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第32話 順応

 まるで抵抗しない壱流の体を下から揺さぶっていたら、ふと黒飴の目と視線がぶつかった。  包帯の取れた俺の目を不思議そうにじっと見つめている。その瞳の中に、余裕に欠けた俺の姿が映り込んでいた。  泣くんじゃないかと思うくらいに潤んでいる、鏡のような目。苦しいんだか気持ち良いんだか良くわからない、切ない表情の中に、明らかに何かに疑問を持っている色が入り混じっている。 「な……なんか変か?」  壱流の目は、たまに怖い。  何を考えているのかわからない。雰囲気に飲まれてしまいそうになる。  そんな目であんまり見つめられるものだから、ただでさえ常と違うこの現状で落ち着けるわけもないのに、余計に平常心を保てなくなってきた。  その視線から逃れたくなって、体勢を変えて後ろから羽交い絞めにするように壱流を抱き込む。  やはり抵抗はされなかった。深く穿ってくる俺を体中で受け止めて、時折抑えきれない声が洩れる。甘えるようなその声が、俺の心にざくざくと突き刺さった。  背骨のラインが、結構綺麗だ。  別に華奢ではない。壱流はどこまでも男だ。そう思うのに、俺はまるで萎えない。それどころか元気すぎて熱を持て余している。  これが「体が覚えてる」ということだろうか。背後から壱流の中を抉るように貪っている自分に、ああ俺、結構ケダモノかも、なんて言葉が頭を掠めた。  少し前まで勃つかどうかもわからないとか言ってたのに、始めてしまったらこれだ。どう脳内変換しても女ではありえない平らな胸に手を回し、指先にちょんと当たった乳首を弄ると、壱流がびくびくと震えた。  そ……そんなに締めたら、やばいから。 「りゅ、……っ、竜ちゃ」  もしかして壱流にも、「竜司豹変した、マジ現金」とか思われていたりするのだろうか。でも壱流が予想外に(というか、特に予想はしていなかった)イイ感じだったので、正直一旦火のついた欲望は押さえがたい。  ……あ、俺今、ナマでやってねえか? つけられた覚えはない。  このままじゃ、中に出しちまいそうだ。 「りゅー……じ……なぁ」 「お、おう。なんだ」  もう限界、もう出す、もうイかせろ、とか自分本位なことをぐるぐると思っていたら、俺に抱えられた壱流が首を動かしてちらりとこちらを見た。  少し開いた唇からこぼれ落ちる声が、さっきから心臓を爆撃してくれている。しっとりと汗の浮かんだ表情が、妙に色っぽく俺の目に映った。  どうしたものやらわからない。眩暈を覚えながら無我夢中で動いていたら、壱流がぽつんと呟いた。 「気持ち、悪く……」 「……えっ。平気か!?」  気分が悪くなったのだろうか。俺にさっきからこんなに体ん中ぐちゃぐちゃ掻き回されたら、そりゃ具合も悪くなるだろう。ちょっと焦って動きを止めた俺を、壱流はまたしてもきゅんと締め付けた。  出……だから出ちゃうから、って。 「やめるなよ……今……、イきそうなのに……」  酸素が足りないみたいに苦しそうに、小さく小さく壱流が囁いた。  ……うっかり萌えた。  何を変なことを口走りそうになっているんだ俺は。だけどやっぱり壱流を可愛いと感じてしまう。顔が可愛いというわけではない。壱流は可愛いのではなく、イイ男だ。なのにどうして可愛いとか萌えるとか考えてしまうのか。  こいつにこんな不可解な感情を向ける日が来ようとは。単に忘れているだけだろうか。過去の俺は、壱流をはっきり好きだと言っていたのだから。  忘れても最終的に俺は壱流を抱くことになる。  思い出せなくても、俺はまた壱流を好きになるのか。  何度も。  何度も繰り返す、これはいわゆる愚行だ。壱流と寝るのは確かに建設的ではない。むしろ破壊的だ。こういうことの繰り返しで、俺は徐々に壱流の心を蝕んでいったのだから。  手首を切る壱流を止めることが出来ない。  この命を終わらせることも出来ない。  壱流を傷つけることは出来ても、幸せにしてやることなど永遠に出来ない。  何故なら俺は、忘れてしまう。 (竜司……?)  壱流の声が、遠くで聞こえた気がした。  一瞬意識がどこか違うところへ飛んだような気がして、俺は軽く頭を振った。壱流は目の前にいる。遠くで聞こえるなんてどうかしてる。  頭を切り替えるように片方の手で壱流の前の方を握り込んで、さっき俺にしてくれたみたいにこすってやる。  