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第22話 モラルに欠ける

 進みの遅い夕食は完全に放置されていた。壱流はテーブルにぺたんと左頬をくっつけ、あらぬ方を見ている。その視線を追った先には電源の落ちたTV。静かな部屋。沈黙に耐えかねて、俺は壱流を促した。 「もっと歯切れよく説明しろよ」 「全部説明しろって?」 「溝作りたくないんだろうが」  説明するのが面倒なのかもしれない。今溝を埋めたところで、俺はまたいつリセットされてしまうかわからない。  それでも、今現在の溝くらい埋めることは出来る気がする。俺が自分自身を殺してくれなんて言う性格ではないことは、俺が知っている。どうしてそのような事態に陥ったのか、知らないままでいるのは気持ちが悪かった。  しばらく反芻するように壱流は目を彷徨わせていたが、やがてくっつけていた頬をテーブルから放し、やっと俺の方を向いた。 「昨日までの竜司は、俺のことめちゃくちゃ好きだった、っていうのはとりあえず信じるか?」 「……今も別に嫌いじゃねえぞ? ダチとして普通に好きだぞ」  何を言わせるのだ。改まってこんなことを言うのは実に恥ずかしい。けれど壱流はそんな俺の内心などそ知らぬ顔で切り返してきた。 「そうじゃなくて。……まあいい。それが前提。でさ、俺は過去竜司が何度も記憶なくして、そのたんびに感情を振り回されてる、というこれまでの経緯があって。そんな中で案外デリケートな心に傷を作りつつ、こんな壱流くんが出来上がりました」 「ふざけてんのか」 「バレた?」  壱流は微妙に唇の端を歪め、微笑んだ。  口調はふざけていたが、目はふざけていなかった。怖いくらい真面目だ。 「あんまり深刻に語るとブルーになっちゃうから」 「いいよ別に。ブルーになったって。で?」  ちょっといらっとした俺に気づいたのか、壱流は一旦立ち上がりキッチンの方に消えた。一分も経たないうちに戻ってきたその手にはビールの缶が二本握られている。アルコールでも入らないとしゃべれないのか。  まあいい。  置かれた缶を開け、俺は口をつける。冷えたビールはほろ苦くて旨かった。同じように開けようとしている壱流を何気なく見て、包帯に目が行った。先ほどの切り傷が脳裏をよぎり、自然に眉が寄る。その缶を壱流から取り上げて開けてやった。 「開けられんのに」 「なんとなくだ」 「……どおも」  プルトップの開いた缶を受け取り、壱流はどこかはにかんだような表情を浮かべた。 「で? 続きは」  急かした俺に、ビールを一口飲んでから壱流はまた先ほどと同じ内容を呟いた。 「昨日のことだけを説明するなら、殺してくれって、言われた」 「だからなんで」 「……いつ竜司が消えんのかわかんなくて嫌なら、いっそ俺の手で殺してくれていいって。俺の手首掴んでさ、竜司、自分の首絞めさせた」 「俺があ?」  不可解な声を出した俺に、壱流は困ったようにため息をついた。 「事実だけを述べてます。話の腰折んなよ」 「あ、わりぃ」  しかしついつい口出しをしたくなってしまう。  どうして俺が自分の首を絞めさせるのだ。たとえ殺してくれていいと思ったとしても、そのあと壱流はどうなる? 殺人犯の出来上がりだ。どういう思考回路をしているのだ、昨日までの俺は。 「モラルに欠けてるって言ったよな? なんてゆーかさ、昨日までの竜司はとにかく、その時その時の自分に忠実で。俺を好きなら性欲の赴くままにやりまくるし、その大好きな俺が辛いなら、原因である自分を取り除こうとかも、普通に考える。そのあとのことなんて、どうでもいいんだよな。後先考えてない。残された俺がもっと辛いとか考えない。短慮って言ったら短慮。まあ、そういう奴だった」  呆れたような口調。俺も壱流の話している男に対し、微妙に呆れた。  世間体や常識に縛られていないのか。  それはどこか羨ましい気もした。  自分の好きなように生きて、死のうとしていたのか。別に死ぬのは羨ましくないが、きっと消えてしまった俺にとってそんなのは瑣末な出来事でしかなかったのだろう。  その時壱流に殺されても良いと思ったなら、そこで本当に死んでしまっても良かったのか。  そんなに好きだったのか。  けれど、やはり短慮だし浅はかだ。 「今思うに、いつ消えるかわかんない自分だからこそ、その時の感情を優先させてたんかな、とか……」 「はた迷惑な奴だな」 「竜ちゃんのこと話してるんだよ」  ぴっ、と俺の鼻先を指差して、壱流は軽く笑った。アルコールのせいか、若干ご機嫌が直ってきた気がする。しかしその指はすぐにテーブルに下りて、ため息が洩れた。 「俺ん中でさ、竜司のアレが萎えてくのがわかんの。挿れっぱなしで首なんか絞めさせるから、このまま死んじゃうのかっていうのがすごいリアルで、だからすごい悲しくなって。……手ぇ、離した」 「いきなり何言ってんだ」  唐突に妙なことを口にされ、俺は動揺した。  もしかして.5というのはこの首絞めプレイで中断された分を言っていたのだろうか。  ……いや、別にプレイじゃないだろうけど。  何を考えているのだ俺は。ちょっとくらくらしている俺を尻目に、壱流はまたビールを流し込んだ。 「と、ところで……流血後のアルコールって、どうなんだ?」 「どうなんだろうな。よくないかも」 「もうやめとけ。なんとなく昨日のことはわかったからさ」 「信じてくれるんだ?」  ことんと缶をテーブルに置いた壱流が、俺の目をじっと覗き込んだ。  まただ。  この印象的な黒い目に、引き込まれそうになる。  今の俺にとって壱流は友達であり恋人ではなかったが、見つめられると不思議な気分になるのは何故だろう。  以前からこうだったろうか。それとも壱流の視線が、以前とは異なった性質の物に変わってしまったのか。  消えた時間の中で深みを増した黒。綺麗な闇の色。 「……信じてやるよ?」  なんとか返事をした俺から、壱流はゆっくりと視線を外した。  ゆうべ、こいつに記憶だけを殺された俺は満足だったのだろうか。  それとも現状を知ったら、後悔するだろうか。結果的に壱流はまたリセットされた俺に出会ってしまったわけで、なんの解決にも至っていない。  実に短慮だ。 「なあ、真田……」 「――ん」 「俺のこと、どう思ってたんだ?」  無意識に苗字で呼んでしまったことに気づいたが、壱流は特に指摘しなかった。 「どうって?」 「いや、だから。昨日までの俺は、おまえのなんだったんだ? って」  恋人、という返事が返ってくるのかと待っていたが、壱流はちょっと考えてから、椅子から腰を上げた。 「さあ。俺にもわからない」

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