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第30話 遮られた視界
どうしてこんなことになっているのだろうか。
よくわからない展開に、俺はかなり戸惑っていた。
最初壱流は、「歩み寄ろうとする気持ちだけで嬉しい」とか言っていたくせに、今俺は、微妙な立場にある。
昼間は音楽番組の収録等があると言われてまひるの運転で出かけ、一曲弾いた。
壱流のボーカルは、機嫌が直ったせいか、あるいは俺との妙な会話でテンションが持ち直したのか、昨日よりもいろんな意味で結構キてた。感情に左右されているのが、良くわかる。
TVでしか見たことのない司会者が壱流に(たまに俺にも)何か話題を振っているのが変なふうに思えたり、記憶のない間に出てきた知らないアイドルやバンドの存在も奇妙だった。
俺は浮いたりしていないだろうか、なんて心配をしてしまう。
こういうことに、慣れていない。だがギターを弾いている間は、そういうことも失念する。弾いている間は、気持ち良い。俺からギターを取り上げたら何が残るだろう。
その後別の場所で雑誌に載せる写真を撮ったり、一緒に載せるらしい取材を受けたりしたが、仕事が終わった途端壱流は昨日と同じくとっとと帰りたい空気を醸し出した。
なんでそんなに帰りたがるんだか、俺にはよくわからない。
出かける前に、取材で色々聞かれるだろうけど、壱流が仕切るからあまり考えなくて良いと言われた。
対外的な俺のキャラクターというのは、「寡黙ないかつい男」という設定らしい。
べらべらしゃべってもすぐに綻ぶだろうし、それは賢明ではあるのだろう。しかし俺は別に、本来無口な方ではなかった。ちょっとストレスがたまりそうだ。
だが、それはいい。
問題は、今の俺の現状だ。
何も見えない。
真の闇、ではない。
周りは薄暗い。部屋の照明はまだ消されていないはずだ。けれど俺の目に、何も映ってはいない。目を瞑っている。そして俺の顔には包帯が巻かれている。
壱流の手首に巻かれてあった、白い包帯。風呂に入ったあと新しいので巻き直したらしく、血はついていない。それが今何故か、俺の瞼を覆っている。
「これは一体なんのつもりだ……」
「あ、きつかった?」
「いや、そういう問題じゃなくて。なんで俺の視界を遮る?」
風呂から出ても壱流はしばらく一人で部屋にこもり何かをしていたのだが、一時間くらいしてからパジャマ姿でやってきた。
今日は特に、俺と一緒に寝ても良いかの確認は取らなかったが、ごく当然のようにドアをノックされた。
床に座り込んでインターネットで現在の世の中の流れをリサーチしていた俺は、知らないうちに好きだった女優が引退していたことなんかを知って若干ショックを受けたりしていたのだが、その作業は中断された。
まあ、ベッドは一つしかないし……。
もう一つ買えるくらいの収入はあるだろうに、仕方ない奴だ。だがそれまで上手く眠りに就くことの出来なかった俺が、壱流と同じ布団の中だと何故かあっさり眠れたのは事実だった。
ちょっと目を瞑ってじっとしてろと言われたのでうっかり壱流の言葉に従ったら、くるくると包帯を巻かれてしまった。俺の両手は自由だし、自分で解くことは可能なのだが、手をかけようとしたら止められた。
「ほどくなよ」
「……なんで」
「歩み寄りの結果を見ようと思って。……無理矢理はヤだから、抵抗するのは極力やめて欲しい」
「…………いきなりだなオイ」
朝の会話からその件について壱流はまるで触れなかったのに、あまりに唐突過ぎる。確かに俺は今朝だいぶ歩み寄った話題を振ったが、今の今までスルーされていたので本当に「気持ち」で満足したのかと思っていた。甘かった。
「竜司が言い出したんだよ、俺を理解したいって。俺から誘うことって滅多にないんだから、ぐだぐだ言わないでくれ。恥ずかしくなってくる」
「そうなのか?」
「誘わなくても、竜ちゃん絶倫だったからなあ」
目が見えないので、壱流の表情もまったくわからない。しかし包帯をほどくことはあえてせずに、腕を引かれる方にしぶしぶ脚を運んだ。
そのままベッドに誘導される。速攻何かされるかと思ったら、「五分待ってろ」と言われて壱流の気配が消えた。
……この間に、俺が包帯をほどくとは考えないのだろうか? ほどいたらほどいたでまた巻かれてしまうのかもしれないが、五分待たせて何をするのだろう。段取りが悪い。
五分……。
時計を確認出来ない五分というのは、妙に長く感じる。その間俺はやはり包帯をほどいたりせずに、ベッドの上でじっとしていた。
妙な空白。
これから壱流はどうする気だろう。男の体なんかに欲情しない俺の視覚を奪い、感覚だけを頼りにしろとでも言うのだろうか。意味不明に緊張してきた。
見えないのは、不安を駆り立てる。
壱流の考えていることも、よく見えない。
結局あいつはあまり腹を割って話したりはしていない。そう考えて、俺だって曝け出してはいないではないか、と思い至った。
俺の過去の映像。壱流には見せていないファイル。
最初の俺は、あれを見られることを明らかに拒んでいたし、以後の俺も見られたくないと思ったから、壱流に知られることなくあんなものがひっそりと存在しているわけだ。
けれど、今の俺はあまりそうは思わない。
――見せてやろうか?