とろとろと滲んでくる感触が実に素直だ。知らない間にすっかり俺仕様のエッチな体に仕上がっている壱流がやけにたまらなくて、先ほどの妙な感覚を忘れ、自然とボルテージが上がってくる。前と後ろを一緒に攻めてやったら、余計に反応が良くなった。 「……壱流」  今夜初めて名前を呼んだ俺の声に何か心の動きがあったのかもしれない。一瞬息を詰めたかと思ったら、途端に俺の手のひらに温かいものが溢れてきた。  俺のじゃない、体液。  あまり抵抗感はなかった。それが指の隙間からぽたぽたとシーツに落ちて、抱いている壱流の力がくたりと抜けた。壱流につられてしまったのか、あるいは単に俺の限界点だったのか、思わず本能の赴くままに壱流の中に吐き出してしまった。  ……ああ。  やっちまった。せめて外に出そうとか思ったのに。  体の中に注がれたものに気づいたのか、壱流がほんの少し眉を寄せる。  なんだそのリアクションは。  中出しされたのが嫌だったのか。だったら最初からゴムつけるなりすれば良いのに。  まだ絡み付いてくる温かい体内からゆっくりと引き抜くと、さっき俺が出したものが腿を伝った。くらくらした。 「わ、悪ぃ……えーと。……気持ち悪いのか?」  さっきそんなことを言っていたよな、と思い出し、俺は壱流の顔色を窺う。悪くはない。むしろ、上気して健康そうに見える。俺の残滓をティッシュで綺麗に拭き取ってから、壱流は軽く首を横に振った。 「いや……。じゃなくて、竜司が、気持ち悪くないかって言いたかったんだ」 「――あ? や、別に俺は」  むしろ萌えていた俺は微妙な顔で否定した。ていうか、そんなふうに思ってたらあんなに攻め込まないだろう。  目隠し取っても萎えたりしなかったし、外出し出来ないほど余裕がなかったのだ。気持ち悪いなんて、少しも思わなかった。気づけよ。聞かなくてもわかるだろう。 「おまえこそ、中出しされたのがすげえ嫌そうなんだけど」 「……すげえ嫌、ってほどでは……」  俺に指摘され、壱流はちょっと困った顔をした。何故そんな顔をするのだ。  大体俺は目隠しされていたのだから、ナマでやってしまったのには壱流に責任があるだろう、どう考えても。  軽く文句を言おうとしたら、壱流が布団にもぞもぞ潜り込みながら言い訳をした。 「まあ……、好きじゃないのは確かだ。ちょっとうっかり忘れただけだよ。うん。竜司は悪くないよな。だから気にしなくていい」  潜り込んだ頭を布団から出して、またさっき見つめていた時と同じ種類の視線をこちらに向けた。 「だからなんなんだ、その目は。まだ何か言いたそうだな」  やはり豹変したとか言いたいんだろうか。  ことが済んですっきりしたらなんだか恥ずかしくなってきた。その視線に顔が熱くなってくるのを意識したら、益々恥ずかしくなった。結構色々してしまったよな……俺。  壱流は不思議そうな目をしたまま、薄く笑みを浮かべた。 「今回は順応が早かったなあと……それが、疑問で」  時計はいつのまにか午前を回っていた。俺はうーんと唸ってから、少し肌寒かったのと照れがあったのとで服を羽織り、ベッドから抜け出して棚の奥を探った。  ――いいよな? 過去の『俺』。壱流に見せるのは確かに恥ずかしいけど、見せておいた方が今後の為にも良い。  壱流がこれの存在を知っている方が、また俺が記憶をなくした時に役に立つ。妙な溝が出来る前に俺に見せてくれれば、壱流がリストカットするような事態にも陥りにくい気がした。 「……何?」  俺が持っている落語のパッケージに不審な目を向けた壱流は、差し出されたそれを手に取る。 「竜司。これをどうしろって」  戸惑いの表情を浮かべた壱流は、それを開けようともしない。やはりまるで興味がないようだ。仕方なく俺はそれを一旦奪って、ケースを開けてやる。 「ほら」 「……『壱流には見せないこと』? って、何だよこれは」 「見ていい」  それが単なる落語のDVDではないのは、無印のディスクを見ればなんとなくわかる。壱流は首をかしげてしばらくそれを見つめていたが、パソコンの電源を入れた俺がディスプレイを向けてやると、ベッドに転がったままディスクを指でつまみ、俺に渡した。 「何が入ってんの」 「趣味のエロ収集」  初めて俺がこれを見た時に思った感想を言ったら、壱流は更に戸惑った顔をした。

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