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第15話 狂った人生設計

 朝目覚めたら、竜司は既にベッドの中にいなかった。ぎしぎし言う体をなんとか起こして広くもない部屋を見渡すと、壁に背を預けてギターをいじくっている男を見つける。音はしない。ただ無言で、弦を押さえている。形だけピックを握り、何かを考えるように真面目な顔をして、弦の上を指が滑る。 「竜司?」 「ああ、おはよう」 「……? 何してんの」  朝目覚めたら速攻襲われるかとも思っていたのに、竜司はちゃんと身支度を整え、テーブルの上には朝食が用意されていた。朝食と言っても、コンビニで買ってきたと思われる弁当とカップの味噌汁だが。  一人で行ってきたのか。  壱流がバイトしている間、竜司は一人になる。病み上がりだし、記憶喪失なものだから不安で彼をバイトなどにやれないのだが、一人にさせておくのもまた心配ではあった。しかし、「基本行動は忘れない」と言ったのはあながち嘘でもないようで、結構普通に生活出来るのではないか。 (でもやっぱ心配だ……)  壱流といる、と彼が言った以上、放置して何か起こったら自分の責任だ。特に責任感が強い方だとは思っていないが、この件に関しては無責任になれない。  自分を許すことが出来ない。  加害者ではないが、原因を作ってしまった。説明するのも実にくだらない些細なトラブルだったのに、相手が悪かった。自分の彼女がライブハウスで壱流のことばかり見ていて、気に食わなかったらしい。そんなこと壱流の知ったことではない。手を出したわけでもないのに理不尽だ。だがもう少しソフトに対応すれば、良かったのかもしれない。その時は壱流もテンションが上がっていたので、あまり良い対応をしたとは言えなかった。  危害を加えた男は、あの時捕まった。パトカーや救急車が来て大変だったあの夜。鮮明に覚えている。  サイレンの音。  血の匂い。  混乱。  目を開けない、竜司。  どくん  心臓が早くなった。  あの時のことを思い出すと、動悸がする。嫌な汗が出る。顔を強張らせた壱流には気づかず、竜司が軽く言った。 「ほら夜中さあ、ちゃんとギター弾こうかって話したじゃねえ。壱流歌いたいんだろ」 「え? あ、ああ……うん」  言われて、思い出す。確かに話した。壱流は気分を切り替え、強張った顔を一度ぺちんと叩いた。  竜司にギターを弾いてほしい。そして歌いたい。以前のように二人で演れたら、たとえ記憶が戻らなくてもなんとか持ち堪えることが出来る。欲情されて軽く流されてしまったのかと思っていた。ちゃんと聞いていたのか。 (それでギターいじくっていたのか)  音も出さずに。  さすがに朝っぱらからこの部屋でかき鳴らすことは対外的に無理だ。防音などではない。近所迷惑も甚だしい。 「結構、ギター思い出した?」 「触ってると、勝手に指が動く。……壱流、歌うか?」 「ここじゃ無理だよ。うるさいから」  クレームが来てしまう。しかし昨日みたいな短いフレーズではなく、ちゃんと弾かせてやりたかったのと、合わせて歌いたかったのもあって、壱流は少し考える。 (……しばらく顔も見せてないけど)  実家に帰ってみようか、とふと思いつく。壱流の父親は貸しスタジオのオーナーだ。帰れば、空いてれば使わせてくれる。それとも、連絡も寄越さずふらふらと放浪して、親不孝な息子だと怒鳴られるだろうか。  竜司が退院してから、南下していたはずの二人は移動するのを一旦やめ、比較的実家の傍に戻ってはきていた。帰ったって良かったのかもしれない。だがなんとなく、帰れないでいた。  ベッドからだるそうに這い出した壱流を見て、竜司は持っていたギターを放してテーブルに置かれていた弁当を手に取る。ささやかなキッチンに置かれた電子レンジに突っ込んで、やかんを火にかけた。 「夕べは悪かったな。なんか無理強いしたみたいでよ」  壱流の顔を見ずに、レンジの中でくるくると回っている弁当を眺めながら竜司が呟いた。後姿だと、傷痕がとても目立つ。それ以外は健康そのもので、逞しい背中は服の上からでもよく認識出来た。壱流は無言でその背中を見つめ、竜司がこちらを振り向くまでぼんやりしていた。  レンジが、ちん、と音を立てた。  沸騰したやかんのお湯をカップの味噌汁に注ぎ、食卓が出来る。一応の気遣いか全部竜司がしてくれて、顔を洗ってこいよと言われたので壱流は洗面台の前に立った。  顔を洗い綺麗に整えて鏡をじっと見る。濡れた前髪から雫がしたたり落ちた。ちょっと疲れていたが、まあまともな顔だ。 (可愛くは……ない)  自分の顔を検分して、壱流は夜中のことを振り返る。竜司に可愛いなんて言われたのも、初めてだった。何が可愛いというのか。どこからどう見ても、普通の男。真っ黒な瞳が印象的だと、誰かに言われたことはある。いい男に分類しても支障はないのかも、と客観的に見て思う。女受けの良い顔だ。だが女受けすれば良いだけであって、男受けしても困る。 「ま、いいか……済んだことだ」  竜司がしたいようにすれば良い。  ふと、首筋にキスマークが落とされているのに気づいた。 「うーわ、目立つ」  パジャマのボタンを外してみて、他にもないか確かめる。ぽつりぽつりと、鬱血した痕が残っている。他の誰かに見られたら嫌だなと思ったら、ちょっとブルーになった。 (見せる相手もいないか)  今は付き合っている女はいない。二人で放浪ばかりしていたので、そんな暇はなかった。たまにライブの後、ひっかけた女と寝たりすることはあったが、ここのところそういうのもなかった。竜司につきっきりだったから。 (……ストイックだ、実に)  竜司の科白が浮かんだ。  こんなことになる前に、女でもあてがっておけば良かった。性風俗店なんて本当に数えるほどしか行ったことはないが(男に生まれたからには一度は行っておきたいと思っていた)、病院生活で女ひでりだった竜司に、退院祝いとでも称していい思いをさせておけば良かった、となんとなく思った。  こんなの、今考えても遅い。  既に竜司にやられてしまった。久々に寝た相手が、竜司。  昨日ベッドに引っ張り込まれるまで、こんなこと予想だにしていなかったのに。バックバージンを奪われる日が来るなんて、人生設計になかった。8月のあの夜から、設計が狂いまくりだ。 (俺は竜司を、そういう意味で好きになれるだろうか?)  わからなかった。  寝てしまった今も、壱流の中の彼は音楽仲間の友達であって恋愛対象とは程遠かったが、竜司が壱流を求めるなら、努力はしよう。  自分の肌に竜司がつけたキスマークを指でなぞって、壱流はため息をついた。

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