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第29話 建設的な意見

 目を覚ますと、壱流の顔がすぐ傍にあった。なんだなんだと狼狽していたら、俺の腕が壱流の体をホールドしているのに気づく。  無防備な寝顔。黒髪が俺の胸に触れて少しくすぐったい。自分の腕をゆっくり解いて、壱流を解放する。こんなにひっついて寝ていたら、疲れないだろうか。  だけど……意外と、抱き心地良かったり。  そりゃ女に比べたら、柔らかいわけでもないし、甘い香りがするわけでもない。つけることもあるかもしれないが、今壱流は香水なんてつけていないし、するとしたらシャンプーの香りくらいのものだ。以前は煙草の匂いなんかもしたけど、いつの間にかやめていた。本当に喉に気を使ってる感じがする。  それでもなんとなく感じる、壱流の匂い。  気配。  それが傍にあると、安心してぐっすり眠れる。  ――って、何を考えているだろうか。よくわからない。 「夢……、だよなぁ?」  うーん、と唸って、考える。  夜中寝ている時、俺からこいつにキスする夢を見てしまったのだが、案外そんなに嫌でもなかった。その感触は結構リアルで、もしかしたら本当にしたのか も、なんて思ってしまう。  何か、しゃべっていた。  内容はよく覚えていない。  寝る前に過去の俺の記録を見たせいかもしれない。その時その時に感じたことを、色々と映像に残していた。  壱流を好きだったこと。  それの影響が、あるのだろうか。  今も別に嫌いなわけではない。普通に好きだ。ふと四度目の俺が残した最初の映像の言葉を思い出し、ぶんぶんと首を振る。  一度抱いてから決めろなんて、軽く言う。  その時の俺が、ちゃんと壱流を相手に出来たのかと思うと、不思議でならない。俺が男好きだったなら、なんとなくわからないでもない。想像でしかないが、壱流は多分、悪い相手ではない。見た目も声も良い。  た……、  試してみようか?  思わず過った考えに、俺は一人で動揺した。 「さっきから何おかしな顔してんだよ」  急に壱流の声がした。ぱかりと目を開けて、傍にある俺の顔をじっと見ている。いつ起きたんだ。 「おかしな顔で悪かったな。ただちょっと、夢見が」 「どんな夢?」  昨日の不機嫌は尾を引いていないらしく、面白そうに笑みを浮かべた壱流は、寝転がったまま一度あくびをした。  今日はくしゃみをしない。俺の部屋でも空気清浄機が延々と稼動している。俺はつけた覚えはないが、もしかして昨日からずっと動いていたのだろうか。消した覚えもなかった。  電気代がもったいない、なんて夢とは関係のないことを考えていたら、壱流がまた聞いた。 「俺には言えないような夢?」 「――んなこたねえけど、夢の内容なんか人に話したって面白くないだろ?」 「ふぅん、まあいいけど」  そんなに突っ込むこともせずにベッドの中からあっさり抜け出した壱流は、服を拾い上げながら部屋を出てゆこうとする。あっさりし過ぎな気もした。ベッドに残った温もりを指先で撫で、なんとなく残念に思う。  ……何故。  何故残念に思う、俺。  壱流が部屋を出てドアを閉めようとするその間に俺はぐだぐだといろんなことを考え、思い切って言ってみた。 「なあ! もちっとぶっちゃけた話、してくんねえ?」 「――え?」  振り向いた顔は、若干面倒臭そうだった。  朝の情報番組が流れるリビングで、今日もまひるが用意してくれた朝食を二人で食べながら、どうしてまひるは一緒に食べないのだろうと疑問が浮かんだ。昨夜は三人分の食事が用意されていたのに、朝は一人分足りない。 「ああ、なんでだろうな。朝は食べないとか」  壱流は他人事のように呟いて、すぐに黙々と食事に戻る。先ほど俺が言ったぶっちゃけた話は、まるでしようとしない。もう一度くらい催促してみないと駄目だろうか。 