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第27話 破壊と再構築
四度目の竜司に会った時、壱流は二週間くらいはなんとか単なる友達として接してきた。過去の記憶しかない竜司が困らないようにと色々な情報を提供し、なんとか一緒に仕事が出来るようフォローに回った。
仕事が終わったら速攻で現場を去る。他人との余計な接触は必然的にボロが出る。竜司の記憶に障害があるなんて、周囲に知られたくなかった。細心の注意を払い、仕事に挑む。
生番組も極力出ない。竜司は平気だと軽く言うが、何か突っ込まれた時に対応出来ないかもしれないという恐怖が壱流にはある。生で演奏するのは、ライブ会場だけだ。
これだけは譲れない。観客の前で歌うのが好きだ。自分からこれを取ったら、つまらない男でしかない。
歌っている時は記憶があろうがなかろうが、ギタリストの入江竜司として捉える。友達でも恋人でもない、一緒に音楽を作り出すギタリストとして認識する。
竜司が弾けなくなったら、きっと今よりも辛い。いくら記憶をなくしてもギターを忘れないでいてくれるから、なんとか持ち堪えることが出来たのだ。
それでも、体は疼く。
やりたくて仕方ない。女じゃ足りない。他の男で手を打とうという案も、なかなか浮かばない。
三度目の竜司に会った時、ものすごい努力をして友達に戻ったにも関わらず、また性懲りもなくあっさり抱かれて、あっけなく堕ちた自分に嫌気が差した。
けれどそう思ったのは最初だけで、やはり慣れてしまえば感情も麻痺する。久しぶりに抱かれた夜は、肉体的に満たされたし、一時的とは言え安心もした。
(すっかり淫乱……)
最初の竜司を、そういう意味で好きだと思ってしまった。
好きになろうとして抱かれるうちに、気持ちが変化した。自分の気持ちを完全に無視して友達に戻れたと思ったのに、それが壊される。
破壊と再構築、そしてまた破壊。それの繰り返し。
壱流の努力はどこまでも虚しい。
だから竜司に対し、それがどういう「好き」であるのか、次第に考えたくなくなってくる。友達として好きなのか、自分を抱く唯一の男として好きなのか、わからなくなってくる。
(だって好きになっても、竜司は忘れる)
覚えていることが、出来ない。ふとしたきっかけで、記憶をなくす。
二度目の竜司が現れたのは、怪我してから丁度一年経過した8月の夜だった。
一年近くも、竜司に抱かれていた。もう二度と以前の竜司とは会うことが出来ないかもと諦めながらも、その関係に身も心も馴染みすぎていた。
友達じゃない関係でも、記憶が戻らなくても、壱流にとっては大切な存在だった。それなのに、竜司は記憶を取り戻し、忘れていた間のことは綺麗さっぱり水に流した。
せめてその間のことも覚えていてくれたら、良かったのだ。
どこまでもストレートだったはずの自分は、竜司によって変えられた。
自分を抱く竜司がまた消えた時、二度目の時と同じように努力をしなければならないかと思うと憂鬱だった。常に不安が付きまとっていた。
体が寂しくて、まひると寝ることもあった。彼女は自分と竜司の関係も熟知していたが、それでも受け入れてくれる貴重な存在だったから。恋愛感情とは違うが、それはまひるにとっても同じだった。他の誰かと恋愛などしている暇も心の余裕もなかった。
だからまひるが妊娠した時、籍を入れることに迷いはなかったし、まひるも拒んだりしなかった。
妹が女の子にしか興味がないのだと聞いてから、せめて自分くらいは結婚して子供を作っておいた方が良いと、なんとなく思っていた。けれどその相手は、竜司とのことを知っている女の方が都合が良い。竜司を放っておくわけにはいかない。
(だからまひると結婚したのに)
子供が出来たら、まひるをちゃんと好きになれるかもしれないとうっすら期待もしていた。
(そしたら楽になれる気がする)
それは自分の置かれた立場からの現実逃避だと知っていたが、産んで欲しかった子供は生を受ける前に死んだ。壱流の了解も得ずに。それは結構きつかった。文句を言っても戻ってこないと知っていたから、何も言わなかったけれど。
エゴイズムはどちらにあったか。今でもわからない。
四度目の竜司に会った時、壱流はかなり精神的に無理を強いていた。
二週間もぐつぐつとしている自分の憂さを晴らそうと、珍しく一人で飲みに出かけた夜。壱流が出向いたのはゲイが集まるような店ではなかったし、そういった場所に赴こうという考えも思いつかなかったのだが、カウンターの端っこで飲んでいたら、同じく一人で来ていた男にナンパされた。
竜司に抱かれたいと強く思っているのが、妙な雰囲気を作ってしまったのだろうか。おかしなフェロモンでも垂れ流していたのかもしれない。
「ZIONの壱流くんに似てるね」
30代の半ばくらいに見える、いかにも会社帰りのサラリーマン風の男だった。壱流の手元に置かれた、ほんの少し底に残っているマティーニのグラスを見て、男はバーテンに代わりの酒を注文して奢ってくれた。
それなりに自分の顔が世間に露出している自覚はあったから、伊達眼鏡をかけていた。似ている、と言われても、本人ですなんてわざわざ申告したりはしない。面倒だ。
「ああ、たまに言われますよ」
そう答えた。
「声も似てるなあ。普段何してるの?」
馴れ馴れしい男の態度を若干不審に感じながらも、適当にフリーターなどと答えたのを覚えている。男は名前を尋ねたりはしなかったし、自分も名乗らなかった。少し酔いが回ってきた頃、カウンターの下から男の手がじりじりと伸びてきて、壱流の腿に触れた。
「――なにして」
アルコールで潤んだ瞳を向け、抗議交じりの声を上げる。男はにこりと笑みを浮かべ、そのまま細い腰の方へ手を移動させた。
「おいしそうな体してる」
「触んな」
拒否とは裏腹に、その手つきに体が反応する。壱流は眉をしかめ、何を大人しく触らせてるんだ、俺は馬鹿かと内心毒ついた。
「欲求不満そうに見えたんだけど。……今も、すごく、そんな感じ。そんな潤んだ目で僕を見つめてくれちゃって、実は誘ってるんじゃないの」
訳知り顔で微笑む男がうっとうしくなって、その手をばしんと叩き落す。そんな感じってなんだ。何がわかる。誰が誘った?
