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第7話 ご主人様の言うとおり

 夕方マンションに戻ってきてから、今まで出したというシングルとアルバムを棚から引っ張り出してヘッドフォンでぐるぐると聴いていた。  シングル3枚、うちマキシが2枚、アルバム1枚。去年デビューしたと言ったが、まあそこそこ良いペースではないだろうか。  耳に入ってくるのは確かに壱流の声と俺のギターで、音のラインも俺が作りそうなものではあるのだが、やはり妙な気がする。寝ているうちに小人さんが出てきて代わりに作ってくれたような、不可解なニュアンス。 「うーん……」  ベッドの上に腰を据えて一人唸る。聴いてみたら思い出すだろうかとも考えたが、そう簡単に行くものでもないらしい。こんなんでは、うっかり忘れたまま似たような曲を作ってしまいそうだ。  俺は今まで何度、記憶を失ったのだろう?  リセットされる毎にこんな作業をしていたのでは、先が思いやられる。忘れるたびに、壱流に「あんた誰だ」なんて質問を繰り返していたら、あいつもうんざりするに違いない。 「……なんか疲れた」  ごろんと横になり、しばし目を瞑る。眠るには頭の中は色々なことが渦巻きすぎていて、更に目覚めた時に何も覚えていなかったらという不安もあって、意識を飛ばすことは出来なかった。  壱流は、今はここにはいない。キッチンの方でまひるが夕食の仕度をしている。二人とも書類だけの関係と口を揃えて主張するが、だったらさっさと籍を抜けば良いのだ。  それをしないのは、何故だろう。役所に行くのが面倒なのか。  ……大体、なんで産まなかったんだろ?  籍を入れたということは、壱流は産むことに反対はしなかったのだと思う。  そういう意味で好きではなくても、一応男として責任のようなものを取ろうとしたのだというのは、なんとなくわかる。なのに、この現状。  俺と妙な関係になったのは、それの前か、後か。  そもそもどうしてそんなふうになったのかが理解出来ない。俺が望んだわけではないはずだ。男を抱く趣味は、ない。  けれど、たとえば壱流から抱いてくれなんて迫られたとしても、果たして欲情するだろうか? しなかったら成り立たない。まあ立場が逆だってんなら、別だけど…… 「何考えてんだ俺は」  逆だなんて、更にありえない。  俺みたいな可愛くもないでかい男相手に、壱流がそんな気を起こすとは思えない。  それまではあいつも男とそんなふうになったことなどなかったんだろうに、どういう心境の変化なんだかまるで考えが至らない。 「わっかんねえなあ……」  目を瞑ったまま寝返りを打ったら、ふとヘッドフォンの音が遠ざかった。頭から外れたそれを取り上げて、いつの間にそこにいたのか、眼鏡を外したまひるが「何が?」と耳元で囁いた。 「うっ、わあ! なんだ急に。いつからいたんだ」  長い髪が、さらりと腕に触れた。まひるは小さく笑んで、俺の転がっているベッドに同じように体重をかける。  スプリングが軋んだ。 「ご主人様の命令で。ちょっと先に竜司くん癒してこいって。――ほら、どうかなあこれ」  艶っぽく笑みを浮かべたまひるは、以前グラビアの仕事をしていたというだけあって、素晴らしく魅力的な胸がエプロンからこぼれんばかりに揺れている。  下着らしきものは、見えない。 「それは俗に言う、裸エプロン……って、やつ……あのちょっと、まひるさん」  どういう趣向ですかと問いたい。  前置きもなくあまりに唐突すぎて、刺激が非常に強い。  これをどうしろと言うのか。おいしく頂けとでも? 「壱流は今お風呂に入ってるから。出たら参戦するって」 「はぁっ!?」  忘れてた。  本当に三人でする気だったのか。迂闊にも失念していた。ていうかまさか本気だとは思っていなかった。単なる冗談かと。  あまりのことに硬直している俺の体に乗るようにして、まひるがジッパーを静かに下ろした。 「俺はまだ風呂入ってねえし! ……あ、いや、そういうことじゃなくてさ、なんもする気ないんだけどっ」 「壱流はやる気満々だけど? まあいいじゃない、ほら、こっちは反応してる。素直だなあ、竜司くん」  本当に素直に反応してしまった俺を、あまり大きくない手のひらがそっと触れた。  今日会ったばかりの女にほぼ全裸に近い恰好でのしかかられて、軽くパニックに陥る。  どうしたものかと乱雑な頭の中で考えていたら、いつの間にか壱流がドアのところに若干呆れた顔で突っ立っていた。 「まひるやーらし。竜ちゃんにしてほしいんだろ」  どことなく冷たく聞こえた声のトーン。壱流は濡れた髪を拭きながら、ぱたんとドアを閉める。入り口の傍にあった照明のリモコンを操作して、薄闇が部屋を包んだ。 「でも駄目だよ。してほしいんなら、俺のをあげるからね」 「ちょ、おまえなあ! こんなこと本気で実行するかっ!?」 「女の下で膨張してる奴の科白じゃない。竜ちゃん、気持ち良い? まひる上手だろ」  ベッドに三人目の体重がかかって、壱流がまひるの腰を自分に引き寄せた。びくりと反応して甘い声を上げた様子に、何をしているのか察する。 「……真田、てめ」 「壱流って呼べよ。ずっと、昨日まではそう呼んでた」  悪びれもせずに淡々と言う壱流に、よくわからない憤りが生じる。  なんでこんな事態になっているんだ。俺も大人しく気持ち良くなってんじゃない。  壱流に言っても状況は変わらないと悟った俺は、交渉相手をまひるに変更する。どうしてこんなことするんだ。これじゃ蹂躙と同じだ。不自然だ。 「まひるさん、ストップ。……もうやめてくれ。こんなの変だろ。俺はこういうの、好きじゃない」  体を引いて強引にまひるから距離を取った俺に、壱流は口元だけで笑った。薄闇の中で、それはひどく残酷な笑みにも思えた。 「可哀想に。竜ちゃんのこと可愛がってあげたかったのにね」 「おまえサドか何かか!」 「――別に。俺はまひるが嫌がってるとは思えないし。嫌なら断ればいい。俺は強要はしない。女には優しい。……ねえ、まひる?」  まひるは否定も肯定もせずに、壱流にいいようにされて言葉にならない掠れた声を上げている。  なんだこれは。AVか。自分以外の男に抱かれている女を目の前で見る機会なんてなかった俺は、熱を持て余す。  ……不愉快だ。  合意の上なのだろう、……とは思う。  まひるが壱流に対してどのような感情を持っているのか、いまいちよくわからないが、こんなふうに二人の男の間で扱われるなんて、常識的に考えてどうにもおかしい。 「そういうのは俺のいないとこでしろっ」  苛立ちに任せて立ち上がり、まだ収まらない自分もそのままに部屋をあとにする。  乱暴に閉まったドアの音に壱流が眉をしかめたが、その顔は俺には見えなかった。  消えてしまった記憶の中で、真田壱流という存在は不透明になり、性格はかなり歪曲してしまった気がする。  何がしたいんだか、全然わからない。

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