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第33話 心の平穏

 まひるの運転する車の中で、壱流はまたしても居眠りをしていた。こくこくと動く体がカーブで倒れそうになって、隣に座っていた俺は片手を添えて元のポジションに押し戻した。 「壱流お疲れだなあ。入江くん、今回は結構手ぇ早かったよね」  長いストレートだった髪を少し切り、ゆるふわパーマをかけたまひるが、バックミラー越しにこちらに視線を向ける。俺は思わず複雑な顔になった。 「……ばればれなんだ? こいつってそういうこと、まひるさんに報告したりするわけ?」  壱流を初めて(じゃないけど)抱いてから一週間以上経過していた。  昨日の夜も……ちょっと、色々したり、確かにした。毎晩してるわけではない。いきなり当たり前みたいにするのは自分的に嫌だったし、俺との関係が変化したあとも壱流はまひるのところに泊まったり、普通にしている。二人で話す機会はありまくりだ。  壱流は年がら年中俺とべたべたしたいわけではないようで、俺としてもある意味気楽ではある。  抱いたりして多少気持ちに変化はあったものの、今のところ俺にとって壱流はやはり友達なのだ。  恋人……では、ない。多分。  過去の『俺』が言ったように、それがどういう関係でもいいんじゃないかと、今は思っている。けれどまひるの部屋で何をしてるのかは、若干気になる。嫉妬しているわけじゃ……ないと思いたいのだが。よくわからない。 「ちらっとね。詳細は言ったりしないけど。――あたしが言うことでもないけど、あんま無茶はさせないでね。壱流は確かに入江くんに抱っこされるのが好きな体だけどさあ」 「…………や、無茶って」  妙な汗が出てきた。どうして壱流の一応の妻であるまひると、こんな会話をしているのだろう。非常に対応に困る。 「えーと……まひるさん、最近は、その」  つい気になっていたことが口を突いて出た。言いにくそうな俺に面白そうな視線を向けて、まひるが小さく笑んだ。 「なに?」 「こいつと寝たりしてる?」 「うちに泊まりに来る時は、相変わらず生でしてますねえ。入江くん、もしやジェラシーなんか感じちゃったりして?」 「……そんなふうに見えたりするか?」  ジェラシーだなんて、そんな単語で表現されたくはないのだが、確かに気にはなっている。以前の俺はどうだったか知らないが、ここ最近俺は壱流以外とはしていない。なんとなく、不公平だ。 「あたしはまた3Pでもいいんだけどねー。その方が、壱流があたしと何してるかわかって、良くない?」 「いやぁ、どうだろうな……」  もしかして過去もそういう流れで3Pなんてものになだれ込んだのだろうか。妙な案だ。けれど今の俺にはやはり抵抗のある行為でしかない。言葉を濁した俺に、まひるはまた笑った。 「無理にとは言わないけど。悶々としてるよりはいいかなって思っただけ。あたしも入江くんにやられちゃってる壱流を見るのは、結構そそるし」  そ、そうか。  三人でやるということは、そっちもまひるに筒抜けになるということだ。壱流は恥ずかしくないのだろうか。この前初めてした時、壱流は目隠しまでさせたのに。 「まひるさん、すげえ悪趣味じゃねえそれ」 「え、でも入江くんも可愛いとか思ってるんじゃない?」 「……それは、まあ」  突っ込まれて、ちょっと顔が熱くなった。 「あのねえ、一応補足しといてあげるけど。壱流は多分、子供が欲しいんだよね」 「は? 子供!?」  ちょっと予想外の言葉に、俺は不審な声を出してしまう。その声に、眠っている壱流の肩がぴくりと動いた。起きたか、と思って少しの間見ていたが、一度動いただけで壱流はそのまま気持ち良く眠りの中にいるようだった。そんなに疲れさせただろうか……昨夜の俺を振り返る。  まひるには平気で生でするくせに、自分にそれをされるのはなんだか嫌らしい壱流は、その後俺にちゃんとゴムをつけさせている。あの夜は壱流としても結構テンパっていたのか、あるいは壱流自身がつける習慣がないからか、あの中出し行為は本当にうっかりミスだったようだ。何が嫌なのか教えてほしい。……まあ 別に、生でしたいってわけじゃ、ないけど。  してる間はすごく甘えるのに、終わるとすんなり友達の顔に戻る。なんだか性欲処理に使われているだけ、みたいな不満がうっすら募らなくもない。  ただ、それでもやっぱりセフレという言葉はしっくり来なかった。  多分、壱流自身、よくわかっていないのだ。  あのビデオを恥ずかしいながらも見せてやったあと、壱流はしばらく黙り込んでいた。  壱流を好きだと言っている過去の『俺』に、戸惑っているように見えた。壱流は全部見終わったあと、横で居心地悪そうに一緒に見ていた俺に、小さく呟いた。 