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第14話 覚悟と抵抗

 だいぶ落ち着いてきて風呂から出ようとしたら、バスタオルを持った竜司が廊下に座り込んでいるのに気づいた。  狭苦しい姿勢だ。浴室のドアを開けた壱流を見て、竜司はのそりと立ち上がった。  濡れた体にタオルをかけられる。 「拭いてもいいか?」  ぽたぽたと水滴の落ちる髪に、手が触れた。  瞬間無意識に身を引こうとした壱流を捕まえて、答えを待たずにその体をぬぐい始める。  先ほどその腕に抱かれた。  怖いと思った体温。けれどタオル越しの竜司の手は優しく感じられて、今は怖くなかった。 「……うん、いいよ」  にこりと笑んだ壱流の事後承諾に、竜司はほっとした顔を見せて、その体をくるむように水分を吸い取ってゆく。 (でかいなあ……竜司)  改めて目の前の男の長身に気づかされる。  けして背が低いわけではない自分よりも、ずっと上の方に目線がある。  威圧感がある。抱き締められたら、その体に包み込まれ隠れてしまう。 (……アレもでかかった……)  ふと思い出してしまい、壱流はほんの少し指先をきゅうと握る。  よくあんなの受け入れたものだ。人体って侮れない。  そういえばあれは、何をされたのだろう。やけにぬるぬるして、ゆっくりとではあったが存外すんなり壱流の中に入ってきた。初めてだったし、確かに痛くて苦しかったのだが、激痛ではなかった。  ……そんなことを考え、意外と冷静に分析出来ている自分に、壱流は安堵した。 「壱流、俺、さっき、」  何かを言おうとした竜司を遮り、タオルの上から拭いてくれている手に触る。 「冷えてる」 「あ? ……ああ、ちょっと冷えたかな」 「布団入ろっか? 俺風呂上りでぬくぬくだから、竜司のこと温められるよ」  無理はしていない、つもりだった。  一時間近く一人でお湯の中に浸かり、気持ちをなんとか切り替えることに成功したように思う。竜司は微妙な面持ちでしばらく沈黙したが、やがて、 「……いいのか?」  遠慮がちに呟いた。 「普通に寝るだけな。さっきみたいのは、なし」 「…………嫌だったか?」  困ったように眉を寄せた相手に、壱流は笑う。  大丈夫。笑える。不自然な笑顔じゃない。……多分。 「俺あんま体力ないからさ。今日はもう、許して?」  それは拒絶の言葉ではない。今日じゃなければ、いい、ということだ。  自ら望んでしたいとは思わないが、竜司がしたいというのなら、体を開く覚悟をした。  なんでもない。こんなのなんでもないことだ、とお湯の中で幾度繰り返しただろう。  抱かれるのに慣れたらきっと、楽しめるようにさえなれる。そう言い聞かせた。  竜司は言外の科白に気づき、困った顔をやわらげた。 (結構、シャイ……?)  きっと先ほど風呂に入る前の壱流の妙な態度に、内心びくついていたのだ。  攻める時はわりと強引だったし、終わったあとも後悔など微塵も見えずすっきりした顔をしていたが、それなりに壱流の変化には勘づいたのだろう。尤も勘づかない方がおかしいが、今の竜司のことは壱流にはよくわからない。  仕方ない。あの時は余裕がなかった。けれど今は落ち着いたから、笑える。  もし竜司の記憶がこのまま戻らなくても、うまくやってゆけるように努力をしよう。  命を失わなかっただけ幸運だったのだ。ギターの音が変わらなかったことを、救いだと思おう。実際それは、救いだった。  彼のギターと共に歌うことが、17の時に初めてその音を聴いてからこれまで、ずっと壱流の望みだったから。  ちゃんとパジャマを着てから同じベッドの中に入り込み、冷えた竜司の体を温めるようにぴたりとくっついてやる。  手のやり場に困ったのか、竜司はもぞもぞと何度か体勢を入れ替えていたが、やがて落ち着くポジションを見極めたようで、動くのをやめた。 「竜ちゃん……今度ちゃんと、ギター、弾こうか」 「え? なんだ急に」 「俺、竜ちゃんが入院してからずっと、歌ってないんだ。そろそろ、歌いたい」 「俺のギター、変じゃなかったか?」  元々の音を忘れている竜司は、自信がなさそうに壱流の目を覗き込んだ。その瞳に映っている自分の姿が認識出来るほど、竜司の顔がすぐ近くにあるという現状が不可解で、変な気分になった。 「問題ないよ。きっと」  静かに笑んだ壱流に、何故か体を密着させている男がまた落ち着きなく身じろぎした。 「……え」  さっき、今日は許して、と言ったのに。またパジャマの中に手が入り込んできたので壱流は困惑した。 「や、ちょっと」  ごそごそと腰の辺りをまさぐられて焦る。性懲りもなくまた何かしようとしている竜司に、続けて2回はさすがにきつい、と壱流は軽く抵抗した。 「壱流が好きで仕方ないんだ」 「……いや、あの。だから、今は」 「眠気も覚めちまったし。壱流は壱流で、ぴったりくっついてくるし。我慢しろってのが無理だ。さっきは最初で、俺もちょっと緊張してたから。壱流落ち着いたみたいだし、何度かした方が慣れると思うんだよな。……壱流、やっぱ処女だったりしたのか? 初めてだったか?」 「当たり前のことを聞くな……」  妙なことを言われ、恥ずかしくなって顔に血が昇る。処女とか言わないで欲しい。当たり前と聞いて妙に嬉しそうになった男に、どうリアクションを取って良いものか迷った壱流の脚を押し広げて、竜司がまた上に乗ってきた。 「竜司っ……やだっ。節操ってもんがないのか」 「歌いたいんだろ? 俺のために歌って。声、いっぱい出して」 「何言ってんだ……っ」  誰が声なんか出すか。  あんまりな展開に今度こそ泣きそうになる。全然シャイなんかじゃない。誰だこの無節操な男は。甘い顔をしたらいけなかったのか。  それとも記憶をなくす前も、竜司とそうなっていたなら、やはりこんな感じだったのだろうか。ただ単に、今までこういうことがなかったから夜の事情を知らなかっただけで。 「なるべく痛くないように、優しくするから。……な?」 「な、じゃない……ほんと、許して。明日があるだろう!?」  このままでは本当に2回戦になだれ込んでしまう。軽かった抵抗は強くなり、顔も必死になる。頼むから眠らせてくれと真剣に願った。  ふと、竜司の手が緩んだ。にい、と笑って、悪びれもせずにつまらないことを言う。 「朝が来たら明日ってことでいいのか?」 「……う」 「おやすみ、壱流。また明日」  竜司はパジャマの中から手を抜いて、壱流の上から退くとかさばる体を横たえて目を瞑った。  なんだか墓穴を掘った気がした。しかし今は本当に勘弁して欲しかったので、一旦保留にしてくれたのはありがたかった。  朝が怖かったが、今は眠ることにした。

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