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 撮影を終えた日を境に、晴輝は姿を眩ませた。  復帰してから何があっても、それこそ俺に欲をぶつけられた次の日も、パニックを起こした直後も絶対に仕事に穴を開けなかった晴輝がだ。  それは一日けに留まらなかった。  次の日も、その次の日も、一週間が経過しても彼は現れなかった。  晴輝はまた、忽然と姿を消したのだ。  赤、緑、青。全てが混ざり合い白へ溶け出していく。  LEDライトの光が増えるほど、まろやかな世界へと変わっていくのは何故だろう。  目が眩むほど鋭利なスポットライトが、会場が震えるほどのウーファーが、RGBで作られるこの世界が、今日はやけに息苦しく感じた。  集中出来ない。楽しめない。  心が虚ろになり、意識は別のところへ飛んでいた。大音量で流れる自分たちの音楽が耳を通り抜けていく。  晴輝がいない状態で迎えたライブは普段と全く違うものに思え、それは俺が彼に惚れているからという前提を抜きにしても変わらない事実なのだろう。  自分たちの曲なのに晴輝がいないだけで、そこにあるドラムが収録音に変わるだけで知らない存在に変わっていく。  会場は彼の穴を埋めるために通常以上の盛り上がりを見せているように思えた。  与えられた俺の見せ場、ベースソロでステージの縁ギリギリに立ち、力強く弦を弾く。上がる歓声、響き渡る俺のベース。  演者を照らすために置かれているフットライトの熱がやけに暑く感じ、目を細めた。俺を追うピンスポットと目が合うと、世界が全体が薄黄色の光に包まれる。  そんな状態でも俺の指は、耳慣れた曲を聴くと勝手に動きだすのだ。  一曲、二曲、三曲、四曲。  気づけばライブは進んで行く。  五曲、六曲、七曲。  聴き慣れた知らない音楽が。 八曲、九曲、十曲。  右から左へと流れていく。  何も見えない。もう何も見えやしない。  音楽が盛り上がれば盛り上がるほど、俺の世界は不鮮明で、不確かなものに変わるのだ。  全身が光に覆われ、飲み込まれていく―― 「しっかりして。晴輝くんに笑われちゃうよ」  トークタイムに向けて持ち場のピアノを離れた柚葉の叱責するような声が、やけに鮮明に脳に届いた。彼女の小さい手が俺の背中を一度だけ叩き、乖離していた魂を引き戻す。  俺は上手に笑えているだろうか。みんなを楽しませることが出来ているのだろうか。  この最悪な状況は俺が招いた事態なのに、結局みんなに助けられている。  トークもライブもフィナーレを迎えようとしていたその時、奏多の言葉が止まっていた俺の心臓を突き動かした。 「じゃあ最後に……メンバーから一言ずつ、晴輝にメッセージを!」 「…………へ?」 「えーっと、どこだっけ……あそこだ! あそこから晴輝に映像が送られてます」 「えっ、いつから?」 「はぁ? 聞いてねえんだけど!」 「だって言ってないもん!」  俺の隣に立つ奏多は、会場奥にある関係者席を指さして言った。遠すぎて細部まで確認出来ないが、誰かが直接晴輝に映像を送ってるらしかった。  客席からは歓声が、ステージ上からはざわめきが起こる。柚葉と和人の反応を見る限り、どうやら奏多以外の全員が知らされていなかったようだ。  俺たちの驚く様子を笑って眺めていた奏多が先陣を切ってマイクを口元に運ぶ。  オペ卓に向かって手を振る姿は一見おちゃらけて見えるが、恐らくその腹の中は静まり返っているのだ。 「晴輝、見えてるか?今から一人ずつ、お前に言いたいこと、伝えたいことを言ってくから……最後まで観てほしい」  観客もメンバーもスタッフも、会場中が息を呑んで奏多を凝然と見る。 「結局、リーダーとして何も出来なかった。下手に声をかけても同情にしかならないと思ってたんだ……って言うのすら言い訳なのかもしれない。本当は、なんて声を掛けたらいいのか分からなかった。晴輝が苦しんでるって、知ってた筈なのに……リーダー失格だって思った。本当にごめん! みんなお前の事が大好きだから、今はゆっくり休んで、また此処に戻ってきて欲しい」  奏多の凛とした強い声には少しの熱が込められていた。一歩後退して次に和人を指名し、マイクを下ろす。  トークタイムに入って引いていた身体の熱がぶり返し、全身に嫌な汗が滴り始める。  俺の心臓は早鐘を打ち、和人がセンター前に立ったことにより焦りが増幅していくのが手に取るようにわかった。  和人は緩慢にマイクを口元へ運び淡々と、それでいて激励を含んだ声でオペ卓を睨みつけるように話し始めた。 「……よく考えたら俺、もうずっと晴輝とちゃんとした話、してないわ。あまりにもお前が普通すぎて前と変わってなかったから、軽く思ってたのかもしれない。そんなわけないのになぁ……俺ら人間なんだからさ、魔法使いじゃないんだから、言ってくれなきゃわかんねえよ。話してくれないとわかんねえよ。俺、頼りないかもしれないけど……相談しろ、ばか」  深く息を吐くように最後に紡がれたばかの二文字は、不器用な和人なりの愛情が込められていた。  伝え終えた和人が柚葉に目配せをしても彼女は直ぐに話を始めなかった。奏多に名前を呼ばれるまで、柚葉はただ動かずに重い沈黙を貫いていた。  事件後、誰よりも晴輝の傍にいた彼女のことだ、頭の中が混線しているのだろう。  一歩だけ踏み出した彼女が、波打った声を上げる。 「晴輝くんに直して欲しいところが出来ました。何でも一人で抱え込んでしまうところです。もっと頼って欲しかったし、もっと頼ってくれると思ってた……話しならいつでも聞くよ? 多分、他の人には話せないこともあると思うし、いつでも連絡してください。私はいつでも待ってます。だからどうか……諦めないでください」  柚葉はそう言って深々と頭を下げた。  目元を手で覆って小刻みに肩を震わす彼女の表情は、長い髪の毛に隠れてよく見えなかった。

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