「……俺、ずっと、竜司のおもちゃなのかと思ってた」  なんだろうかその感想は。  どっちがおもちゃだ、とか言いたくなったが、壱流は好きだと言ったりしない『俺』が、どうして自分を抱くのかわからなかったようだった。疑問が解けたのは良かったかもしれない。  聞けば良い。  そうすれば誤解は解ける。  心の中に隠してる気持ちは、言葉にしなければ伝わらないことも多い。勿論言わなかった『俺』の言い分もわかる。忘れてしまうから、という理由は相応ではある。またそれで壱流を傷つけてしまうと知っているから、不用意な科白は言わない。  ……それでも、言えば良かったのに、と思った。  今の俺は、まだ壱流にそんな科白を吐けるほど、気持ちが変化してはいない。けれどたまに、おかしな思考が混じることがある。  過去の『俺』の気持ちが、混じることがある。  このまま混じり合って、すべて思い出せたら良いのに。  二度と忘れなければ良いのに。  黙り込んでいる俺を、まひるが不思議そうにちらりと見て続けた。 「この前ピル飲んでるって白状したら、めちゃくちゃ嫌な顔されちゃった。無駄撃ちしたー! とか思ったんじゃない? わかりやすくてほんと可愛い」 「無駄撃ちって」  なんだかひどいなその表現は。まひるも自虐的だ。そんな関係で、お互い良いのだろうか? 本当に書類上の関係というだけで、愛とか、まったくないのだろうか。 「でも白状したあともやっぱりあたしとエッチしたから、子作り目的だけでもないんだろうけど。ほら、壱流って基本的には痛々しいほどにノーマルだし。入江くん以外にはそゆこと絶対許さないだろうし、そのくせ気持ちを裏切って体だけ疼いちゃったりして。もう大変。壱流をしょっちゅう忘れちゃう入江くんのことはいっそ諦めて、別の男で妥協出来れば楽になれるのにねえ」 「はあ……」  またひどいことを言われた気がする。けれどその口調がとても軽いものだったので、あまりひどく聞こえない。それに、言っていることは確かにそのとおりだった。  忘れる俺がその気になるのを待っていないで、違う男を選ぶことだって出来るだろう。……あ、ノーマルだから、出来ないのか。  俺だって、好き好んで男を選んだわけではない。これはあくまでも流れであり、過去の『俺』による不始末のアフターケアだ。  いや……それだけだろうか?  違うか。抱いてる時の壱流のことは、本当に可愛いと思えるし。好きかも、とか……思うこともあるし。 「壱流ってほんと難儀な性格してるよね。喜んで相手してくれそうな男は結構いるのに」 「……そうなのか?」 「あまりにも精神的に不安定なんで、前にカウンセリング受けさせたことあるんだけど。何回か通ううちにそこのカウンセラーが壱流に恋しちゃって、結局通うのやめたんだよね。優しい感じのいい男だったのに、やっぱり壱流的には駄目みたい。まあ、これはほんの一例」 「ふうん……」  そんなことがあったのか。なんとなくむっとする。カウンセラーと何を話したら恋心を抱かれてしまうのだ。  俺の記憶喪失は秘密にしておきたいと言っていたから、それは抜きにして色々話したのだろうか。  俺自身はそういうところに掛かった経験は多分ないが、映画の中で見たイメージをちょっと思い浮かべてみる。  ソファに座ってリラックス。二人きりの空間。先生と患者が淡々と会話を交わす。そんなシーンを何かで見た。  俺としたいのに出来なくて、我慢して友達に戻ろうとしている壱流。欲求不満のあまり、ベッドで見せるような切ない潤んだ目でカウンセラー見たりしてなかったか?  あの目でじっと見つめられたら、結構やばい。その気がない男でもぐらっと来そうだ。ただでさえ壱流の目は引力がある。 「心配?」  黙り込んで想像していた俺に、赤信号で停まったまひるが振り向いた。妙ににこにこしているのは何故だ。 「なんでそんなに嬉しそうなんだ」 「壱流のこと心配してくれるのが、嬉しいから。そういうの、平和でいいじゃない」  平和ねえ……。  だけど、それでまひるの心は平和なのだろうか?  俺にはまひるの心がまるで理解出来ない。どうして壱流が俺とそうなるのを許容出来るのか。形だけの結婚なんて、不幸ではないのか。子供が欲しいからって寝るなんて、歪んでいないだろうか。それとも俺が気づかないいろんな感情が、そこにはあるのか。 「来年あたり、壱流の子、産んであげよっかなあ。ねーどう思う? 入江くん」  寝ている壱流に聞こえるような大きな声で、突如まひるが俺に振ってきたが、どう答えて良いものかわからなくて、答えられなかった。

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