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第20話 不確かなもの

 必要以上にどきどきしていたのは、男同士でこんな場所に来たことが初めてだからだろうか。何してんだろ、とぼんやり思いながら誰にも顔を合わさずに部屋を選び、二人で入った。 (知り合いに出くわしたら、どうしよ)  もし会ってしまったら、帰るのが遅くなったので仕方なく手近な場所に「単なる寝床」を求めたのだと言うつもりだった。竜司との現在の関係を明け透けに出来るほど、壱流は厚顔無恥ではない。  秘密な方が良い。  いつ竜司の記憶が戻って、この関係が解消されるとも限らない。 (……そうだ)  この関係は不確かなものだ。いつ終わるかわからない。普通の恋愛の終わりとは違う。気持ちがすれ違い、続けることが出来なくなって終わる関係とは、微妙に違う。  記憶を取り戻して欲しいと願っているのは本当なのに、戻った時に起こるであろうお互いの齟齬に、自分はきちんと対応出来るだろうか。  もし思い出した竜司が今の関係を受け入れがたく思ったなら、壱流はどうしたら良いのだろう。  その考えは何故かひどく動揺を誘った。  壱流は一旦考えを打ち切り、もどかしそうに服を脱ぐとお湯を張った広い浴槽に身を沈めた。 「竜司ぃ、風呂一緒に入ろ」  湯気の立ち込める浴室に、壱流の良く通る声が響いた。今借りている狭いアパートで一緒に入ったことなどなかったせいか、壱流が風呂に足を向けても竜司はついてこなかった。だがせっかく意を決してラブホまで来たのだから、広い浴槽に二人で入るのも悪くない。  部屋で所在なさげにあちこち見回していた竜司が、呼びかけに浴室のドアを小さく開けた。まだ、脱いでいない。  もうもうと湯気が流れてゆく。濃い霧の中にいる壱流の姿を見つけた竜司が、落ち着きのなさそうな声を出した。 「なあこういうとこって、俺来たことあるか?」 「え? ……さあ。わかんないけど、あるんじゃない?」  過去の竜司のそういう事情を、壱流が詳細に知るわけがない。しかし壱流でない他の誰かとなら、来たことくらいあるのではないだろうか。 (竜ちゃんだって本来ゲイなわけじゃないし、俺以外と寝たり、普通にするだろ)  けれどなんとなく、心がちりっとした。  嫉妬だろうか? と考え、まさか、と考え直す。どうして嫉妬しなければならないのだ。 「壱流は来たことあるか?」 「俺はまあ……適当に」 「ふうん」  呟いて、一旦ドアが閉まる。水蒸気に濡れたガラスの外で、大きな影が服を脱いでいるのがわかった。銭湯で一緒に入ったことはあったし、毎晩のように竜司の裸を見慣れてきたはずなのに、また少し、どきどきしてくる。 (なんか……俺、さっきから変)  本当に好きになってしまったのだろうか。  そう思おうとは努力してきたが、今は妙に心が浮き足立っている感じがする。  壱流の為に弾けたらと言われ、血迷ったのか。それとも単に、場所が場所だからだろうか。する為の、場所。自分が誘った。 (まあいいや)  再びドアが開いて竜司が入ってくる。逞しい体つき。入院していたとは思えない健康な体。腕にも腹筋にも綺麗な筋肉がついていて、同性でもちょっと見惚れる。  が、その視線が竜司の下腹部に降りて、釘付けになった。 「竜ちゃん……気ぃ早」 「や、なんかさっきから落ち着かなくて。収まんねえ」  前を隠すこともせずにシャワーを捻った竜司の立派なそれは、既に上を向いている。相変わらずでかい、と壱流は思わず目を逸らし顔をちゃぷんと沈めた。  やがてシャワーの音が止まり、水面が波立った。竜司の体積に水位が上がり入浴剤で淡く濁ったお湯が溢れた。当然のようにぐいと体を引き寄せられる。 「壱流、触って」  お湯の中で抱き締められて、手を誘導された。言われるままにそこを軽く握ってやり、指を這わせる。壱流の手の中で脈打っている硬い感触に、腰の辺りがず きずきと疼いてきた。 (うわ、どうしよ……)  自分の体の変化に今更ながら困惑する。女相手でしか欲情なんて出来なかったのに、今は自主的に竜司に抱かれたがっている。  もしこの関係に終わりが来た時、自分は以前の体に戻れるだろうか? 竜司なしでいられなくなったら、どうしよう。  戻れなかったとしても、違う男とそうなるなんて考えられない。  別に男を好きなわけではないのだ。それともしばらく我慢すれば、体に刻まれたこの感覚も忘れるだろうか。  じりじりと体を動かした壱流に気づき、竜司は小さく笑んで物欲しそうに軽く開いた唇にキスを落とした。  温かい舌が触れ、口の中を優しく舐められた。 「壱流のここ、すげえ挿れて欲しそうなんだけど」  疼いているところを指先で探られ、直接言葉にされて恥ずかしくなる。否定も肯定も出来なくて、壱流は目を瞑りキスを返した。自分からしたキスは、これが初めてだった。  探っていた指がそのままゆっくりと壱流の中に入ってきたので、竜司のものを握っていた手の力が抜けた。指に侵されて反応しているのを見られたくなくて、濡れた胸板に顔をくっつけた。  体の水分を柔らかいバスタオルで拭って、アパートに置いてあるベッドとは格段に大きさの違うベッドに裸のまま寝転がる。静かな部屋は居心地が悪かった ので、枕元のスイッチを弄くって適当な音楽をかけようとしていたら、竜司に腕を掴まれその体の下に引き込まれた。 「今日は隣気にして声殺さなくても平気だぞ」  普段から壱流が非常に気にしていることを指摘し、竜司はにやっと笑みを見せた。  風呂の中での愛撫で火照った壱流のあちこちにキスを落としながら、ライブの前に途中で中断されて欲求不満だった体を弄ぶ。 「壱流の、こんなぬるぬるになってる」 「……仕方ないじゃん」  竜司は楽しそうに体勢を入れ替えると、後ろ向きに跨ってぱくんと壱流を口に咥え、先端から溢れてくる雫を舐め取った。壱流の口元に、人のがどうのと言えないくらいの状態になっているものがあって、若干戸惑う。 (もしや舐めろということか?)  少し躊躇ったが、同じようにそれを口に含む。  大きくて、苦しい。それでも頑張って舐めていたら、また竜司の指が中に入ってきたのでびくりとした。  何度も体を重ねて、壱流が気持ち良いと思う場所を探り当てて攻め立てるのが上手くなった。膝が震えて息が上がり、更に苦しくなって思わず口を離す。 「竜ちゃ……、も、許し」 「もう挿れて欲しいのか?」  こくこくと頷いて、再び体勢を入れ替えた竜司にすがりつく。壱流をこんな体にしてしまった竜司の責任は重い。最初は血を吐きそうなほどの葛藤があったのに、今は竜司が欲しくてうずうずしてる。 (好き)  こんなふうになるなんて、知らなかった。 (大好き)  好きになろうと、受け入れようと自分を無理に誤魔化していたつもりだったのに、本当に竜司をこんなふうに好きになるなんて、思わなかった。  心のどこかで「本当は違う。竜司は友達だ」という意識があったのに、好きだと言われ抱かれて、手放せなくなってしまった。  けれど今の竜司は、本当の竜司ではない。  それがいつかはわからないけれど、思い出す時がきっと来る。  嬉しいことなのに、それは怖い。自分が何を望んでいるのか、わからない。 「もし……竜司が、」  熱に潤んだ瞳で、壱流はぽつりと言った。 「全部思い出しても……っ」  熱い感触がゆっくりと押し入ってきた。圧迫感と気持ち良いのが交じり合って、上手く言葉が出ない。  途切れた壱流の声に、竜司は腰を引き寄せながら苦しそうな顔をじっと見つめた。 「どうした?」 「……俺のこと、好きでいてくれる?」 「俺はずっとずっと壱流が好きだ」  深く穿った感覚に、喉から甘さを含んだ声が零れた。  悲しくないのに、泣きたくなった。

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