23 / 37
第23話 記憶のかけら
今夜はまひるのところで寝る、と言い残して壱流はいなくなった。もしかしてまた俺と一緒のベッドで寝てしまったりするのだろうかとうっすら考えていた俺にとっては、肩透かしを食らうと同時に安心もした。
すぐ隣にあるまひるの住む部屋で壱流が何をしようと、俺には関係がない。仮にも結婚しているのだから。普通の夫婦じゃないことも思い知らされてはいたが、考えても仕方なかった。
一人部屋に戻り、棚に入っていたディスク類を漁ってみる。今まで出演した番組の録画やMVなんかが整理されていた。
思い出せたら良いのにと、適当にラベルの貼られているそれらをいくつか眺めていたら、奥の方の目立たない場所に、明らかに浮いてるパッケージを発見する。見事に頭の禿げ上がった老人が、扇子を持って座っている。
「――落語って」
何をこそこそと隠してあるのだろう。
俺が買ったのだろうか。落語がどうとか言うわけじゃないが、俺の趣味ではない。俺が知る限り、壱流も特にそういう趣味はないはずだ。ここは俺の部屋だし、壱流がこっそり置いてゆくわけもないだろうと、なんとなくそれを開けてみた。
「……ん?」
どんな趣味だったんだ過去の俺、という興味から開けてみたのだが、つや消しホワイトの円盤にパッケージのタイトルは印字されていない。無印のディスクだ。
表面にマジックで『壱流には見せないこと』と俺の字で書かれてある。
……なんだこれは。
今落語を鑑賞する気力はなかったが、ふと気になる。
俺は記録を残してはいなかったか。
先ほどの疑問がまた湧いてくる。
もしかしてこれは俺の『記憶のかけら』ではないのか。
そう思ったので、テーブルに置いてあったノートパソコンの電源をオンにして、ドライブに挿入した。
きりきりと音を立てて回り出すディスク。中身を確認すると、いくつかのファイルが入っている。ファイル名は『20**1005』、『20**1220』……などとある。これは明らかに日付だ。
日記……とか。
少なくとも落語ではない気がする。一番古い日付のファイルをクリックすると、すぐにアプリケーションが立ち上がった。
「――う」
開いてみて、思わずがっくりした。
いきなり始まった男女の濃厚な営み。……落語と思わせておいて、思いっきりAVじゃねえか。
期待させやがって俺! 趣味のエロ収集か!? とか憤りを抱きつつも、ついついうっかり見入ってしまう。
どんな罠だこれは。わざとらしいほどに甘ったるい女のあえぎ声にちょっと股間がじりじりしてきた頃、急に映像がすり替わった。
……画面の中に、俺がいる。
「また罠かよ」
俺がAVに出ている、というわけではない。映っているのは俺一人で、場所は多分今いるこの部屋だ。
『おい、壱流は見てねえだろうな』
映像の中で、俺が言った。
『もし壱流がこれ見てるんだったら、ここで止めろ。見たら駄目だぞ。二度と抱いてやんねえ』
……恥ずかしげもなく何を言ってやがる俺。
こんなの撮った覚えは勿論ないが、壱流が興味を持ちそうにないパッケージに仕舞い、ファイルには周到にも頭にAVを仕込み、これは落語DVDに見せかけたただのエロ収集ですよ的雰囲気を醸し出してまで、壱流に見られたくないのか。
やはりこれは俺の『記録』だ。
別に見られたっていいじゃないか。何をしゃべるんだろう、俺は。
じっと待っていたら、画面の中で『俺』がちらりとドアの方を一度気にしてから、またこちらを向いた。
『文字だと改竄だのなんだの、余計な考えが混じって伝わんねえかもしれないから、ビデオ撮っとくよ。どうせまたいつか忘れるんだろうから、とりあえず今の俺のことしゃべっとく。
俺は怪我してから数えて四度目の入江竜司。昔のことを覚えてる、一応のオリジナルって言ったらいいんかな。一度目と三度目の俺は、便宜上“竜司B”ってことにしとこうか。
こいつのことは覚えてないけど、真田……壱流が言ってるのを鵜呑みにするなら、Bはあいつに依存しまくりのベタ惚れ状態だったみたいだなあ。とりあえず信じてやることにする。嘘をつく理由もねえしな。
