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第6話 変わらない音

 俺のギターに合わせて真田が何度か歌い、しっくりしてきたところでMVの撮影に入った。  車の中で何度もリピートしたとはいえ、やはり実際に二人で演ってみないことには始まらない。  マイクスタンドの前に立った真田は、知らぬ間にプロの顔になっていた。俺は自分が見劣りしやしないかと心配だったが、弾いているうちにそんな愚考は忘れた。  弾きたいように弾けば良い。  真田もまひるも、記憶なんかなくても俺の音は変わらないと言ってくれた。  指先が覚えている。  体の芯に染み付いている。骨に響くような重たいギターだと、よく言われる。  カメラを睨みつけるようにして歌う真田の姿は、正直同性でも格好良いと思う。  元々こいつは色男の部類だ。俺と並ぶと妙にチビに見えてしまうが、背だってまあ普通にある。だいぶカメラ慣れしていると見えて、一切物怖じをしない。  素人では、ない。  その自信が更に真田を格好良く思わせる。  ……男に何かされるのは、きっと似合わない。  それとも、そういう趣味のある輩からしてみたら、真田も結構おいしく頂ける素材なのだろうか。そんな色目で見たことがない俺にはわからなかった。  真田がスタジオにつく少し前にもぞもぞと起き出して、わざとらしいほどにでかい欠伸をしたあとも、俺は「壱流」とは呼べなかった。  なんとなく固有名詞を避け、「なあ」とかで通してしまった。不自然に見えたかもしれない。たまにまひるがこちらに向ける視線が、痛かった。  どうしたものか。  もう一度真田が、自分を名前で呼べとでも主張してくれたら、呼びやすいかもしれない。 「お疲れぇ」  ぽん、と俺の腕の辺りを軽く叩いて歌い終えた真田が出入口に歩いてゆく。OKが出てギターをケースにしまうと、俺も後についてゆく。  ここが初めての場所であるのかないのかもわからないが、真田からはぐれたら迷子になってしまう。  俺みたいな男がうろうろと彷徨っているのは、みっともない。  周囲のスタッフは先ほどまひるに見せてもらったアルバムに貼ってあった写真の人物がほとんどだが、そうすぐに顔と名前が一致するわけもない。何をしゃべって良いのかも不明だ。  壁際のソファに腰を下ろした真田の隣に同じように座って、撮影したばかりの映像をチェックする。 「竜司、俺の歌何点くらい?」  モニタを見つめながら言った真田に、満点でいいんじゃねえのとか思った俺はそのままを口にする。真田の中の己の及第点がどれくらいなのか知らないが、上出来だ。 「そうか、じゃあ帰るか」 「えっ、もう?」  まだ最後まで観終わっていない。せめて最後までチェックしないと、あとで気に食わなかったら困るだろうに。立ち上がろうとした真田の手を掴んで、また座らせる。 「――どうかした?」 「いや、最後までちゃんといようぜ? どうせ数分だろ」 「帰りたい」 「ガキかおまえは」  ガキ呼ばわりされた真田は若干むっとしながら、ソファで脚を組み、傍にあったコーヒーを手に取った。  まったくこいつは。  25くらいにはなっているんだろうに、外見は少し年食っても中身は成長していない。何をそんなに早く帰りたがっているんだか。 「竜ちゃん、相変わらずへヴィーな音出すなあ。好きだな。俺、ついてきて良かったと思う。あのままあそこにいても、まあ良かったんだろうけど、俺は今の音のが好き」  しぶしぶ座ったものの、モニタの中の俺を目で追いながらやがて真田が呟いた。  あそこ、というのは、前にいたバンドのことだろう。俺について抜けてしまったが、なんて言って辞めたんだか聞いてはいない。  俺の後釜には亜樹乃がいたが、真田の抜けた穴はどうしているのか、その後連絡を取っていないので知らなかった。 「おまえ妹とかに連絡取ってんの?」 「いや、別に。