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 同居初日、同じベッドで寝たあの日とは比べ物にならないほどの緊張から、昨夜はほとんど眠れなかった。  日が昇り、喧しい小鳥の囀りが聞こえ始めたのを合図にして晴輝を起こさないように細心の注意を払いながら布団を抜ける。  未だ薄暗い部屋で寝息を立てる端正な横顔が、窓から真っ直ぐ差し込む朝の光に縁取られていた。肌は陶器のように滑らかに光り、やけに幻想的であった。  乱れていた浴衣を整えながら襖を開け、未だ眠りの世界に浸かっている三人を後目に部屋を出る。  外の空気を吸おうと廊下を数歩進んだ時だ。 「……ッ、駿佑!」  彼はよく通る声を震わせて俺の名前を呼んだ。  驚きからその場に足を縫い付けられた俺は、寝ていた筈なのにどうしてと疑問を抱きつつ、声の聞こえた方へ振り返る。俺の顔を捉えた瞬間、存在感の強い眼が少しだけ細められた。  真っ直ぐにこちらを見つめたまま急ぎ足で距離を詰めた晴輝は、ごくりと喉仏を上下させて大きな瞳を不安げに揺らす。  小さく藻掻く唇は何かを伝えたいと訴えていた。すぅと息を吸い、瞼が真っ黒な瞳を覆い隠す。  次に瞼が開かれたとき、その顔には覚悟が刻まれていた。 「勝手に出て行った俺が言えることじゃないけど、やっぱりこのままなんて嫌だ。また一緒に――」 「あかんて」  その言葉を遮ったのは紛れもなく俺自身だった。それ以上聞いたらいけないと、脳が警報を鳴らしたのだ。  最後まで聞いてしまったら、俺はきっと受け入れてしまうから。頷いてしまうから。  顔を曇らせながら、どうして?と尋ねる晴輝から眼を逸らす。  好きだから、その言葉が喉元までせり上がり、それでも寸前で躊躇いが生じた。  一度頭を冷やすべきだと判断し、晴輝に背を向ける。  しかし立ち去ろうとした俺の足は、またしても動きを止める。  強い声が耳を打った。 「――俺のこと、好きなんだろ!?」  息の根も、心臓すらも、止まってしまったように思えた。呼吸すら困難になる圧迫をこの胸に受けた。  何を言われたのかやっと意味を理解した時、それは胸の中で鉛のような重さとなって俺に塗炭の苦しみを与える。 「聞いてたん?」 「…………ごめん」  こういうものだ、どうしたって上手くいかない。  何一つ自分の思い通りにはならない。  気持ちを認めたくないから、男同士だから、隣にいたいから、晴輝のためだから、頭を冷やしたいから……いつもそんな理由をこじつけて、いつも想いを告げることから逃げてきた。  きっと俺たちの間に障害が無くても、俺はこの恋から逃げていたのだろう。  何も履かず廊下へ出たのか、素足と綺麗に磨かれた床がペタリペタリと音を立てて晴輝の接近を告げる。すぐ後ろに気配を感じた時、深く息を吸う音が聞こえた。  晴輝が口を開く。 「抑えなくていい。だから、一緒にいてよ」  それはまさに青天の霹靂であった。  頭が上手く回らない。何を言われたのかよく分からなかった。  振り返ると視界いっぱいに彼の顔が映し出され、否が応にも眼が合ってしまう。 「何言っとんの……? あんなことされて、俺のことが怖くないん?」  つらつらと自虐の台詞を吐く。  はっきりと心を揺さぶられ、俺は激しく動揺していた。  怖くない、確かにそう答えた晴輝の言葉とは裏腹に、眉は辛そうに顰められていた。  ギリ、と奥歯を噛み締めた俺は晴輝の腰に腕を回して引き寄せる。一度は健康的になった身体もまた細くなってしまっている。  草食動物のように身体を強ばらせて眼を小さく見開いた晴輝は、弱々しい力で俺の胸を押し返した。半ば反射的な行動なのだろう。  はるき、と普段より低い声で名前を呼ぶと白い手が俺の浴衣を掴み、おずおずと持ち上がった双眸に意識を奪われる。  困っているのか、怖がっているのか、辛いのか、悲しいのか。その表情が何を物語っているのか、俺には到底慮ることが出来ない。  ただ、晴輝が持ち合わせているものが良くない感情であることだけは分かった。  ゆっくりと顔を近づける。鼻と鼻の先が触れた。晴輝は目と唇を強く瞑り、身体を震わせていた。  その時俺は、まだ告白すらしていないのに失恋したのだ。  先程まであった馬鹿馬鹿しい希望の光は一瞬で絶たれ、唇に触れることなく身体を離す。  晴輝の瞼がそっと開かれる。その仕草は怯えているように見えた。 「ほら、アカンやろ?」  泣きそうなほど顔を歪ませた晴輝が唇をはくと動かす。頭の奥がチリチリと沸き立った。強い言葉を使ったが、心は確実に傷を負っていた。  淡い期待を何度も覚え、それを幾度となく打ち破られてきた。  それでもまだ好きでいる。  好きでいてしまう。  晴輝は俺の心を繋ぎとめて離さない。真綿で首を絞められているようだ。  こんな苦痛を味わうのなら、一層のこと拒絶された方がマシだ。 「俺のことは忘れて」 「ッ、やだ、駿佑……!」  立ち去ろうとした腕を掴まれる。その瞬間、怒りに似た感情が身体中を駆け抜けた。  頭が沸騰したように湧き立ち、痛みを感じるほど強く奥歯を噛み締める。  求められる喜び、諦められない辛さ、期待させるような言動に対する怒り、そして自分に対する不甲斐なさ。  様々な感情が混ざり合い、それらが声となって破裂した。 「触んな! なんで俺やねん……たまたま俺だったってだけで、本当は誰でもええんやろ!」  動物的な衝動に身を任せてその手を弾いた。感情に便乗した言葉が独りでに口から飛び出し、廊下中に苛立った自分の声が響き渡る。  もう諦めさせて欲しかった。引き留めないで欲しかった。  ここで彼を受け入れるほどの余裕と強さを持ち合わせてはいなかった。  晴輝は俺の言葉を聞いて眉を下げ、深い絶望の色を瞳に宿した。みるみるうちに顔が蒼ざめ、俺を求めて宙を彷徨っていた手が重力に従い下へと落ちる。  薄い唇が言葉を縁どった。 「俺のこと、そんなふうに思ってたの?」

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