……今これを見てる俺は、オリジナル? それともBか? あるいはまた違うバージョンが出来てたりするのか? 壱流との間合いの計り方に戸惑ってたりするか?』
俺に語りかける『俺』に、多分オリジナルだ、と心の中で呟く。
昔のことは覚えている。壱流に依存しているわけでもない。そして言うとおり、間合いの計り方に戸惑っている。よくわかってるじゃないか。
『三日前、壱流がリストカットなんかしやがった。多分初めてだ。これまで目立った傷なんて気づかなかったし……初めてだと、思う。血がいっぱい出ててさ、見てらんなかった。なんであんなことしたんだろう、痛ぇだろうによ。
……でも多分、俺が悪い。
壱流を振り回してるんだろうなって、すげえ思うよ。
忘れるのは俺の意思とは別だけど、それに付き合う奴の心中は複雑だろうし。それでな……うーん、非常に言いにくいけど、』
一旦言葉が途切れる。『俺』は本当に言いにくそうに数秒沈黙して宙を見つめたが、やがて言った。
『えーと……昨日あいつと寝てみた。最初はそんな気なかったんだけど、まあ色々』
……。
寝たってのは、単なる睡眠じゃないよな。
オリジナルである『俺』が、壱流と寝たっていうのか。まあ色々って言われても、何が色々なのだ。はっきり言ってくれないと、忘れている身の上には不親切極まりない。
『あのな、とりあえず言っとく。食わず嫌いは良くない。もしこれを見てる俺が壱流をそういう目で見れない男だったとして、……まあその可能性は充分あるんだけど……だったとしてもさ、一度抱いてみてから決めれば? っていうのが、今の心情だ』
なんだそれは。やってみたら案外具合が良かったとかって、急に方針転換でもしたのか? 性欲が勝ったのか?
『いや、単なる下心からそう言ってるわけじゃなくて』
俺が今思った疑惑を絶妙のタイミングで返してきたので、ちょっとびっくりする。
さすが俺だ。考えることは同じか。
『――あんま、プレッシャーとか感じなくていいと思うんだ。別に壱流の恋人になってやろうとか、思わなくていい。だけど……そうだなあ、単純にセフレってのとも微妙に違う。よくわかんねんだけど、まあ、やってみたところで、そう悪い変化は起きない。むしろ好転する気がする。どうだろうか、俺よ』
どうと言われてもな。
俺は正直困惑して、眉間に深くしわを寄せた。壱流と寝てみるったって、体が反応するかどうか自信がない。覚えている限り男としたことなんてないし、したいと思ったこともない。ましてや壱流は友達だ。
『あいつが言うには、』
俺の考えを見抜いているのか、『俺』が付け加えた。
『壱流をあんな体にしたのは、どうも竜司Bの仕業らしい。壱流は多分、男は俺しか知らない。あいつは結構プライドが高い。体が疼くからってあっさり他の男を見繕える奴じゃない。二度目の俺がオリジナルだった時、壱流はそれなりに嬉しかったみたいだけど、体の方はもう俺なしじゃ駄目なくらいになってて、……それでも三度目のBが現れるまでは、そういうのはなかったみたいだぜ?』
画面の中の『俺』は、ちょっと困ったように笑んだ。
何が言いたい。
壱流を抱いてみろってか。
『あいつが辛いのは、見ててこっちが辛い』
血を流すのは見たくない。
考えてもみろ。
一度そういう体にされてしまった壱流が、リセットされた状態の俺と、怪我する以前のように純粋な友達として付き合うことの不自然さ。抱かれるのが当たり前になってきていたのに、急にそれがなくなる。それでも無理して元の関係に戻ろうと努力しただろうに、努力が報われた頃再びBが現れる。
映像の『俺』が言っているのか、現在の俺が思っているのかわからなくなってきた。映像の中の『俺』は俺とほぼ同一だ。わからなくなっても無理はない。
その時壱流の感情はどう動くだろう。
結構あいつは努力をするタイプだ。自分の感情も、努力でなんとかしてきたんだろうと思う。けれど頑張っても頑張っても、不意に現れる違う俺に翻弄される。
不毛さに眩暈がしてくる。
俺が壱流の立場だったら、嫌すぎる。
いつの間にか映像が止まっていた。
次のファイルを開けるのが億劫になって、俺はディスクを落語のケースに戻し、パソコンの電源を落とした。
ともだちにシェアしよう!