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番外編 Love Addict 1

 小学校の教師をしている瀬尾(せのお)は、今年一年生の担任をしている。  一昨年大学を卒業して教職についた彼は今26で、お付き合いしている人は現在いない。同僚に好みの男がいないわけではなかったが、職員室でそんな展開になるのを瀬尾は好まなかったし、男好きだなんて知れたら仕事も続けにくい。かと言って外部で恋人を探すパワーもなかなかない。  学生時代はそれなりに付き合った人もいたが、意外と仕事が忙しくて疎遠になったりして、いつのまにか駄目になった。それで駄目になるような相手、ということは、つまりそれだけの仲ということだ。寂しい気もするが、仕方ない。  そんなちょっと寂しい瀬尾も、今日はなんだかうきうきしている。担任しているクラスの家庭訪問に回っているのだが、本日のラストは真田(さなだ)まふゆという生徒の家だった。  資料を見た時、まふゆの保護者の欄には「真田壱流(さなだいちる)」と書かれてあった。  それは瀬尾が好きなアーティストであるZION(ザイオン)のボーカリストと同じ名前だったので、正直己の目を疑った。単に同姓同名だろうかとも考えた。職業が「自営業」となっていたので、かなり微妙な線だ。自営業にもいろいろある。  音楽活動も、自営業に分類されるのだろうか。  真田壱流が結婚したなどという情報は、特に流れていない。  芸能人がごく当然のようにする結婚会見なんて瀬尾の記憶になかったが、結婚していても小学一年生の子供がいても、全然おかしくない年齢ではある。多分今、33か4くらいじゃないかと思う。  あえてプライベートを出すような性格ではないのか、彼らはインタビューでも音楽的なことしか話さない。ギターの入江竜司(いりえりゅうじ)なんて寡黙すぎて謎が多い。ミステリアスだ。  だがそんなのはどうでも良い。聴いていて気持ちの良い音楽を繰り出してくれれば、瀬尾にとってはプライベートなど瑣末なことでしかない。  彼らは生活臭を一切出さない。誰々と熱愛、なんていう報道も出てこない。  だがその方がむしろ良かった。特に知りたいわけでもないし、知らない方がいろいろ妄想出来る。  壱流は瀬尾のストライクゾーンだ。顔も声も良かったし、少しだけ瀬尾より低い身長も好きだ。  華奢ではないがごつくもない体のライン。歌っている時に白い肌がちらっと覗いたりすると、妙にどきどきする。年上とは言ってもあまり年齢を感じさせないあのルックスが、寂しい夜を慰めてくれることも、ある。  こんなことは誰にも言えないけれど。 (もし本人だったりしたら、やっぱり嬉しいよなあ)  母親しか在宅していない可能性はかなり大だし、勿論単なる同姓同名の別人だったら、しかもそれがZIONの壱流とは似ても似つかない人物だったりしたなら、がっかりするだけだが。変な期待はしない方が身の為だ。それでもモチベーションは自然と上昇する。  自転車をこいできれいな高層マンションに到着し、オートロックのエントランスで来訪の旨を告げると、感じの良い明るい声の女が対応してくれた。多分母親のまひるだ。  エレベーターに乗り込んで目的のフロアに到着するまでの十数秒の間、瀬尾はネクタイをきゅっと締め直し、眼鏡を意味もなく磨いていた。  エレベーターの前まで迎えに来てくれたまひるに従い玄関をくぐる。可愛らしい花が花瓶に生けられ、靴は子供サイズが一足だけきちんと揃えられている。瀬尾の自宅と違って雑然としていない。訪問者があるからか普段からなのか、掃除の行き届いた部屋は好感が持てた。ちゃんとしている感じがする。 「あっ、先生ー」  靴を脱いでいたら、中からまふゆが小走りでやってきた。  瀬尾は女には興味が持てないが、まふゆのことはとても可愛らしいと思っている。お人形のような子だ。色白の肌に、深い黒をした瞳が愛らしい。瀬尾はにこにことまとわりつくまふゆを見て、自然と優しい笑みを洩らした。  子供は好きだ。変な意味ではなく純粋に。