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 初日の撮影を終えた俺たちは女将さんに導かれ、旅館の大部屋に通される。  ホテルとは異なり和を基調とした部屋に感嘆の声が左右から上がった。  真っ先に飛び出した和人が荷物すら置かずに部屋を見渡して言った。 「温泉行こう、温泉!」 「行こうか! おっ、浴衣あるじゃん。皆で着よう」 「奏多はLLサイズ?」 「LLかな。和人はSでいいでしょ?」 「そこまで小さくねえけど?」  箪笥を開けて綺麗に畳まれている浴衣を広げる二人は修学旅行に来た男子高校生のように目を輝かせる。本来なら晴輝もあの輪に混ざっていたのだろう。  早速上裸になってLサイズの浴衣を着ている和人の口角は上がったきり降りてこない。先程まで着ていたティシャツは床に投げ捨てられている。 「晴輝と駿佑もLでしょ?」 「えー、和人がLなら俺LLだろ」 「なんだと晴輝! お前は俺を怒らせた!」  輪の外からやり取りを眺めていただけの晴輝が奏多の一言で会話に混ざった。  低身長を揶揄われて怒りを顕にした和人に追いかけられた晴輝はキャッキャと笑い声を上げている。  撮影で汗をかいたから温泉に行こうと奏多が再度提案したことにより取っ組み合いは終了し、和人は乱れた浴衣を整えて準備を始めた。棒立ちで一連の流れを見ていた俺も慌てて鞄を探る。その間も思考は晴輝で埋めつくされていた。  しかし俺のそんな危惧など不要だったのだと直ぐに思い知らされることになる。  座椅子に腰を下ろして饅頭に手を伸ばした晴輝が事も無げに言ったのだ。 「あぁ……俺生理だからパスッ!」 「フッハハ、何言ってんのお前!」  笑い声を上げる和人と奏多に対して俺は、上手いなぁと一人感心していた。温度感を変えることなく温泉に行くのを断った晴輝は、やはり聡明だ。  恐らく晴輝は今までも明るく笑いに変えながら、時には誰にも悟られることなく辛い状況を打破してきたのだろう。  そして奏多と和人も、晴輝が温泉に入ることが出来ないと気がついていたに違いない。  それでも気を使って温泉に行かないという選択肢は決して取らないのだ。そんな行動は晴輝に罪悪感を抱かせてしまう。  饅頭を頬張りながら行ってらっしゃいと手を振る晴輝に後ろ髪を引かれる思いになりながらも部屋を出る。  数ヶ月前のように隣にいることを許されていたなら、俺は迷わず部屋に残っただろう。  改めて晴輝の横に立つ権限を失ったことを、温泉で身体にまとわりつく汗を洗い流しながら実感する。  一日働いたあとのシャワーのおいしさは格別だった。  雨のように降り注ぐシャワーを白く曇った鏡に当てると、自分の裸体が現れた。  どこが虚ろげなその男と眼を合わせながら頭を洗う。  みるみるうちに頭が白い泡に包まれる。  顔も、首も、身体も、泡に侵略されてしまったように白く白く白く……  全てが白に変わった時、俺は再度熱いシャワーをかける。  男の裸体が現れた。  今度は頭からお湯をかぶる。  目の前がぐにゃりと歪んだ。  鏡に映る男の姿もゆらゆらと歪み、捉えられなくなっていく。  意識を取り戻した時には喧しい二人の声が消えていた。どうやら俺より先に洗い終わって露天風呂に向かったらしい。  タオルを腰に巻き付けて立ち上がると風呂特有の目眩に襲われた。ぐわりと視界が歪んだが、直ぐに元の世界に引き戻される。  浴室と外とを繋ぐ扉を開ければ、白い湯気の塊が音を立てて俺の陽に焼けた身体を撫で上げた。  十分に温められた身体が生温い風を受ける。今が冬で外が寒ければもっと心地良いのだろう。  手招きをした奏多に従い露天風呂に身体を沈め、ふぅと息をつくと横にいた和人に声をかけられる。 「駿佑はゲイだからいつも温泉で前隠してんの?」 「…………は?」 「ばっか、お前っ!」 「いってぇ、殴んなよ!」  奏多が和人の頭をペシリと叩くと、水飛沫が上がり水面が揺れた。  何か今、非常にデリカシーの無いことを聞かれた気がする。前を隠すとは、温泉や銭湯で下半身をタオルで隠しているこの状況のことだろう。  ゲイだから。  晴輝のことが好きだと言ったらゲイだと思われてしまうのか。  バイセクシャルという言葉すらあまり浸透していないこの日本では、同性が好き、すなわちゲイだと認識されてしまう。 「そもそも俺はゲイやない」 「でも晴輝のこと好きなんだろ?」 「ッ、だから、晴輝だけ……晴輝が特別やねん」  喉奥に張り付いた声が空気の梵となり、それが震えていることに驚く。  強い含羞を覚えた俺は目から下をお湯に沈めた。息を吐くと小さな空気の泡がぶくぶくと出来ては消え、出来ては消えを繰り返す。  俺と晴輝がいどういう状態なのか把握している筈なのに、重い扉を打ち破った和人は土足でそこに踏み入った。 「告白したの?」 「……してへんけど」 「しねえの?」 「出来るわけないやろ」 「したほうがいいと思うけどなぁ……」  執拗に問い質す和人に対して怒りに似た感情がこんこんと湧き上がる。皮膚を包むお湯がやけに熱く感じた。  もう上がってしまおうと決断を下した時、更なる爆弾が落とされた。 「駿佑は晴輝を性のはけ口にしたの?」  頭の中が白く染る。  開いた口が塞がらないということわざを身を持って経験した。  耳から入った情報を脳が処理することを拒んでいた。 「和人、いい加減に……」 「――晴輝はッ!」  見兼ねた奏多の静止を振り払い、和人が声を荒らげる。  深い森の中に在るこの露天風呂から、何かを訴えかける声がこだまとなって響き渡る。  山に反射して少しずつ姿を小さく変えるその声は、湯気が立ち上る風呂の中に、やがて震えながら尾を引いた。 「……晴輝は、そう思ってるかもよ?」  言葉が脳に届くまで数秒を要し、更に意味を理解するまでに数秒かかった。  心臓を鷲掴みにされたような苦痛と、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃に襲われる。  性のはけ口? そんな筈がない。  確かにあの時の俺は理性を失い、馬鹿みたいに興奮していただろう。  しかしそれは晴輝のことが好きだからに他ならない。胸の内に秘めていた醜い欲望が顔を擡げたのだ。 「好きだから酔っ払ってキスしちゃったのと、酔った勢いで誰でも良かったからキスしたのじゃあ、全然違うだろ」  湯の中で体制を変えた和人が淡々と続ける。  言わんとしていることは分かる。しかし俺の中でそんな勘違いは想定されていなかった。  例え酔っ払ってたとしても、好きでもない男にキスをするわけがない。俺の恋心は露見してしまったんだと疑わなかった。  しかし晴輝にそんな常識は存在しないのだ。  何故ならは晴輝実際に……  甘えだったのだ。結局俺は荷物を突き返すという、自分が最も傷つかない方法を取ってしまった。  晴輝のためだと言い訳をして、楽な道を選んでいた。  俺があの時するべきだったのは、本当に決別することだったのだろうか。 「晴輝が怖がってるのは、本当に駿佑からの好意なのか?」

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