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第12話

タクシーは閑静な住宅街が多いブルックラインに入った。ブラックラインはマサチューセッツ州ボストンのダウンタウン観光名所にも近く、緑や公園も多いので子育て家族を多く見かける。 ボブの自宅らしき前に着き、料金を払って、タクシーを降りた。住宅街は一軒家が立ち並んで建てられ、急いで歩く青ざめた顔のボブの後ろをついて行く。ボブはこじんまりとした家の呼び鈴を鳴らした。 すると玄関の扉が勢いよく開き、慌てた様子で家の中から高齢の白髪の女性が出てきた。早口でボブに捲し立てて、手を引っ張りながら部屋に連れて行こうとした。ボブは彼女を落ち着かせるため、肩を軽く抱いて、振り返って簡単に自分を紹介し、女性は泣きそうになりながら自分に会釈した。そしてボブとともに家に入り、その後ろについて行くようにお邪魔した。 家の壁は凝られた模様の壁紙が貼られ、可愛らしい雑貨がちらほらと飾られ、家の主の趣味の良さと温かさを感じる。まだクリスマスでないのにスノウボールが幾つか集めているのか、並んで棚に飾られていた。 リビングに入ると、大きなバスタオルの上にムーンが座り込んで、傍には女性の夫らしき人物が寄り添うようにしゃがんでいた。主人であるボブを見つけると、ムーンは尻尾を微かに振り、鼻先を擦りつけるようにボブのズボンの裾に押し当て、か弱い声で微かに鳴いた。 『………ついさっき、何かを食べたみたいで、急にぐったりしちゃったのよ。………慌てて電話してごめんなさい。』 おろおろと女性はぐったりして座り込むムーンを撫でているボブに話した。ムーンは浅く息を吐き、大きな瞳を潤ませている。 ボブは頭に手を当ててどうしようか考えていた。恐らく犬を飼ったのは初めてなのだろう。昔飼っていた犬を思い出し、しゃがみ込んでムーンを横にし、ムーンの背中に手を当ててぐっと押した。何度か押して、ぐえっとムーンの口から数センチほどのボールをなんとか吐かせた。ボールは拳より小さなもので、コロコロと床へ転がった。 遊んでた拍子に飲み込んでしまったのだろう。まだ胃の中におもちゃがあるかもしれないのを考えて、ボブに向かって言った。 「ボブ、すぐに病院に行こう。ムーンのかかりつけの病院に行ける?あと、お水を用意して貰ってもいいかな…。」 「………ああ、うん。分かった。病院は僕が車を出すよ。」 真剣な表情でボブを見つめると、ハッとしたのかボブはまごつきながら、女性にムーンの水をお願いした。ムーンはよろよろと身体を起こして差し出された水をぺろぺろと長い舌で飲み始めた。満足そうに飲み終えると、敷いてあったバスタオルでムーンを包んでゆっくりと抱き上げ、ボブに声をかけた。 「さ、ボブ。早く行くよ!」 「………う、うん。」 じっと水を飲んでる姿を見ていたボブを急かす。女性とその夫に微笑みながら会釈して後にすると、重いムーンを抱いてボブと家を出た。 ボブは車のキーを取りに隣に建っている自宅に急いで戻った。その間、やや元気になったムーンを見下ろすように表情を確認すると、ムーンは抱かれたまま、胸元に顔を擦りつけて甘えてきた。先ほどまでの消沈した姿はなく、機嫌も大分良さそうだ。あとは胃の中に何も入ってない事を確認すれば大丈夫だろう。 昔飼っていた愛犬を思い出し、懐かしんでいるとボブが急いで自宅から出てきて、そのまま家の前に止めていた黒のSUVに乗り込んだ。 後部座席にムーンを抱きながら乗り込むと、すぐにボブはエンジンをかけ、車を発進させた。 普段落ち着いてるボブのあまりの慌てように、少し笑ってしまう。 「ボブ、大丈夫だよ。機嫌も良いし、あとは胃の中を確認するだけだよ。あのボールをうっかり飲み込んだせいだと思う。」 不安そうな顔が後ろから見え、安心させるように話した。ボブは少し振り返り、元気そうなムーンの顔を確認するとほっと安堵するのが分かった。 「…………すまない、恥ずかしい話なんだけど、犬を飼うのが初めてなんだ。」 ボブは片手でハンドルを掴み、綺麗な金髪をぐしゃぐしゃと掻き上げた。その顔がなんだか可愛く見え、ムーンとは対照的に元気が無さそうなボブに思わずぷっと噴き出した。 「はは、ボブ完璧そうに見えて、意外と……… …!」 「……クソッ………こんな姿、皐月に見られたく無かった…!」 ボブは顔を真っ赤に恥ずかしそうにしてハンドルを切っては、目的地に向かった。普段落ち着いて余裕なボブがこんな面もあるのかと初めてしり、親近感が湧いた。 蒼も普段はクールなのに、家とのギャップが激しいので、ボブの二面性を垣間見れて少し安心した。 「…………はは、ボブは初めて会った時から、近寄りがたい存在だったから、なんだか安心した。」 うつらうつらと眠そうなムーンを見ながら優しく撫でて、そう呟く。ミラー越しにボブの視線を感じる。 「そうなの?」 「………うん、初めてボストンに来た時、本当に落ち込んでいたんだ。誰も知ってる人もいないし、英語も片言で金髪のボブを見て凄く緊張したよ…。」 「…………今の恋人と喧嘩したんだっけ?」 車の窓から色鮮やかな緑の木漏れ日の降り注いだ。ボブは少し真剣な面持ちになった。 「うん、拗れて、結局別れて仲直りしたんだけどね。本当に辛かった。」 「………そっか、それは大変だったね。でも彼と一緒になる為に此処まで来たんだろ?」 「……どうだろう。傍には居たいけど、まだそんな約束はされてない。けど、ちゃんと愛してる。」 ふと、そこまで考えていない自分に気づいた。蒼との間に距離を置きたくない、ただその気持ちだけでボストンまで来てしまったのだろうかと我が身を振り返る。 両親も学生の時に交通事故で他界し、家族もおらず、友人も数少ない。初めは日本に居たいと思ったが、短い遠距離は一悶着を終えて傍にいる事を選んだ。 「………彼は何も言わないの?」 「まだこっちに来たばかりだし、そこまでお互い考えてないよ。向こうは忙しいし、暫く落ち着いたらかな………。」 そう言いながらも、男同士の将来など考えてもおらず、どうしたら良いか全く分からなかった。マサセッチュー州は同性婚は認められてるものの、果たして蒼はそこまで考えているのか、自分からはどうしても言い出せなかった。昨年別れると言い出したくせに、今年に入って急に結婚したいなど時期早々過ぎる。

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