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第5話 理解の範疇

 しばらくそっぽを向いている真田に、ぼちぼち呆れてくる。  なんなんだこいつは。  ガキっぽいところがあるのは知っているが、いつまで向こうを向いているんだろう。いい加減に会話でもしろ。  真田の肩を掴んでこちらを向かせようとしたその時、まひるがバックミラー越しに「ストップ」と俺を止めた。 「は?」 「壱流、寝てるから」 「ええ?」  そおっと明後日の方向を向いている真田の顔を覗き込むが、サングラスをかけているのでわからない。しかしその動きを良く見ていたら、うとうとと緩やかに動いていた。  何故寝る。 「夕べ、頑張っちゃった? ……なんて聞いても覚えてないか」 「……あの」  困惑した視線をミラーに映り込んだまひるに向けてしまった。  頑張ったって、何を。何をって、あの残骸? 残骸って残骸って、……。  思考を連鎖させて意図を探っていたら、うっかり答えに行き着いてしまったので動揺する。またしてもだらだらと、わけのわからない汗が出た。 「困ったでしょ、竜司くん。覚えがないのに、いきなり事後だったりして」 「ええぇ……」  もしや、俺たちの意味不明な仲は公認だったりするのか。ていうか事後って。やっぱりあれは事後なのか。  何故俺が知らないことをまひるが知っているのだろう。  その場にいたのだろうか。  いやいやいやいや、そんな馬鹿な。  野郎同士でなんかしてたとして、普通その場に女がいるとは考えにくい。俺の知る俺は、そんなことを好んでするような人間ではない。そのはずだ。  なんでもないことのように言ったまひるが、違和感もなく俺の名前を呼んだことに対し、ふと引っ掛かりを感じた。  しかし今はそんなことはどうでもいい。真田が寝ているのを良いことに、探りを入れてみる。 「あの、まひるさん。俺と真田って、なんつーか、その。……やっぱそういうアレなのか? こんなことあんたに聞くのもどうかとは思うんだけど、俺、なんもわかんなくて」  聞きにくそうな俺に、まひるはミラーから前方に視線を戻して、軽く笑う。 「壱流のバージンは竜司くんのモノ。どーお、嬉しい?」 「バー……、いや俺、そういう趣味ないはずなんだけどな!」 「起きちゃう」  言われて、ばっと真田の方を見る。ちょっとボリュームの上がった俺の声に、幸いにも少し身じろぎしただけで真田は目を覚まさなかった。そんなに眠たいのか。  ……そんなに、頑張っちゃったとか?  どうするよ、俺。  やべえよ俺。本当に身に覚えがないんだけど!  まあそれ以外の記憶も綺麗さっぱり水に流してしまっているので、絶対やってないとは言い切れないのが悲しい。思わずぐしゃりと自分の赤い髪を掴んだ。 「あんま嫌がんないでやってくれると平和なんだけど。また壱流、リストカッターになっちゃう」 「……あの手首の傷?」 「あー、もう気づいたんだ?」  そりゃ気づく。  やっぱりあれは猫なんかじゃなかったのだ。  何を思って手首など切るのだろう。俺にはそういう心理がよくわからない。  俺の記憶喪失が原因だろうか。  失われた記憶の中で、俺は真田を壱流と呼び、何故か体の関係があった。真田が嘘をついていないなら、昨夜は愛などという単語まで持ち出したらしい。でも俺は本来そういう科白を言うようなキャラじゃない。言っても「好き」くらいだろう、どう考えても。 「せめて、壱流って呼んであげると、しばらくは保つんじゃないかなあ。名前くらい、どってことないでしょ?」  ……名前。  まあ、手首を切られるより、名前を呼ぶくらいで解決出来る問題であるならば、譲歩してやっても良い。しかし真田が次に目覚めたあといきなり名前にシフトするのは、客観的に見てどうにも奇妙だ。 「そいや、まひるさん。どうして俺のこと竜司くんて?」 「あ。ごめんごめん。入江くんじゃないと駄目だった。壱流寝ちゃったから、なんとなく」 「なんだよそれ」 「あたしが竜司くんて呼ぶと、壱流めちゃくちゃ嫌がるから。あたしに嫉妬してんの。すごい嫉妬深いの、この人。そのくせ3Pなんて平気で提案するあたり、よくわかんないんだけどね。我が夫ながら」  ぎょっとした。  今、夫って言ったか。 「夫……って、まさかこいつのこと?」 「籍、入ってんの。一応。本当に、一応なんだけど。前にあたし壱流の子妊娠しちゃったから、その時にね。でも結局、産まなかったんだけどー……」  なんだか話の雲行きが、更によくわからない方向に流れ出した。  どういうことかと。  一応だとしても、自分の結婚相手が俺なんかと妙な関係であることを、よく容認出来るものだ。  真田の神経も、まひるの神経も理解の範疇を超えている。いつの間にしたんだか知らないが、真田も女と結婚したんだったら、俺なんかにかまってないでちゃんとしろ。何故男と寝る必要がある。 「――あ。メシ作ってくれたりするのって、そういう……」 「おいしかった?」  そうか、と思い至る。  食事を作ってくれるのはマネージャーとしてではなく、妻としてなのか。どうして隣の部屋などに住むのか。俺とまひるのポジションは普通逆だ。入れ替えればしっくりくる。  それにしても、平気で「マネージャー」なんて呼びやがって。  本当に真田はおかしい。俺が怒ったって仕方ないが、憤りが湧いてくるのは俺の心が狭いとかではないだろう。多分正論だ。  真田に向けた俺の目に険がこもったのに気づき、まひるがまた笑う。  もうそのような返事を過去に何度も俺にしているのか、迷いも淀みもなく言った。 「あのね。あたしと壱流の間に、男女の愛とかはないから。気まぐれで寝てみたらうっかり避妊に失敗しちゃった、ってだけで。あたしは壱流が気持ち良く歌えて、血をなるべく流さないような環境を作れたらそれで満足だし」 「変じゃねえの、そういうのって」 「変かなあ」 「変だろ!」  真田の体が、ぴくんと動いた。  まひるが人差し指を唇のあたりにかざして、「お静かに」と囁いた。 「まあとにかく、落ち着いて壱流のために最高のギター弾いてやって。昨日までのことなんか覚えてなくたって、入江くんの音は変わったりしないんだから」  真田の目がいつの間にか開いていたことに、俺とまひるは気づかなかった。

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