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第19話 ポケットの中の

 いつまでも楽屋に居座っているわけにもいかなかったので、途中で場所を移してしばらく三人で話した。また連絡すると言い残して去っていったまひるの姿を見送りながら、壱流は妙な疲れを感じていた。  ファミレスの片隅で、竜司と二人だけになる。時計はいつの間にか0時を回っており、頼んだドリンクもとっくに空になっていた。 「壱流、そろそろ引き上げよう」 「……そうだね」  億劫そうに立ち上がり、ポケットから裸の万札を取り出す。昨日引き出したばかりなので、ふところ事情は比較的暖かい。四つ折にされたそれをぼんやりと広げて、壱流はふと黙り込んだ。 「よしわかった」  ギターを持ち上げながら明るい声を出した竜司に、何事かとレジに向かおうとしていた壱流は振り返る。 「今日は俺が奢ってやろう。壱流ばっかに払わせるのは気持ちが悪い」 「いーよ別に。竜ちゃん今無職だもん」  もしかして万札を見つめる視線がせつなかったのだろうか。そういう意味で見ていたわけではないのに、と思っていたら竜司が機敏な行動で壱流の手から伝票を奪い、小銭入れからちゃりちゃりとコインを出してあっという間に支払った。 「竜司、金持ってたんだ」 「持ってた銀行のカード試しにATMに入れてみたら、若干の貯蓄があった。まあ微々たるもんだけどさー。でな、俺思うわけよ。いくら退院後だからっていつまでもだらだら壱流のヒモ状態でいるのは良くないって。だから、さっきの話は受けたらいい」  ファミレスのドアをくぐりながら言った竜司の後ろ姿を追いながら、深夜の冷えた空気に皮膚が引き締まる感覚を覚えた。  しかしふと立ち止まる。  何気ない会話の中に妙な点があるのに気づき、壱流は内心首をかしげた。 「銀行って、竜司! 暗証番号思い出したのか?」  カードだけ持っていったって引き出すことは出来ない。記憶の糸口のようなものを掴んだのかと、思いの外ブルーになっていた壱流はちょっと持ち直す。  けれど竜司の返事は期待していたものとは違った。 「いや……思い出してない」 「え、じゃあ。なんで?」 「壱流が留守の間に、暇だったし親のとこに顔出してみたりしたんだ。思い出すかなあと思って、昔のアルバムとか、見せてもらった」 「……それで?」  歩きながら、竜司の様子を窺うように上目遣いでその横顔をじっと見る。竜司は難しそうな顔をしながら、ケースに入ったギターをかたことと指で叩いた。 「他人事みたいなんだよな、全部」  壱流の表情が目に見えて曇った。  まるで思い出せなかったのか。竜司は竜司なりに、過去を思い出そうと努力していることは嬉しかったが、努力が実を結ばないのがもどかしく感じられる。 「で、親のとこに銀行印と通帳置きっぱなしだったから、それ貰って。暗証番号は、本人確認とかして変えてもらった。だから使える」 「そう……」  がっかりした。  しかし壱流があまり落胆の表情を見せるのは、竜司に対して早く思い出せとプレッシャーをかけているような気がして、すぐに笑顔を作る。  笑いたくない時でも、笑えるようになった。  それがいいことなのか悪いことなのか、壱流にはわからない。本当は不安だったりつらくなったりすることが多いのに、どうして笑えるんだろう。 「ほら、冷えるし帰ろう」  腕を引かれて、ふと我に返る。もう一つ話すべきことがあった。 「竜司、さっきの話だけど。あの、西野って女の。あれ、受ける気?」 「嫌か? だって壱流が送ったんだろ? いい話じゃん」 「だけど!」  どこか嫌そうな壱流の態度に、竜司は苦笑する。何故嫌がっているのかは聞かなくても察したようだ。しかし竜司的には一向に気にした素振りがない。 「誰も悪くない。それくらい、わかってんだろ?」  その頭に手が置かれて、ぐしゃぐしゃと壱流の髪を撫でた。 (誰も悪く、ない……)  壱流も、まひるも、悪くない。  怪我をしたのは竜司なのに、どうしてそんなふうにこともなげに言えるのだろう。覚えていないからか。  覚えていても、竜司は同じことを言うだろうか。  まひるが悪くないのは壱流も知っている。知ってはいるが、やはりわだかまりがある。沈黙してまた立ち止まった壱流に、目の前を行く男は軽く笑った。 「俺は壱流の為に弾けたら、なんだっていい。歌いたいんだろ」 (……あれ)  今、 (なんかときめいたりして)  どうしてか心臓が早くなった。  急にどきどきしてきたのは何故だろう、と壱流は歩きながら考える。  抱かれる時の感じとは違う、何か。 「しっかし寒いなあ。早く帰って温まろうな」  温まろう、と言われ、そういえば出かけに変なところで中断されたままになっていたのを思い出す。なんとなくポケットを探り、先ほど払い損ねた万札を指で確認した。 「竜ちゃん、あのさ」 「んー」 「えーと……違うとこ、行かない?」  言いづらそうに切り出した壱流に、速度を上げていた竜司の足が止まった。 「どこに? もう遅いだろ?」 「ベッド、狭いじゃん?」 「……は?」  竜司はきょとんとして、壱流の顔をじっと見つめながらしばし考える。自分で言ってから、壱流は急に恥ずかしくなって視線を外した。  何を言ってるのか。  竜司がしたいからそうなっているだけで、壱流からお誘いしたことはまだない。言外にたまには広いベッドで寝たいと表現したのだが、これはつまり壱流からのお誘いだ。  壱流はポケットから札を取り出して、呟いた。 「これで、お泊りしない? その……たまには」  言っている意味がわかったのか、竜司はびっくりしたように何度か目を瞬かせた。

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