。  数ヶ月ぶりのライブで心身ともに疲労したのが理由か、大人数が集う酒の席を恐れたのか、晴輝は一次会に参加せず一人で帰宅した。  そんな晴輝を想ってか、二次会はメンバーのみで俺の部屋にて行おうと誰か言い出したのだ。部屋の主の許可を取らずに。 「駿佑飲んでねえじゃんか! ほらほら、飲もうぜ」  耳の奥をツンとさせる声量を上げて缶ビールを差し出す和人の顔は既に赤い。  残念ながら俺はとてもアルコールに弱く、酒が殆ど飲めなかった。それを知りながら勧めているのだからタチが悪い。  宴会場や居酒屋ならば丁重にお断りしていたが、幸か不幸か此処は俺の部屋。トイレも直ぐ傍にあるし眠くなったらいつでも寝室に籠ることが出来る。一缶だけなら問題ないと判断した俺は差し出された缶ビールを受け取った。  アルコールが体内に回るのは早かった。宴もたけなわ、俺の部屋で盛り上がるメンバーをふわふわとした頭で見つめる。  その視界の中心に捕らえているのは紛れもなく晴輝で、皆と笑い合う姿はあの悲惨な事件を忘れさせるようだ。  向日葵のような笑顔の下に、素肌を見せまいと隠す黒い服の下に、夥しい量のトラウマが隠されているなんて一体誰が想像出来るだろう。  全て悪い夢だったのではないか、そう思うほど楽しげな姿に頬が綻ぶ。  そんな熱視線を感じ取った晴輝はニヤリと笑って俺の座るソファまで歩み寄った。  盗み見ていたことを誤魔化したくて、咄嗟に顔を背けて缶ビールに口付ける。一人で飲んで楽しんでいる自分を偽った。  自分の酒を目の前にあるテーブルに置いた晴輝が隣に腰掛けると、人間一人分の重みでソファが沈む。居心地悪いと動きたがる俺の手は、意味もなく座面の手触りを確かめていた。  脈略も何も無く晴輝が言った。 「駿佑、ありがとう」 「ありがとうって、何が?」 「色々」  チークを塗ったように目元をほんのりと桃色に染める晴輝は普段より幼く見えた。  いつの間にか生温くなってしまったお酒を照れ隠しのために無理矢理喉に通す。飲み慣れぬアルコールの影響で胃のあたりがじんわりと暖かくなるのを感じた。  居場所を失った視線は、手触りの良いものをと拘り購入した絨毯の繊維一つ一つを視認する作業で忙しい。 「なぁ……俺まだここにいていい?」  大事そうに両手で持った缶ビールを指先でペタペタと触りながら、俺の方をチラリとも見ずに晴輝は言った。  初めはその問が何を指しているのか分からなかった。この飲みの場で俺の隣にいてもいいのかと尋ねているのかと思ったが、質問を投げかけたことなんて忘れたように虚空を眺める晴輝の整った横顔を見て、漸く意味を理解した。  それ程晴輝と暮らす毎日が当然になっていたのだ。  良い大人が男二人で同居しているなんてどう考えても普通では無い。通院の頻度も下がり、仕事にも復帰し、精神的にも安定してきた晴輝と生活を共にする理由はもう無い。  それでも俺は……。 「しゃあないな、まだ面倒みたるわ」 「アッハハ、ありがとう」  それでも俺は晴輝と一緒にいたかった。  アーモンド型の目を猫のようにきゅうっと細めて無邪気に笑う晴輝に、胸が締め付けられる。  いつまで経っても素直になれない。本当はそんなことを言われて嬉しくて堪らない癖に、本音を口に出すことは出来なかった。  一緒に暮らす上で苛立つことがあるのは事実だが、それでも何故か許してしまう。惚れた弱みなんて良く言ったものだ。  痘痕も靨。恋は盲目。四百四病の外とはよく言ったものだ。  どうやら俺は厄介な恋煩いにかかってしまったようだ。 「晴輝は俺がおらなアカンからな」  本当は晴輝がいないと困るのは俺の方なのに。  照れ隠しのために素っ気ない台詞を吐く自分に対して冷笑を浮かべたが、晴輝は素直になれない俺の気持ちを全て見透かしたように控え目な笑い声を挙げる。  視界の隅で酒を煽る奏多と和人の姿が映った。俺たちを射抜く視線は柚葉のものだろう。しかしそんなことは少しも気に留める要因にはならない。  顔を赤く染めた晴輝と目が合い、釣られて自然と笑みが零れる。  俺と晴輝の間には一人分の空間が重く腰を据えていたが、意図的に作ったであろうその隙間を彼が容赦なく破壊したのは、今更の二文字で説明がつくだろう。 「俺もう、駿佑がいないとダメかもしれない」  その瞬間だけ周りのどんちゃん騒ぎがやけに遠くのものに感じた。一定のリズムを刻む時計の音すら遠ざかって行く。  眉を下げた辛そうな顔で、それでも晴輝は笑みを作ることを止めない。それは今にも泣き出してしまいそうな脆い笑顔だった。  どくんどくんと脈打つ心臓はお酒だけが原因ではないだろう。 「そこの二人、飲んでるかァ!」  その声を聞き、一気に現実に引き戻される。お酒片手に大声を上げた奏多が俺の横にどかりと座ったからだ。  三人がけのソファとは言え、長身の男が割り込んだせいで窮屈になり身を縮こませる。 「駿佑全然飲んでないんだけど!」 「何だって? 飲め飲め!」  先程までの切なげな顔は何処へやら、いつの間にか普段の表情に戻った晴輝に一缶目すら飲み終わってないことを告げ口される。  飲まされそうになっている俺を見て手を叩きながらケタケタ笑ってる姿は、全く可愛くない。

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