俺が過去どんなふうに考えてきたかを。
そしたら壱流は、どういう反応を示すだろう。
ぐだぐだと考えていたら、いきなり部屋の隅の方で壱流の声が聞こえた。ドアの開く音はしなかった。思わずびくりとする。
「えらいじゃん。ほどかなかったんだ」
見えないのに、壱流が笑んだ気がした。
もしかして、息を潜めてずっとここにいたのか?
一体何がしたいのだ。わけがわからない。
「俺がほどかないか見てたのか?」
おかしなことをするものだ。もしほどいていたら、どうなったのだろう。
「いや、ちょっと……心の準備させてあげようかなあと思って。五分で足りた?」
「ふ、ふうん」
壱流が近づいて、俺のいるベッドに乗ってきたのがわかった。手のひらに汗をかいてきた。近くにあった枕の端をちょっと握り締めた俺に気づき、壱流は耳元で静かに笑う。
「竜司は単に気持ち良いだけだから、そんなに固くなるなよ。別に犯そうとか思ってないし。……これって、一応合意の上ってことかな?」
「……勃ったらな」
呟いた俺の上に、壱流は軽く体重をかけてきた。俺の着ている服をどこか遠慮がちに脱がし、指先が直接皮膚に触れる。
神経がちりちりする感じ。見えないから他の感覚が敏感になっている気がする。
自分じゃない、体温。
忘れているけど、多分知ってる温度。
「何も考えなくていいよ。俺だってことも、今は意識しなくていい。……きっと体が覚えてる」
今朝壱流を無意識に抱き寄せていたのを、ふと思い出した。どうしてか壱流の声が、なんとなく寂しそうに耳に残った。
これは恋ではない。
壱流をそういう意味で好きなわけではない。
けれど何も見えない薄闇の中で触れた壱流の唇は、夢の中でしたキスにとても酷似していて、心臓を直接握り締められるような感覚に囚われた。
俺の欲望をダイレクトに刺激するような、そんなキス。温かい舌が俺の口の中をゆっくりとなぞる。
その指が下半身に伸びてきて、俺を直接握るとやがてゆるゆると動き出した。絶妙な力加減でこすられて、ぞくぞくしてくる。
嫌という感情は不思議と湧かなかった。
この感じを、俺は知っている。
何も考えなくて良いと言われても姿が見えなくても、俺は自分の上にいるのが壱流だと知っている。
それなのに、反応してしまう。
少しばかり上を向いて硬くなってきた。野郎の手だろうが友達だろうが、そんなふうにされたら反応してしまうのか。なんだか情けない男の性を見せつけられた気分にもなる。
壱流の姿が見えていても、こうだろうか。
わからない。だけどどこまでも俺のツボを心得た愛撫に、だんだん考えがまとまらなくなってくる。
今、壱流はどんな顔をしているのだろう。妙に馴染んだ唇の感触が静かに離れて、なんだか口寂しくなった。
壱流は何も言わない。
相手が自分だと意識させないように黙っているのか。
それは壱流にとって、不本意なことではないのか。
そんなことを思ったが、俺も何も言えなかった。あまりにも静かな闇の中で、自分の鼓動と、壱流の指先にまとわりついた湿った音が、やけに際立って聞こえた。
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