瀬尾はロリコンでもショタコンでもない。成熟した大人の男が好きなのだ。 「まふゆ。ママと先生でちょっとお話するから、壱流のとこにでも行ってくれば?」 「え、別に私は……いてくれても」  わざわざまふゆを遠ざけることもない。いたければいてもらっていいし、実はあまり女性と二人きりというのは苦手だったりもする。こういうのも慣れなのだろうが、まだ馴染めない。まひるはなんだか困った瀬尾に気づいたのか、にこりと笑んだ。 「多分数分もすれば壱流連れて戻ってくると思いますから。……あ、壱流って、まふゆの父親で」 「はあ、一応存じ上げてます」  パパとか主人とか呼んだりしないのか。お互いが名前で呼ぶことはあっても、子供や他人に対してはあまり父親の固有名詞を言ったりはしないような気がする。瀬尾の認識不足かもしれないが。  何故か玄関から出てゆくまふゆの気配を不思議に思う。 (……一緒に住んでない、とか?)  数分で戻るだろうと言って外に出たということは、そういうことではないか。あるいは職場にでも迎えに行ったのだろうか。 「コーヒーと紅茶とほうじ茶、どれにします?」 「いえ、おかまいなく」  既に数件回っているので、結構いろんなものを出された。しかしまひるは自分が飲みたかったのか、リビングの中央に配置されたテーブルにコーヒーの乗った トレイを静かに置いた。 「もしおなかいっぱいだったら無理に飲まなくてもいいですよ。とりあえず形だけ」  気軽な感じのしゃべり方。美人だが気取ったところがない。スリムなのに出るところは出ている体は、もし瀬尾がゲイでなかったら魅力的に映るのだろう。しかしもしそうだったとしても、生徒の保護者相手に何をするわけもなかった。  瀬尾は軽く礼を言って、とりあえず自分の傍にカップを引き寄せ本題に入る。 「まふゆちゃん、おうちではどんな感じですか?」 「一人で遊んでるか……あとは、最近はピアノ弾いてることが多いです」 「教室に通ってるんですか?」 「先生に来てもらって。ほんとはね、ギターやりたいなんて言ってたんだけど。もうちょっと大きくなったらねって今はピアノを」 「ギター……ですか」  まだ一年生のまふゆにギターはあまり似合わない。ちょっと天を仰いだ瀬尾に、まひるが小さく笑んだ。 「まふゆ、戻ってきたみたい」  玄関の方で気配がした。本当に数分で戻ってきた。父親を連れてきたらしい。瀬尾はそちらに目を向けて、やってくる相手を眼鏡の奥で見つめた。 (……うっ)  確かに期待はしていたが、実際に目の当たりにして瀬尾は固まった。頭に血が昇りそうになる。  本人だった。  同姓同名ではない、本物のZIONの壱流。  首にかかったシルバーのチョーカーが良く似合っている。長袖の白いシャツにデニムパンツというラフな恰好をしたその男を確認して、思わずくらりとする。  家庭訪問した中には、父親が居合わせることも稀にあったが(普通は会社に行ったりしてるのでなかなか出くわさない)、こんなにレベルの高い父親はいなかった。 (か……かっこいいぃ) 「先生? どうかしました?」  思わず口元を押さえてうわずった瀬尾に、まひるが不思議そうな視線を向ける。はっとして姿勢を正し、「いえなんでも、なんでもないです」と取り繕う。まひるの隣の椅子に腰を下ろした壱流は、瀬尾を数秒見つめて、軽く会釈した。 (目が……目が潤んでる)  なんだろうかこの艶のある視線は。  別に瀬尾のことを色目で見ているわけではないのはわかる。そういう表情ではないし、そこまで自意識過剰ではない。  瀬尾は自分をごく一般的なレベルの男だと評価しているし、実際その通りだ。見た目はしっかりした体つきで長身なのに、雰囲気からちょっと頼りない感じ、と言われることがままある。  まふゆと共通する壱流の深い黒瞳は、しかし奥底が知れない。 「どうも」 「……ど、どうも」  デビューした時からずっと彼らを見てきた。当時から目を惹く瀬尾好みの良い男だったが、年を重ねるごとに壱流は更においしそうな良い男に成長してくれた。ギタリストは範疇ではない。