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「――駿佑ッ!」
耳を痺れさせる奏多の大声が空を切って俺の元へ届いた。
強い眼光で俺を射抜く奏多の双眸には、垂れ目で穏やかな顔と称される普段の面影は些かも感じられない。
その眼は俺に、しっかりしろと訴えかけていた。
追い詰められたように心臓が喚く。
それを押さえ付けた俺は一歩一歩地面を踏みしめて晴輝に近づいた。
晴輝、と名前を呼んだが、苦しむ彼の耳に俺の声は届いていないようだった。
二人分の視線が身を貫く。無言の圧力を全身で感じた。
息苦しいほどの圧迫感に押し潰されそうだった。
身体を震わせ、喉をひゅうひゅうと鳴らしている晴輝の目の前に跪く。
「はるき、俺の声を聞いて」
出来るだけ穏やかで、ひたすらに優しい声で、身体を丸めて蹲る晴輝と頭の高さを揃えて囁く。
声が届いたのか、ぴくりと反応を示して緩慢に顔を上げた晴輝のまた伸び始めた真っ黒な前髪の隙間から、赤く色づいた瞼が覗く。
涙は零れていなかったが、その眼は潤みを帯びて煌めいていた。宝石のように光を宿した瞳に熱は篭っていないように思えた。
冷たい冷たい、ただの生理的な水滴であった。
「大丈夫やから……俺に息、合わせて」
焦点の飛んだ虚ろな瞳と視線を合わせて顔を近づける。この時には既に、先程まで抱いていた恐怖心はどこかへ消え去っていた。
晴輝の乱れた息を落ち着かせるために大袈裟に呼吸を繰り返すと、激しく上下していた肩が次第に落ち着きを取り戻す。
傷跡が露出するのを防ぐためだろう、浴衣の下に着ている白い肌着が生々しい。
自らの身体を抱擁していた腕がゆらゆらと彷徨いながら伸び、縋るように俺の浴衣を掴んだ。
その瞬間、晴輝の左の口角が少しだけ上がった。
瞬き一つで見落としてしまうほど弱々しい笑みであった。その表情は、右の口角を吊り上げたあの日とはあまりにも対照的に俺の眼に映った。
絡まっていた視線がフッと降りたかと思うと晴輝が身体を預けるようにして胸に倒れこむ。俺は彼の身体に腕を回し、赤子にそうするように背中を摩った。
首元に顔を埋めた晴輝のはぁはぁという息づかいが、ねっとりと鼓膜にこだまする。
身体が密着しているせいで、ドッドッドッと早鐘を打つ心音までもが衣服を通して俺に伝わった。更には鼓動が落ち着いた調子になるのすら感じ取れたのだ。
それとは対照的に、彼の過呼吸を収めなければならないという緊張と密着による僅かなの興奮からか、俺の心臓は今にも飛び出しそうなほど激しく脈打っていた。
肩で息をしていた晴輝の呼吸が穏やかなものになった時、俺の鼓膜は揺すられる。
「――いかない、で」
夏夜の凛とした静けさに、悲痛な叫びが漏れ落ちた。それは今にも消え入りそうな弱々しい声だった。
どくん、とわかりやすく反応を示す俺の素直な心臓。
晴輝の身体から力が抜け、穏やかな息をついて眠りにつくのを感じ取った俺は、背中を撫でていた手を黒い頭に移動させる。
セットされていないサラサラな髪を、まるで宝元でも抱くように指の腹で撫でた。
「お前ら仲直りしろよ」
傍観者に徹していた和人が痺れを切らしたようにそう言った。
その言葉を聞いた俺の手が晴輝の髪を触るのをやめてピタリと止まる。
和人が言っていたように、晴輝が怖がっているのは俺からの好意でも、俺自身でもないのかもしれない。だからと言って、この想いが不毛なことは変わらない。
結局のところ、どこまでいっても闇の中。
続いて自分の口から出た声は不気味なほど無感情で、無機質であった。
「……俺の好きと晴輝の好きは、違うから」
「でも晴輝には駿佑が必要だよ」
奏多が柔らかい口調で言った。
言葉が重荷となって身体に圧をかける。自らを嘲るように冷笑を浮かべた。
俺は身体の奥深くで眠っていた思いを一気に吐き出した。
「多分俺は、みんなが思ってるよりもずっと晴輝が好きなんや。今まで好きだった人はもしかしたら恋じゃなかったんやないか、って思うくらいには、惚れてもうてる……自分でも、ほんま……頭おかしいんちゃうかって思うときあるし…………せやから、傷つけたくない。けど一緒にいて前みたいなことを起こさないって誓えるかって聞かれたら、正直誓えへん。距離置いたら落ち着くかなって思っとったんやけど……どんどんどんどん気持ちがおっきくなってくだけで、自分を抑えられる自信が無い……せやから俺は、傍にいないほうがええねん」
胸につかえていた歪な塊が取れたような気がした。全てを告白したことで、凝固していた自分の心が解けていくような感覚を味わったのだ。
身勝手な吐露により身勝手な満足感を抱き身軽になった俺は、自分の布団に戻るために晴輝から離れて立ち上がる。
しかしそれは拒まれてしまった。晴輝の手が俺を掴んで離そうとしないのだ。
浴衣を引っ張られたことにより胸元がはらりと肌蹴る。
「……隣、変わってあげようか?」
「いや、もう一緒に寝るしかないだろ」
「俺の話聞いとった?」
「諦めろ駿佑、おやすみ」
「おやすみやなくて…………えっ、嘘やろ? ほんまに寝たん?」
無慈悲にも和人の手により電気を消され、おやすみとと共に聞こえてきたのは布団を被る布擦れの音。
静まり返った部屋にため息を落とし、俺は渋々晴輝の布団に身を落ち着かせた。
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