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第12話 薄闇
パジャマを脱がされそうになって、迷っていた壱流は我に返った。
このままでは貞操の危機だ。
具体的に竜司がどこまでを想定しているのかは知らないが、何をするにしても抵抗がある。
ぷつん、と一番上のボタンが外された。
「そうだ竜司! いいこと思いついたから、一旦ストップ」
いろんな考えが交錯する中、一つの可能性を思いつく。そうだ。記憶をなくしているからと言って、壱流単体に欲情するわけがないではないか。
ただ、手近にいたからだ。
そうであって欲しい。
二番目のボタンを外そうとしていた指が、壱流の必死な呼びかけに停止した。
「たとえば?」
「えっと、おまえは俺に欲情したんじゃない……と思うんだ。単に、欲求不満なんだ。ずっと俺と一緒でさ、適当に抜くタイミングとかなかったんじゃないかなーって。きっとそうだよ。だから……あの……そ、そうだ。俺バイト代入ったし、フーゾクなんて行ってみようかっ!? 絶対女の子のがいいよ」
ぐいぐいと押さえ込まれた体の自由を求めて身じろぎするが、上手く押さえ込まれてしまって解けない。
なんとか苦肉の策をひねり出した壱流に、竜司は不思議そうに瞬きをする。
「そういうの、行ったことあるのか?」
「……物は試しに、何回か」
「楽しかったか?」
「ま、あ……それなりに。な、行こ? 俺とこんなことしたら、記憶が戻った時に絶対後悔するから! ……ダチじゃん?」
なんとか心変わりしてくれないかと言葉を募るが、壱流の目をじっと見つめながら考えている男の、内心がまるで読めない。
自分の上にいる竜司の重みが怖い。姿形も、喋り方も以前とそう変わらないのに、中身は知らない男だ。
怪我を負った夜のことをまた思い出し、壱流は顔を歪める。
あの時、何も起こらなかったら……今ここにいる竜司は存在しない。
自分が悪い。
さっき記憶が戻ったらと言ったが、もしずっと戻らなかったらどうしよう。
どうしたらいいかわからない。
今の竜司を、嫌いなわけではない。
ただ、以前から知っている男が永遠に失われるのは、体が生きていてもちゃんと意識があっても、死んだのと同じだった。
それとも、一からまた関係を築き上げることが出来るだろうか? 以前と同じに?
……このベッドでの現状で、それは微妙に難しい。一線を越えたら、いけない。
竜司の形をした、誰か。
ギターの音は変わらない。それは確かに竜司なのに、記憶がないだけでこうも対応に困るのか。早く以前の友達だった竜司に帰ってきて欲しくて、気ばかりが焦る。
「壱流……また、そんな苦しそうな顔」
竜司の両手が、歪んだ壱流の顔をすっぽりと包んだ。その手は温かかった。
「壱流を可愛いと思うんだ」
「……え」
「母親から聞いた。壱流かばって怪我したって。それを気にしてるんだろう?」
血が引いた気がした。
知っていたのか。
病院に運ばれた経緯は、勿論彼の母親には話した。落ち込んでいる壱流に対し、そのことで彼の母親は責めたりはしなかったが、いつ竜司本人に言ったのだろう。
それでも壱流といる、と言ったのか。……何故だ。
「壱流を守れて良かった」
「そんなの……」
静かに言われて、泣きそうになる。
まだ、ちゃんと謝ってない。守れて良かったなんて言われたら、どうしたらいいのだ。
全然良くなんかない。
怪我したのが自分だったら、きっとこんなには苦しくなかった。記憶を失っても、たとえ死んでも、今みたいに辛くはなかった。
自分だったら良かったのに。
「――ごめ」
泣いたら駄目だと思ったから、我慢した。ここで泣くのは卑怯だ。
竜司は小さく笑んで、「潤んでる」と下瞼の縁をゆっくりと舐めた。どきんとした。
「そんなこと気にして、俺のために頑張ってる壱流が、痛々しくて、可愛い。俺は、壱流のことがもっと知りたい。壱流のいろんな顔が見たい。後悔なんかしない。……駄目か」
前の竜司は、こんなに物静かな表情はあまり見せない男だった。結構がさつで、乱暴なところもある。それを嫌だったわけではないが、少しは落ち着けば良い と思うこともあった。
今は淡々と、壱流を可愛いと言う。
痛々しいと言う。
(そんなふうに見えるのか、俺は)
二番目のボタンが外されても、抵抗することは出来なかった。
竜司の膝の上に載るように座らされ、うしろから抱き込まれるような形になっていた。
裸の背中にじかに当たる体温と、すぐ近くにある竜司の顔。首筋にくすぐったいキスを落としながら、大きな手が壱流のあまり逞しいとは言えない体をゆっくりと移動して、優しく撫でた。
慣れない男の愛撫に妙な感覚を覚えてじりじりする。壱流は何もしなくて良いからという言葉に従ってじっとしていたが、ゆっくりと降りてきた手が下半身に触れた時、びくりと身動きした。
「……竜ちゃん……あの」
「まだ全然大丈夫だろ? 嫌か?」
「ってゆーか……困ってる……俺の知ってる竜司は、男にこんなことする奴じゃなかったんだけど」
「細かいことを気にすんなよ。俺はやりたいようにやるだけだ。壱流に触りたいんだ」
先ほどから腰の辺りに当たっている感触が、なんであるのかも勿論わかっている。臨戦状態に入っている竜司なんてこれまで見たこともなかったのに、今は直接体に当たっている。
(……なんか、その)
実に困る。
竜司の手で反応してしまっている自分も、理解出来ない。混乱する。誰の手でも気持ち良くなれるのか、自分は。男でも。……友達でも。
ふと、
竜司のもう一方の手が、後ろから探るように脚の隙間を撫でた。
「りゅ……竜司、そういうのは、俺」
まさか最後までする気か、と思ったら体が硬直した。
絶対に無理だ。そんなことされた経験はない。
「なんでそういう知識はあるんだよぉ……」
「……さあ? 体が覚えてるんじゃねえの。ほら、覚えてないけど、日常生活とかにはそんなに支障がないだろ? 基本行動は、忘れないとか」
「こんなん基本行動じゃ、な……」
男なんか抱いたこともないくせに。
愛撫にびくんとして、思わず声が出てしまった。何を女みたいに、と思ったら、ふとなんでこんなことになったんだっけ? と今更ながらに思い起こす。
もしかして、さっきの会話の流れは計算されていたりするのだろうか。壱流が断れないような雰囲気を周到に作ったのか。
まさか。
竜司はそんなに計算高い男ではない。自分が計算してまで抱きたいような対象とも思えない。
(何が何やら……)
それでも、竜司がしたいならいいか、と思った。
彼に対する罪悪感が、少しでも薄らぐ気がした。
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