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第17話 旧知

 自分達の出番までまだ20分ほどある。竜司がぎりぎりと鳴らしているギターの音を聞きながら楽屋で出番を待っていたら、部屋の外でノックが聞こえた。なんだろう、と思って立ち上がり、壱流はドアを開けた。 「あ」  あ、の形で固まった壱流の唇。予想していなかった来訪者に、しばしその顔をじっと見つめ、壱流は沈黙した。 「……うわあ。そういうリアクション傷つく」  ドアの外に立っていた旧知の人物、以前いたバンドでベースを弾いていた(なつき)は、困ったように壱流に微笑んだ。壱流よりもずっと線が細いのに、身長は少しばかり抜かされている。世にも綺麗な顔をした男は、開いたドアから遠慮のかけらもなく中に入ってきた。 「いや、ごめん。びっくりしたから。……一人?」 「ケンちゃん誘ったんだけどさあ、行かなーいって。多分竜ちゃんと会いたくないんだよ。ミニマムに見えっから。ははは」  ケンちゃんというのはやはり同じバンドにいたドラムスだ。懐と非常に仲の良い男で、壱流はこの二人よりも竜司を選び、バンドを抜けた。  仲たがいをして分裂したわけではないが、なんとなく気まずくなっても仕方ない。しかし懐は一向に気にした様子も見せず、ギターの手が止まった竜司に目を向けた。 「久しぶり」 「…………」  沈黙が返ってきた。  きょとんとしている表情に、壱流ははっとする。記憶を甦らせる為の一環として、以前いたバンドのことも懐のことも話には出ていたが、生憎写真は見せたことがなかった。きっと懐が誰だかわからないで、戸惑っているのだ。  竜司が記憶喪失だということは、自分と竜司の家族と医者以外、知らない。言いふらすべきではない気がした。記憶がないのをいいことに、あることないこと吹き込まれるのは困るし、説明するのも面倒だ。  竜司の沈黙に、懐の表情も若干曇った。 「……うわ。こっちのリアクションも傷つくわ。俺、もしかして招かれざる客?」 「や、違う違う。嬉しいけど……ごめん、ちょっと」  ぐいぐいと懐の腕を引っ張り、壱流は竜司を残し部屋を出る。 「なんだよイッチー」 「深い事情があって。……その、ごめん。なんか色々」 「は? 何に対して謝ってんの?」  廊下に出た懐は意味不明そうな顔をして自分のポケットを探り、煙草を取り出した。かちんと火を点け深く吸い込み、壱流にも一本差し出す。 「吸う?」 「いらない。やめた」 「煙草ってやめられるものなんだ?」  不思議そうに言った懐の横顔を見つめ、壱流は設置された自販機にコインを入れて、煙草の代わりにコーヒーのボタンを押した。以前は確かに吸っていたが、喉がいがいがするのでやめた。竜司も吸わないし、やめていらいらするほど依存していたわけでもない。 「懐……今、ボーカルってどうなってんの?」 「ああ? さっきのごめんて、そういう意味」 「うんまあ」 「俺が歌ってる。けど新しいのは常に探してるよ。戻ってきたいってんなら、俺はかまわないけど。……いや、誘ってねえよ? 好きにしてくれていいし。イッチーが竜ちゃん選んで駆け落ちしたって、もっぱらの噂だし」  コーヒーに口をつけようとしていた時に妙なことを言われ、壱流は固まる。口に入れていなくて良かった。噴くところだった。 (なんだその噂は。誰がしてんだ)  別にそんなのではない。ただ竜司が放浪の旅に出ると言ったから、一緒に歌いたかった壱流がついていっただけの話だ。駆け落ちなんかでは、断じてない。 「ギ……ギターは亜樹乃が弾いてるんだよな? あいつ元気?」 「あんた妹でしょーが。何他人事みたいに聞いてんだか」 「そうなんだけど」  実家に戻っても、亜樹乃のいる時間帯ではなかったので一度も顔を合わせていなかった。  そもそも亜樹乃が竜司を振ったりしなければ、放浪の旅なんてものに出ることもなく、記憶をなくすことも、更には妙な関係になることもなかった。二人になったのは後悔していないが、それを思うと妹に対し理不尽だとは知りつつも、もやもやとしたものが湧いて来る。  責任転嫁だと、わかってはいる。 「まあ普通に元気だけど。イッチーは? こっち帰ってきてんならさあ、連絡一本寄越してもいんじゃねえの」  別に怒っているわけではない、静かな表情で懐が軽く言った。 「……色々あってさ。余裕、なくて」 「深い事情ってなによ。竜ちゃんのあの妙なマ?」  不自然だった竜司の態度についてツッコミが入り、壱流はまた沈黙する。言ってよいものか、迷う。しかし招かれざる客だと思わせたままにしておくのも良くないし、とか考えていたら、懐が煙草を揉み消して、壱流をじっと見た。 「……イッチー。なんか色っぽくなってねえ?」 「はっ?」 「前からイロオトコだよなあとは思ってたけどさ、なんかちょっと見ないうちに艶が出たっつーか。ワックスでもかけたか」 「変わんないよ別に」  変わったつもりは、ない。  しかし、もしそう見えているのだとしたら、思い当たる節はある。欲求不満なのだ。出かけ間際に中途半端なところで止められて、最後まではしてくれなかった。ちょっとだけ、と言った竜司は、意地悪にも途中で壱流を放置プレイへと追い込み、燻ったままの体で早めの夕食を摂りに出かける羽目になった。  さすがにもう落ち着いたけど、と考えて、こんなにも竜司のやることに踊らされている自分にふと気づく。 (最後までしてほしかった……みたいじゃん)  無意識に、目が潤む。 「やっぱ駆け落ちだった?」 「――違うって。大体竜司は、亜樹乃に振られたからって、凹んでやめたんだよ? 聞いてないか?」 「それは初耳。……でも、ふうん、そうなの。そりゃまた無謀な」 「無謀ってなんだよ。竜司じゃ力不足ってわけでもないだろ? あいつ、いい男だと思うよ俺は?」  ついむきになった壱流に、懐は困ったように笑って、また煙草に火を点けた。 「駄目だよ。あいつ女の子にしか興味ないもん」 「……え」 「知らなかった? じゃあ、今のなし」  なし、とか言われてもなしには出来ない。  実の妹だが、そんなことは知らなかった。そういうことを話すほど、仲良し兄妹というわけではない。それで無謀なのか。壱流は虚しくなって首を項垂れた。 (えー……でも、じゃあ、俺長男だしなあ……)  自分が竜司とこんなふうになってしまったので、家のことは亜樹乃に婿でも取って貰ってお任せしよう、とかうっすら考えていた壱流は、それがどうも難しい問題だという考えに至る。けれど竜司を放っておくわけにもいかず、どうしたものかと悩んだ。 (この若さで一応家のこと考えちゃうあたり、俺って結構無責任でもないのかも)  そんなことを思ったが、今そのことについて考えるのはやめた。  先なんて見えない。  明日のこともわからない。

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