出す音は好きだが、瀬尾は自分よりでかくていかつい男は好みではなかった。 「まひる、俺のコーヒーは?」  テーブルには二つのカップしかない。ちらりとそれを見て催促している壱流に、まひるはまだ飲んでいなかった自分のカップを横にスライドさせ、立ち上がる。 「少し冷めただろうから、それ飲んでて」  猫舌なのだろうか。言われて壱流は素直にそれに口をつけた。まひるは自分の分を淹れる為か、キッチンへと消えてしまった。 (うわあ、二人きり)  無駄にどきどきしてきた。何を話せば良いのだろうと、教師と保護者という立場をうっかり忘れ、瀬尾はうろたえる。 「……まふゆ、先生から見てどんなです? 変な子だったりするかな」  テンパっていたら、壱流が切り出した。  やっぱりいい声をしている。歌っている時が一番好きだが、話している時の声も心地良い。  近くで見ても、本当に良い男だ。TVで見るよりずっと感動がある。まだ20代だと言われても全然無理がない。そして正体不明の色気をまとっている。この濡れた瞳が罪深くていけない。  本人は知らないだろうし、知ったら嫌な顔をするに違いないが、ゲイ雑誌の「抱きたい男」ランキングで、可愛い男の子アイドルに混じって壱流は常に上位に食い込む。瀬尾自身、彼は抱きたい男そのものだ。 (まあ妻子持ちってことは、ノンケ以外の何者でもないんだろうけど)  このフェロモンは反則だ。  近頃は忙しくてライブなんて行けていなかったが、生で歌う彼を無性に見たくなった。あまり顔を見つめるのもどうかと思って、視線を少し下ろした先で目が止まる。シャツから覗いた首筋に、つけられたばかりにも思えるキスマークがはっきりと残されていて、どきんとする。  瀬尾の目がそこで止まったのに気づいたのか、壱流ははにかんだ表情で襟元を直した。結婚指輪はしていないが、百合がモチーフのごつい指輪をその人差し指に嵌めている。これもまた、似合う。 (うう、抱き締めたい……)  ちょっと暴走気味の自分を意識する。しかし今は質問されている立場だった。何か答えなければ不審に思われてしまう。変な子、と言われ瀬尾は記憶を反芻してみた。変な子……では、ない、とは言い切れない。 「えーと……マイペースな感じですかね」 「そうかあ……まふゆ、なにして」  話している壱流の膝に、まふゆがよじ登ろうとしていた。壱流はその体を抱き上げ、少し椅子を引いてから自分の娘を膝に乗せる。 「お父さん子なんですね」  なんだか羨ましいなどと変なことを考えながら、瀬尾は素直な感想を述べる。子持ちの壱流なんて最初はあまり想像出来なかったのだが、意外とこういうのも違和感はない。 (だけど、でも)  子持ちなのに、年上なのに、悶えるほどにおいしそうだ。キスマークを隠した時の表情がまた、たまらない。 (何考えてるんだ、俺は。これは「保護者」だ)  心の中でぶるぶると頭を振って、なんとか思考を切り替えようとするのだが、ずっと好きでたまに夜のおかずにもさせていただいていたアーティストが目の前にいる以上、冷静になりきるのは難しい。 「あんま一緒にいる時間ないから、たまには……まあ先生、とにかくこの子よろしくお願いします」  ぺこんと下げられた頭。意外と礼儀正しいのがまた好感度をアップさせて、ある意味困る。慌てて瀬尾も頭を下げた。  そんなことを話していたら、まひるが戻ってきた。なんとなく残念な気持ちになったが、これは家庭訪問であり、壱流と会話を楽しむ場ではとりあえずない。 「じゃあ俺はこれで」 「もう帰るの?」 「ああ。まふゆの先生とちょっと会ってみたかっただけだし、今竜司とアレンジやってたとこだから」  立ち上がり、まふゆを自分が座っていた椅子に座らせると、飲みかけのコーヒーをまた少し飲んでから壱流は背を向けた。 (腰、細いなあ)  その後姿に瀬尾はまた悶える。  しかし今……帰る、と言った。  やはり一緒には住んでいないのだろうか、と思ったが、あまり立ち入ったことを聞くのは躊躇われた。

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