10 / 85

第9話

ボストンの中心にあるボストン・コモン公園は木々の緑が鮮やかに映え、鳥の囀りとリスがたまに木陰から姿を現しては、自然豊かな癒しの空間を疲れた都会人に提供していた。 しかしながら、斜め遠くにいる自分の恋人と見知らぬ外人が仲睦まじく過ごしているのが見えると、ドス黒い気持ちが湧き起こり気分は最悪だった。 皐月の隣にいる男は背が高く、育ちが良さそうで、見るからに上質な良い男だ。蒼はサングラスをかけながら、ベンチに座り、新聞を読むふりをしながら、じっと意識を向こうに寄せていた。 昨日風呂の後にベッドでも散々愛し合ったのに、皐月は笑顔で出かけ、他の男と会いに行くのがどうしても附に落ちず、蒼はこっそりと後をつけた。本を読みながら地下鉄にのり、嬉しそうに相手を探す皐月の姿は初々しく、その相手に嫉妬すら覚えた。 金髪のボブが地味で大人しく優しい男であるようにと祈っていたが、現れたのはモデルのように格好良く知性的で真面目そうな男だった。皐月は嬉しそうにボブに手を振り、ハグをし頬にキスされると恥ずかしそうに顔を赤らめた。そして、先ほどからベンチで本を二人で読み合ってる。 「……………………蒼さん、何をしてるんですか?」 急に背後から声をかけられて、蒼は大きな身体をびくつかせた。 驚いて振り返ると、昨日喧嘩しそうになった元凶の黒瀬が不思議そうにこちらを見下ろしている。子供の悠はおらず、一人でじっと後ろで佇んでいた。 「く、黒瀬さん。久しぶりだね。こっちに引っ越して来たって聞いたけど、今日は休み?」 驚いて平静を装うが、黒瀬は不敵な笑みを浮かべて近寄って来た。 「蒼さんこそ、休みなら皐月と出かけなくていいんですか?向こうで楽しそうにしてますけど………。」 「……いいんだよ。僕はあとで会う約束をしてるから。」 人を苛つかせるのが得意なこの男は、にこにこと爽やかな笑顔で言いながら、顔を寄せて手にしている新聞を覗き込んだ。 「へぇ………てっきり貴方と別れて、皐月はあの金髪のイケメンと付き合ってたと思ってました。」 横目で黒瀬はボブに視線を送った。 こちらの様子に二人は気づいていないが、この男の挑発に乗らないように穏やかに対応したい。 「失礼だな。別れてないよ。」 「………そうかな。あの二人結構、お似合いですよ?ほら、お互い顔を寄せ合って話して、まるで恋人同士じゃないですか。」 「………そうだね。僕もそう思うよ。」 そうなのだ。皐月とボブは隣同士ベンチに座りながら、仲良く一冊の本を手にして顔を寄せながら語り合っては笑っている。 遠目で皐月がこんなに楽しく笑う姿を久しぶりに見て、無理矢理知り合いもいないボストンに連れて、仕事でなかなか時間を作れずにいた事を改めて申し訳なく感じた。 社交的でもなく、人見知りする皐月がボブを慕って友人関係を築いてくれるのは喜ばしいが、はたから見ると恋人のように見えてしまい複雑な気持ちになる。 仲が良いのは皐月の話からでも分かっていたが、実際に目にして見るとあまりの仲の良さにショックを受けたが、ここで変に咎めてしまうと、友達すら作っては駄目なのか?と言われてしまいそうだった。 「ちなみに、ボブは貴方がボストンで冷たくしていた時、皐月と出会ったそうですよ。」 「…………え?」 驚いて声を上げてしまい、慌てて手を口に当てた。黒瀬は図々しく横に並んで座り、長い脚をくんだ。互いに顔を合わせることなく、自分は新聞をまだ開いたまま経済欄に目を通し、顔を隠した。 「………貴方があの二人を引き合わせたってことですよ。」 「僕が?」 冷静を保つように声を穏やかにして答えるが、気分は最悪だった。まさか自分がこの二人を引き寄せてしまったと考えたくない。 「運命的じゃないですか?恋人に冷たくされて美術館で寂しく絵画を眺め、お互いに惹かれるように出会うなんて。