……けれど、ふと思う。
もし竜司じゃない男でも、性欲満たしてくれるなら。そしたら我慢してこんなに苦しむ必要はない。その場限りでも、疼いている体を癒してくれるかもしれない。
普段考えないようなことを考えたのは、アルコールのせいだったろうか。
ちょっと黙り込んだ壱流に、男は相変わらず笑顔のまま、また腰に手を伸ばしてきた。
「気持ち良いこと、してあげるよ。……出ようか?」
その手を受け入れたと判断したのか、男はやんわりと言って壱流を促した。
コインパーキングに停めてあった男の車の中で、一体俺は何をしてるんだとぼんやり思いながらも、ジッパーにかかった指を止めることが出来なかった。
まさかこんなところで始める気だろうか。
あるいはこの男の運転で、どこかに連れ込まれたりしてしまうんだろうか。酒が入っているのに車で来ているなんて、危なっかしい。
「ちょっと……あんた」
「少し味見をね。君若いんだから、一回くらいここでイッときなよ」
「……誰かに見られたら、困る」
深夜だったが、同じように車を停めてどこかに行っている人間が戻ってきたら、何を男同士車中でごそごそやってるんだと目に留まるだろう。しかし男はにやりと笑い、ジッパーを完全に下ろして壱流に触れてきた。
「どきどきして、いいんじゃない?」
運転席の椅子を少し後ろにずらして、躊躇いもなく露になった肌に顔を近づける。男の唇が直接触れて、びくんと身じろぎする。
シャツの中に入ってきた手の舐めるような動きに、背筋がぞくぞくする。寒気なのか期待感なのか理解出来ない。だけどこれは竜司じゃない手だ。男の姿が見えないように、壱流は思わず瞼を伏せた。
「いいリアクションするね……こういうの、初めてじゃないでしょ」
「……っ、知るか……っ」
どうとでも取れる壱流の呟きに楽しそうに唇の端を歪め、男は乳首を弄られて反応してしまった下半身を飲み込むように口の中に含んだ。
(何やってんだ……俺)
壱流と同じくこういうことが初めてではなさそうな男の愛撫に、このままされるがままになっていいのか、という疑問が湧いてくる。
竜司が駄目だからって、 こんなこと簡単に名前も知らない男に許していいのか。こんなの嫌だ。気持ちが悪い。
体とは裏腹に壱流が微妙に拒否しているのを感じ取った男は、尚も楽しそうにジーンズを引きずりおろしにかかる。
「や、め」
アルコールのせいで、力が入らない。
「バックは? 挿れたことある? 君、ネコっぽいよね。かっこいいのにそっちのが好きそうだ。そういう相手、僕は好きだよ」
「……ネコ?」
何を言われているのかよくわからなくて聞き返したら、腰を抱き上げるようにして割り込んだ手が、体の中に入り込もうとしてきた。瞬間かっとなる。
竜司にだけ許した、体。
「あ、ほら。……ここ、びくびくしてる。すごい、欲しそう。男が欲しくてバーで色気漂わせてたんだ? 食ってくれって言ってるようなもんだよ。挿れていい? いい……よね」
「そんなんじゃな……」
男が唾を飲み込んだ音が聞こえた。その音がひどく生々しく、嫌悪感を誘った。気持ち悪い。何をこんな男に反応しているのだ。
「……やめろ」
なんとか力を振り絞り、ぐいと男の体を押しのける。不満そうな男は、「体は素直なのに」と呟いたが、意外とあっさり引いた。強引にする気はあまりないらしい。
「酔いが醒めた。もう、帰る」
それだけ言って身支度を適当に整え、助手席から降りようとする。けれど最後に腕を引かれた。
「もっと、心も素直になった方が楽だよ? 肩肘張ってないで、肉欲に素直になりなよ」
魚を逃がしたような顔をしていたが、男はそれでも最後まで笑顔だった。壱流は顔を歪め、その腕を振りほどいた。
吐き気がした。
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