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第2話

「どうして、サツキはあんなに寂しそうにしてたの?」 ボブが流暢な日本語で、悪気なく聞いてきた。今日はケンブリッジ・スクエアの喧騒から少し離れた場所に位置するチョコレートの店を二人で訪れていた。自分はホットチョコレートのブラックを注文し、ボブはミルクを注文して互いに飲みながら、英語のテキストを開いていた。 初夏だが湿気がない涼しい気候のせいか、ホットチョコレートがほどよく身体を温めてくれ、リラックス出来る。 店内に客は少なく、内装も落ち着いて、チョコレートの香りが満ちると、幸せのひとときを味わえた。 「……………そんなに寂しそうに見えた?」 「寂しそうだったよ。……失恋でもしたのかなってずっと思ってたんだ。」 ボブの言っていることは9割方あっている。 「はは、似たようなもんだよ。」 「………でも今は恋人がいるから、幸せそうで良かった。」 せっかく日本からボストンへ遥々、逢いに来たのに、その恋人に放っておかれ、一人でずっと時間を潰してた………とも言えず、上手く誤魔化した。そんな事を言ったら、真面目な性格のボブは早く別れた方がいいと説得される。 「うん、今は幸せだよ。」 温かいホットチョコレートの小さなカップを持って、甘い液体を飲み込んだ。ブラックはやや甘さ控えめで、甘党のボブのカップのよりはほろ苦い。 横目で美味しそうにホットチョコレートを飲むボブを眺めた。ボブの名前はボブ・グレイス・ビルト。同じミステリー作家を生業としており、顔立ちは俳優のように整って、すらりと背が高く、性格はおっとりと物腰は柔らかい。冗談も言うが、真面目な性格をしていた。 まるで、桐生の寡黙さと黒瀬のような調子の良さを丁度混ぜて割ったようなイメージがして笑ってしまいそうになる。 昨年初めてボストンを訪れた時、一人で寂しさを埋める為に通った美術館でボブと出会った。 気になる絵が一つあり、何度もその絵になると立ち止まっては味うように鑑賞していた。ボブも同じようにその絵画の隣の絵を眺めていた。 さすがに3日続けて鉢合わせするとお互い苦笑したが、特段会話もなく、黒瀬の子供の悠を連れて来た時も、会釈するだけで進展もなかった。 ただそれっきり、連絡も取り交わすこともなく、お互い顔を合わせて笑顔を交わすだけだった。 それから数ヶ月経ち、ボストンに移住して間もないある日の事だ。丁度、移住手続きも終り、持て余した時間を一人ぶらぶらと歩いてボストンコモン公園で珈琲を飲んでいた。 すると、愛犬と散歩しているやたらとハンサムな男が通りかかり、こちらをじっと見て視線がかち合うと嬉しそうに声をかけてきてくれた。美術館で会っていたのをボブはよく覚えていたようで、少し嬉しかった。 ボブは蒼と同じぐらい背が高く、筋肉質ではないものの、程よく筋肉がついて、引き締まった身体に長い脚を短パンから出していた。 美術館ではジャケットかスーツだったので、ラフな格好の彼を見て、一瞬、誰か分からずギャップに驚いた。爽やかな笑顔と物腰の柔らかさ、そして少しブラウンがかった金髪と、透き通った碧い瞳がとても印象的なのだ。 彼はベンチに腰を下ろし、愛犬を目の前に座られ毛並みのよい頭を撫でた。 愛犬はラブラドール・レトリバーという種類で、賢そうに主人の顔をじっと濡れた大きな瞳で見つめている。ボブに愛犬の名前を訊くと初め渋って教えてくれなかったが、なんと呼べか分からず、困り果ててると、『ムーン』と気恥ずかしそうに教えてくれた。どうしてそんなに顔を赤めるのか、その時はよく分からなかった。 同じミステリー作家で、日本好きらしく、昨年から日本語を勉強したにも係らず、自分の英語より流暢に話す。お互い作家という事だけあって、その場で意気投合し、自分は日本や日本語を、ボブはボストンや英語を、互いに色々教え合っては親交を深め、3ヶ月になる。 勿論、自分に恋人がいる事は話してあり、ボブは恋人はおらずフリーのようだった。 せっかく来たボストンで、ずっと美術館と公園の往復をしていたと笑って話すと、それは勿体ないと嘆かれ、手を引かれて色んな場所を連れまわされ楽しい毎日を送っていた。 蒼にもボブの存在を報告しようと思ったが、中々込み入った話をする機会もなく、ボブの事をすっかり話してたと思っていた。こっちで新しくできた友人なので、蒼とも仲良くして貰いたいという気持ちはあった。 そして忙しく慌しい今日の朝、蒼は唐突にこんな事を訊いてきた。 『ボブってどんな人?』 『………どんなって、優しいよ。』 それだけ言うと蒼は納得しないようで、さらに食いついてきた。 『もっと具体的な性格はあるかな?』 『具体的な性格?……………優しくて知的だし、会話も面白いかな。愛犬のムーンも賢くてよく懐いてくれて可愛いよ。ムーンは蒼と似てるかもね。』 『ムーン?』 『そう、去年から飼い始めた犬だよ。』 『………それって…。』 『あ、蒼!もうこんな時間だよ、早く出ないと駄目だよ…っ…!』 そういうと顔を顰めてしまい、会話は終了した。まさか嫉妬しているとは思ってなかったので、さっさと出勤しないと駄目だと言うと、それっきり蒼はボブの事を訊いてこなかった。 今日はボブに英語を教えて貰い、これから一緒に博物館へ行く予定だ。最近よく平日の昼間に会って、ランチを食べながら、一緒に過ごしていた。 蒼は忙しいので、朝食以外は二人で食べるものの、夕食は時間帯が合わず、一人で食事する事が多い。なので、昼食をボブと一緒に食べる事が小さな楽しみにもなっていた。

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