そして、またボストンで再会する、映画のようで、僕だったらすぐに恋に落ちるなぁ…………。」 黒瀬はペラペラと横で話し終えると、清々しい顔で雲一つない空をわざとらしく仰いだ。 昨年この男のせいで、皐月に散々辛い目をさせてしまい、皐月が泣きながら『別れよう』という言葉を話す姿を思い出して胸が痛んだ。 せっかく日本から遥々ボストンへ来てくれたのに、この黒瀬という男に嫉妬し、皐月に別れを告げられ手前、もう皐月とは喧嘩をしたくない。 「………確かに皐月には申し訳ない事をしたよ。……それに今はお互い信頼してるし、前より愛し合ってるか心配はいらないさ。」 そうは言うものの、散々皐月を辛い目に合わせ、泣かせてしまった過去があるので本当はつねに皐月を心配していた。 「ならボブのあの顔、いいんですか?あれは完全に『恋する男の顔』ですよ?皐月は友達だと思ってますけど、ボブはそう思ってるかわかりませんけどね。愛犬は『ムーン』て名前なんてすよ。悠がよくサツキ、サツキと呼ぶの聞いていたんじゃないかな………。」 ムーンと聞いて同じようにそれは思った。だが、自分と同じように一目惚れし、皐月に恋されても困る。 「…………僕は皐月を信用してるよ。」 そう言って、経済欄から国際欄へページを捲る。細かい英語が所狭しと書かれているが、特に世界情勢に変化はなかった。 「蒼さん、あのボブはボブ・グレイス・ビルトといって、名家であるビルト家の三男ですよ?性格良し、評判も良し、浮いた話もなく至って真面目で引く手数多。……結構いいお相手だと思いません?もしまた貴方と喧嘩でもしたら、ボブは皐月をほうっておけないでしょうね。」 挑発するように、黒瀬はこちらに笑顔を向けて話す。ビルト家と訊いて蒼は眉を顰めた。アメリカの有名な名家である事は知っている。自分の家も名だたる名家だが、ビルト家も多くの資産を世界に持ち、堅実な一族と理解している。長男が当主で、その三男といえば自由がきくが、ボブは性格は穏やかそうで遊び人にも見えない。 「皐月とはもう喧嘩しないよ。」 そう呟くが、実際、喧嘩などしないように自分も気を使っている。また皐月から別れを告げられたら、今度こそ終わりのような気がして、今は関係の修復と愛を捧げる精一杯だ。 そして本当は早くプロボーズをして、家族がいない皐月のパートナーとしてずっと傍にいたいと考えていた。 「………ちなみに、皐月はモテますからね。学生の時は陰で手を出す奴はいるし、皐月は鈍感だから気づかないし、釘を刺すのに大変でしたよ。」 黒瀬は溜息を吐きながら話した。 確かに皐月は自分の魅力を分かってない。自分が一目惚れをしたんだと何度もその魅力を本人に伝えても笑って誤魔化して、自分は地味だし平凡だから珍しく写ったんだよと謙遜する始末だ。 「……そういえば黒瀬さんは皐月に指輪を贈ったんですよね?」 「ええ、結局指につけて貰えませんでしたけどね。」 黒瀬は少し不満そうな顔をした。 この男も顔立ちは良く、甘いマスクで魅力的だが皐月の指に指輪をつけられなかった事に少し優越感を覚えた。 「それは良かった。」 皐月の事だ。恥ずかしいとか言いつつ、紐を通して胸に隠して身につけそうだと予想できた。 付き合い初めに指輪をプレゼントとしようとしたら、事前に指輪は苦手としか言われてなかったが黒瀬の存在から皐月の気持ちが大体理解できた。 「………今日二人は指輪を見に行くようですよ。ボブが知り合いのデザイナーを紹介してくれるそうで、皐月、乗り気でしたけど。」 不意に横を向いたら黒瀬は満面の笑みで微笑み、二人から目を離してしまった。昨日、皐月からそんな事は聞いていない。ただどんなデザインが好きか?と聞かれて有頂天になって、他の男と指輪を見に行くなんて考えもしなかった。 「……………それは、初耳だな。」

ともだちにシェアしよう!