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第11話 初めてのキス

 竜司にこんなことをされたのは初めてだった。  記憶喪失になったら、男もOKになってしまったのか?  いやまさか。  そんな馬鹿げた展開どうにも変だろう、と壱流は硬直したままぐるぐると考え始める。   一体なんのつもりだ。  キスされて嫌だとか、逆に嬉しいとかそういう感情は何故か湧かなかった。  竜司はずっと友達で、今はちょっと忘れているけれど思い出せばまた以前のように戻れることを、壱流は切実に願っている。そして、いくら仲の良い友達でも男とキスなんかする趣味はない。  する、というより一方的に不意打ちでされただけだったが、「苦しそう」に見えたからと言って何故竜司はこんなことをしたのだろう。意味がわからない。  固まっている壱流に、床に置いたギターをまた持った竜司は立ち上がり、それを壁に立てかけた。 「病院で初めて会った時も思ったけど、壱流ってイケメンだよなあ。羨ましいわ。俺なんてさ、なんかいかついじゃん? しかも坊主」 「……は、はい?」  今竜司は手術の関係で赤く染めていた髪を剃り上げている。包帯は一応取れたものの、坊主の頭に痛々しい縫合の痕が残されていた。  幾分髪は生えてきたところだが、傷の部分はむき出しだ。ちょっと目立つので、外出する時は帽子を被るようにしている。  ……病院が、初対面。  本当は違うのに、と思ったら、心がちりちりとした。  実際に初めて出会ったのは高校生の時だ。だが顔の造作についてとやかく言われたことはない。  前にいたバンドは、自分を除くメンバーもレベルが高かったし、壱流が加入する以前からそいつらの顔を見慣れていた竜司としては、顔が多少整っていたからと言って特に反応すべきことでもない。  それなのに、何をいきなり褒めに入っているのか。わからない。  それとも、 (もしかして亜樹乃と微妙にイメージが被ったとか)  普段はほとんど思い出さない妹のことを思い出す。  そんなには似ていない。男女の差もある。しかし似ている部分も、勿論ある。目の感じが似ている。  以前竜司が好きになって、どうやらそれを亜樹乃に直接言ったらしいのだが、あっさり振られた。可哀想に。竜司は確かにいかついが、付き合いやすい男だし、無駄にでかい身長は、女にしては背が高い部類の亜樹乃には似合うと思う。それなのに、つれない。 「今至近距離で見たら、改めてまた思った」  意思とは無関係に、顔がかっと熱くなった。  照れたわけではない。ただ、いたたまれなくなった。  友達なのに。  ――と考えて、ふと止まる。  竜司には記憶がない。  友達だった頃の思い出が消えている。そんなことはあってほしくないが、退院してからここずっと一緒にいて、色々と世話を焼いて記憶を呼び戻そうと頑張っている壱流のことを、友達とは違う目で捉えてしまったということはないだろうか? (でも竜ちゃん男には興味ないはずだし)  壱流とてそれは同じだった。 (だけど……もしそうなら、どうしよう)  想像しようとして、またフリーズする。  無理だ。想像が出来ない。そんなのこれまでの人生考えたこともなかった。しかもその相手が竜司だなんて、どうにも難しい。 「どうかしたか?」  悩んでいる壱流に気づいて、竜司がまた寄ってきて顔を覗き込んだ。その至近距離に、またキスされるか? と身構えたが、特に何もされなかった。 「い、や……別に」 「そうかあ? ならいいけど。……俺な、壱流の顔を見ていると、何かを思い出しそうになる」 「……そう」  淡々と喋る竜司の声を聞いていたら、少し落ち着いてきた。  思い出してくれるなら、いくらでも見てくれて良い。キスは勘弁して欲しいところだが。 「竜ちゃん、髪……伸ばそうかあ。傷目立つもんね」  なんとか笑顔を作った壱流に、竜司は自分の頭をぐりぐりと触って「そうだな」と同意した。  家具付きのこの部屋は、ベッドが一つしかない。  壱流の名義で借りている部屋だが、病み上がりの人間にベッドの使用権は譲って、自分はラグを敷いたフローリングの上に寝ている。  竜司が退院してから半月ほど経過していたが、それからの習慣で床に枕を置いて転がろうとしたら、止められた。 「床じゃ、体休まらないんじゃねえの」  一応厚手のラグは敷いてあるが、マットレスなどではない。  結構点々と移動していたので大荷物は極力作らないようにしているのだ。確かにちょっと痛いが、布団にくるまればそうでもなかった。  竜司が唇の端で笑って、ぽんぽんとベッドを軽く叩いた。 「一緒に寝ればいいんじゃね」 「ええ? それはちょっと……」  昼間よくわからない流れでキスをされたばかりだったし、それでなくてもこのベッドは男二人で寝るには狭い。ぴったりくっついて寝ないと、多分寝ている間に床に落ちる。 「いいから」 「や、でも。……って、うわ」  腕を掴まれて、半ば強引にベッドに引っ張り込まれる。そのあとすぐに床に落ちていた壱流愛用の枕を拾い上げ、竜司は自分の隣に設置した。 (わあ、何この展開)  困った。  ベッドの上というだけで、雑魚寝だと思えば良い。そうも考えたが、やはり対応に困る。困惑している壱流の目をじっと見つめ、 「黒飴」  意味不明のことを竜司が呟いた。 「えっ?」 「黒飴みてえ。壱流の目。真っ黒で綺麗だな。……だけどなんでそんな困った顔で俺を見るんだ? ずっと一緒だったんだろ? こうゆうの、なかったのか」 「こ……ゆうのって?」  ちょっと口元をひきつらせた壱流は、自分の身に今まで出たことのない警戒警報が発令しているのに気づいた。 「ま、待て待てっ。竜司っストップ! こういうのは、なかった! 皆無でしたっ」  ぎゅう、と抱き締められていた。  大きな体の下に抱き込まれ、ギタリストの器用な指先が、壱流の黒髪を梳いた。 「じゃあ、欲情した時ってどうしたら?」 「……いやそんなこと聞かれても」 「壱流がずっと傍にいるのに、何もなかったなんて俺には信じられない。俺ってそんなにストイックだったのか?」  混乱している壱流の唇に、昼間されたのと同じように、軽くキスが落とされた。 (よ……欲情された……なんで)  仮定として考えていた問題をいきなり目の前に突きつけられてしまった壱流は、ここで無理だと突っぱねるべきか、それとも観念して受け入れるべきか、迷っていた。  迷うなんて、どうかしてた。

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