すごく仲良かったとかじゃないし」 「実家、結婚したって知ってんのか?」 「……竜司。それは結構、どうでも良い問題だよ? どうせまひるが余計なこと言ったんだろうけど、ほんとに書類上のアレでさ。それにこのことは公表してないから、今後口に出すのはやめてほしい」  微妙に半眼になった真田は、しかしすぐににこりと微笑んだ。 「だけど、竜ちゃんの戸籍はまっさらだよ。知らないうちに誰かと結婚なんてしてないから安心しろよ」 「んなこと考えもしなかった」  だが確かにそういった可能性も無きにしも非ずだ。  俺には恋人と呼べる女はいなかったのだろうか。女っ気があったとしても、今俺はその人のことを思い出せないし、ある日突然彼女ですなんて現れられても、対応に困るし、相手も傷つける。  ……まさかそれで、こいつ?  俺は無意識に頭を抱えた。  真田のことは前から知っている。今朝は一度忘れてしまったが、スマホのメモから連鎖させてわりとすぐに思い出せた。怪我をする以前から知っている人間としか、深くは付き合えないのだろうか。  以前からの知り合いは、今のところ出くわしていない。 「もしかして頭、痛いのか?」  ちょっと心配そうに俯いた俺を覗き込んだ真田の黒い目に、赤い髪が目立つ俺が映り込んでいた。  勘違いされた。  傷口は、もう痛くない。  傷を負った経緯を忘れ、痛みも忘れ、その他のすべての事象も忘れてしまった。  真田に言葉で教えられても、それが自分のことであるとは認識出来ない。ただ、そういうことがあって今の俺があるのだという事実だけが残る。いや……事実かどうかも、本当にはわからない。  真田の言うことすべてが、真実とは限らない。 「あのさあ……俺、昨日なんかあったのか?」 「セックス2.5回くらい」 「なんだよその『.5』ってのは。……じゃあなくて! そのことはとりあえず置いとこう。な!? それ以外にさ」  誰にも聞かれなかっただろうか、と周囲をきょろきょろ見回すが、大丈夫だったようだ。あっさりそんなこと教えてくれなくても良い。  そのことは置くなんて言われてまた不機嫌になるかと思ったが、真田はくすりと笑った。 「こういう竜司も、かわいー。ウブな感じ」 「うっせえぞてめえ。人が忘れてると思って、いい気になりやがって。昨日なんか変わったこととか、なかったのか? なんのきっかけもなく記憶がロストするなんて、これまでもあったのか?」 「……あー、そういう疑問」  真田は考えるように宙を見上げて、少し黙り込んだ。  テーブルに置かれたコーヒーを俺の手元に寄せて、「まあどうぞ」と勧められる。言われるままにそれに口をつける。 「人に物を尋ねる態度じゃないなあそれは。まずは『壱流くん、教えてください』とか言おうよ」  ――あ。  催促してくれた。良かった。名前を呼ぶきっかけがやっと出来た。しかしやはり口は微妙に引きつり、しばし逡巡する。じっと見つめる真田の視線に、吸い込まれそうになる。  今朝起きた時も、この真っ黒な瞳にそんな感覚を覚えた。あの時は、こいつが誰なのかもわからなかった。 「……い……いち、壱流くん、教えてください」  口元を引きつらせたままなんとか言った俺に、真田……壱流は、にいっと楽しそうに笑った。 「言えんじゃん」  意味不明にも顔に血が昇る感覚が襲ってくる。何を赤面しているのだ俺は。名前を呼んだだけではないか。  やり慣れないことをするのは、疲れる。 「昨日ねえ……なんかあったかな?」 「なんか思い出せよ。なんの意味もなくさくっと忘れるなんて、俺自身こえーし。なんかあったんだったら、それに気をつけてれば忘れないのかもしんねえしよ」  少しの間考えていたが、やがて壱流はあっさりと、 「今は特に何も。でもなんか思い出したら言う」  コーヒーを飲み干して立ち上がった。  モニタの映像は既に一周していた。

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