「さっきの続きだけど。はっきりしようぜ? おまえがどうしたいのかわかんねえと、俺も対応のしようがないんだよな。『俺にもわからない』とか言ってねえで、なんか希望を言えよ」 「――希望、ね」  壱流は困ったように目を逸らし、惰性でTVを見つめた。なんのことはない芸能ニュースがやっている。誰と誰が破局したとか、誰が出産したとか、知らなくても生きてゆく上でまるで支障のない話題が次々と出ては消えてゆく。 「ZIONの入江竜司、記憶喪失」 「……はあ? なに言って」 「なんてニュースが流れたら、インパクトあるよな」  ふざけた口調の壱流に、ちょっとむっとする。いきなりなんなのだ。  まさかそれが希望か?  俺が記憶喪失だってことを、世間に公表したいとでも?  むっとしている俺に視線を戻して、壱流は小さく笑んだ。 「だけどそれは、ここだけの秘密にしておきたいんだ。だから、竜司がもう二度と忘れないでいてくれたら、それが俺の一番の願いっていうか」 「そう言われてもな」 「うん……わかってる。忘れようとして、忘れてるわけじゃないんだってことは」 「――それに、今の俺がずっと忘れなかったら、ずっとダチのまんまじゃん? それでいいのか?」  消えたいわけではなかった。忘れたくなんてないのだが、壱流にとって俺は友達だったり体の関係があったりと、ころころポジションチェンジが繰り返されてきたはずだった。  こいつはどの『俺』にいて欲しいのだろう。今のままでも良いのだろうかという疑問がうっすら沸いても仕方ない。言われて壱流はまた俺から目を逸らし、茶碗の中を凝視した。  いや、そんなに凝視したって米しか入ってないから。 「いちいち目を動かすなって」 「や、なんか意表を衝かれたんで」  話がなかなか進まない。少しばかりいらっとして、俺は箸を置く。 「単刀直入に聞くけどよ。……俺とやりたいのか?」  きょとんとされた。  少なからずびっくりしているように見えた。何をそんなに驚くことがあるのだろう。つい一昨日まではしてたんだろうに。壱流は数秒考えてから、 「やりたいって言ったらどうすんの、竜ちゃんは」  微妙に首をかしげ、肘を突いた。  俺の頭の中を見るように向けられる視線。俺が聞いているのに、どうして逆に質問されるのか。俺の対応によって答えが変化するのだろうか。そんなのはぶっちゃけた話ではない。壱流の希望を聞きたいのに。  けれど今度は俺が考える番だった。  ……考える、ことがあるだろうか。  四度目の俺は、寝てみたところで悪い方には転ばないと言っていた。だがクリア出来るかわからない問題がある。 「勃つかどうかわかんねえ」 「さっきはがちがちだったけどな」  妙な返しをされて、ふと止まる。それは、あれだ。欲情とかは関係ない、単なる朝の生理現象を言ってるのか。  ていうか、何故がちがちだったのを知っている。まったく気づかなかったが、確認されていたりするのか。 「……勃ったら、俺とする気あるんだ?」  昨日より妥協的になっている俺に気づいたのか、壱流は面白い物を見るような目でこちらを見た。その視線になんだか恥ずかしくなってくる。言わなければ良かったかもしれない。  だが折角ここまで言ったのだから、最後まで言ってみようか。意思が鈍る。  とか思っていたら、壱流がおかずに箸を伸ばしながら、しょうもないことを呟いた。 「朝勃ちついでに、やっときゃ良かったかな?」 「……人が建設的な意見を述べようとしてる時に、なんだってそういうことを」 「建設的? 俺と寝ることが?」 「じゃなくて! 俺は! おまえを理解しようと思ってんだよ」  思わず声がでかくなった俺に、壱流は黒い目を見開いて、少ししてからどこか嬉しそうに微笑んだ。

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