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第24話 わだかまり

 ベッドに乱れたまひるの長い綺麗な髪をさらりと指先で撫で、壱流は不満そうにひと房ちょんと引っ張った。 「髪、切れよ」  小さな呟きがよく聞き取れなかったのか、裸のまま転がって煙草を吸っていたまひるは壱流に振り返る。 「なんか言った?」 「髪だよ。切らなくてもいいけど、その髪型はやめてくれ」 「えー。せっかく綺麗に伸ばしたのに」  壱流が自分のこの髪型をあまり気に入っていないことは、まひるもうすうす気づいてはいる。以前妹だと言って見せられた写真は、今のまひるのような髪の美少女が写っていた。それにイメージがダブるのだろう。  壱流は妹を特に嫌いというわけではない。  ただ亜樹乃は、竜司が好きだった女だ。それがひっかかっているのかもしれない。 「入江くんの記憶の足がかりになるかもって、してるんだけどなあ」 「そんな気遣いはいらない」  拗ねたようにそっぽを向いて、シャツを裸に羽織る。左手首に巻かれた包帯が少しゆるんでいるのが目に留まり、まひるは手を伸ばした。 「巻き直したげよっか?」 「……必要ない」  まひるの手から逃れ、壱流は自分で包帯をほどき始める。生々しい傷口が現れた。消毒の匂い。乾いた血が白い包帯を汚していたが、出血は一応止まっている。 「女には優しいんじゃなかったっけ? 少しは素直になればいいのに」  つれない壱流に軽く笑って、まひるは煙草を揉み消した。  この部屋でも空気清浄機は稼働中だ。紫煙がそこに吸い込まれて、少しばかりうるさい音を立てている。まひるは普段はほとんど吸わないが、セックスのあとは煙草が欲しくなる。  相変わらず避妊のヒの字もない男だ。自分が相手だからまあ良いが、もし他の女とどうこうなった時もこうだったらちょっと困る、とまひるは思っていた。  妊娠した時、壱流はあまり迷いもなく籍を入れると言ったけれど。  そこに愛情は伴っていない。まひるも壱流を「夫」として愛しているわけではない。自分の担当するアーティストとして、愛している。彼らを傍で見守り、いかに商戦に勝つかということを考える。だから本当は結婚も、しない方が良かったのかもしれない。 (もしかして壱流、子供欲しいのかなあ……)  以前壱流の子供を堕ろしたことがあった。  あれは壱流には無断でやったことだが、まひるとしては子育てなんかより仕事の方を優先させたかったし、ZIONがデビューして軌道に乗ろうとしていた時だったから、産む気など毛頭なかった。 (無言だった)  怒りもしないで、自分の子がもうこの世にはいない現実を壱流は受け入れた。けれど内心はどうだったのか。傷ついたのだろうか。普通こういう時ダメージが大きいのは女だ。一生付きまとう。婦人科にかかれば結構な確率で堕胎経験の有無を確認される。  けれどまひるはあまり気にしていない。産んであげられなかった子供より、今の自分を優先させる。 (結局ナマでヤったところで妊娠なんかしないんだけどなあ)  壱流には言っていない。  そう何度も産む気のない子を妊娠するほどまひるは馬鹿ではない。壱流が避妊してくれないから、ピルを飲んでいる。けれどもし彼が子供が欲しくてそうしているのなら、きっとがっかりするだろう。 「ほら、貸して? 巻いたげる」  壱流は苦虫を潰したような顔で、ほどかれた包帯をまひるに渡し手首を差し出した。差し出されたまひるは、壱流の痛々しい傷にため息をつく。 「ねえ壱流。これ何回目?」 「覚えてないよ」 「最初に切ったのって何が原因だったんだっけ。聞いてなかったよね。それまで入江くんが記憶なくしてもさ、リスカなんかしなかったじゃない?」 「……言いたくない」  くるくると包帯を直されながら、壱流は心底嫌そうに顔を歪めた。きちんと巻かれたのを確認すると、すぐに布団に潜り出しまひるに背を向けた。 「シャツ、しわになるよ」  無言の背中に人差し指で触れながら、まひるは苦々しく微笑んだ。裸の胸を押し付け、うしろから壱流を抱き締める。  拒否はされない。竜司と寝たりしても、壱流は基本的に男が好きなわけではない。  竜司とのことがなければまっさらのストレートだったろうし、他の男とおかしなことになったことも、まひるが知る限り一切ない。 (可哀想な子だなあ、壱流は)  きゅ、と腕に力がこもる。  壱流が拒まないなら、ずっと一緒にいるつもりだった。  竜司が怪我をしたあの時から、ずっとわだかまりがあった。再び出会って一緒に仕事をするようになってからも、ずっと。  出来ることをしようと思った。  壱流が寂しければ癒してあげるし、気持ち良いことだってしてあげる。恋愛感情とは違う。同情でもない。これは仲間意識なのだ。  入江竜司という存在でつながっている。  だからもし竜司がいなくなったら、自分達の関係も破綻するだろう。 「ねー、壱流……ここ、可愛がってあげよっか? 前立腺マッサージ」  竜司にしか預けていないであろう場所に指を滑らせ、壱流の反応を待つ。妙な感触にぴくりと動いた体がこちらを向き、「やめろ」と短く言った。 「入江くんのしか、欲しくないんだ?」 「……そーだよ」 「あたしには舐めさせるだけで、挿れていいのは壱流のココだけなんだ?」 「なんなんだまひる……やけに絡むじゃん」  むくりと起き上がり、壱流は尚も不機嫌そうに髪を掻きあげてベッドから這い出した。床に脱いだ服を着始めて、帰ろうとしている。 「あたしには本心吐き出してくれていいよ? フラストレーションたまるでしょ。他の誰にも言えないでしょう?」  優しく笑んだまひるに、ボタンを留めていた壱流が嫌々振り返る。しばし無言でまひるを見つめ立ち尽くしていたが、やがてベッドの縁に腰を下ろした。 「初めて手首切ったのは、竜司じゃない男と試したあとだよ」 「……えっ、そうなの!?」  いきなり言われてまひるはぎょっとした。  まさかそんなことしていたなんて知らなかった。壱流が逐一報告するような男ではないのは知っているが、他の男と寝たことがあるなんて思ってもみなかった。 「最後までは無理だった。すげ吐きそうになって、自己嫌悪して、死にたくなった。竜司じゃないと駄目なんだって思ったけど、当の竜司はノンケに戻ってるし、どうしたらいいかわかんなくなった。……気づいたら、手首切ってた」  淡々と告げた壱流の横顔を見ながら、こんなにかっこいい男なのになあ、可愛いなあ、とまひるはぼんやり思った。  出会った頃よりずっと、壱流はかっこよくなった。大人の男の色気も出てきた。  竜司が記憶をなくすたびに生じる心の軋轢。  壱流はどこか微妙に壊れている。  頑張りすぎて精神のあちこちに亀裂が入っている。  けれどその奥底の知れない感情が、彼の歌い方に多大なる影響を与えている。因果だと思う。けれど確実にその葛藤が真田壱流をボーカリストとして高めているのだ。  それは良いことなのだろうか。 (まさに一流ってとこか)  完全に壊れない程度に、葛藤してくれて良い。  そんなことを言ったら壱流はどのような反応を示すだろう。怖くて言えなかった。 「どうしてまひるは俺と一緒にいる? マネージャーの域超えてるだろ、こういうの」 「――え?」 「それとも竜司といたいだけか。あいつとヤリたいか?」  伏せ目がちの顔を向け呟いた壱流の唇に、まひるは身を起こして口づけた。  嫉妬してるのか、壱流は。  竜司を好きかもしれないと思ってるのだ、きっと。  罪悪感が、恋愛感情に変わりそうになったことは確かにあった。けれど違う。そんなんではない。 「髪、切ってくるよ。明日」  壱流が誤解するようなこの髪型も、そろそろやめようと思った。

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