24 / 85
第23話
爽やかな新緑が幾重にも重なり木漏れ日が降り注ぎ、風が吹くとさやさやと葉が舞う感じが二日酔いと疲労した身体を癒した。珈琲片手にいつものボストン・コモン公園を散歩しながら、ベンチに腰を下ろして休んでいた。
あれからまだ第二ラウンドを開始しようとする蒼を懸命に止めて、シャワーを浴び、早々と出勤させるのに大変だった。蒼は名残惜しそうに『今日の夜も赤ワイン飲む?』と誘ってきたので、玄関で顔を真っ赤にして振り返る蒼を何度も押しながら、絶対にもう飲まないと誓った。
すぐに眠ってしまうと思っていたが、碌でもない事になるのは間違いないと確信した。
あと弘前からの餞別はすぐに洗濯機にいれたので、帰ったらクローゼットの奥深くへ隠す予定だ。
道行く人を眺めながら、昨夜の惨事を思い出しつつぼうっと目の前の美しい光景を眺めた。
小さな子供がボールで遊び、シートを敷いてのんびり日向ぼっこしているカップルもいた。
「…………皐月、あの後大変だった?」
急に見知った声が背後からした。
「げ、黒瀬」
黒瀬はにこにこしながら、にゅっと脇から顔を出した。
スーツを着ているが、手ぶらのようだ。
「いつも君は『げ』だよね。昔は、可愛く名前を呼んでたのに、今じゃ全く虫以下だね」
そう溜息をつきながら、黒瀬は横に当たり前のように腰を下ろした。
「そりゃ、虫以下になるよ。仕事はどうしてんだよ?」
「会社がここら辺だから、たまに気分転換に散歩するんだよ。秘書から鬼のように電話来るし、何かあれば大丈夫だよ。」
「…………大丈夫って。あ!黒瀬、蒼をわざと挑発しただろ………。」
「バレた?」
「バレた?じゃないよ。本当にやめてくれ。もう喧嘩したくないんだ。」
溜息をついて、珈琲を口に含んだ。
やっぱりボストンの珈琲は苦みが強く眠気がよく醒めていく。
「まあ、ここに痕つけられちゃ、妬けるよね」
首筋を指差すので、はっとして手でその部分を抑える。
朝シャワーを浴びた時に自分の躰が酷い醜態になっていたのは重々承知だった。
それよりも蒼の躰の方が心配で、歯形や痕が酷く残っていて、申し訳なく謝り通したが蒼はとても嬉しそうだった。
「…………おかげで仲は良好だよ。蒼とランチしたんだって?」
不満げに黒瀬を横目でみるが、そうだっけ?という表情で本人はあまり気にしていなそうだった。
「そうそう、蒼さんて意外と話すと面白いね。最初は嫌そうだったけど、仲良くなれそうだよ。」
蒼の嫌そうな顔がすぐ浮かんだが、黒瀬の仲良くなれそうは信用ができない。
黒瀬はにこにこしながら、自分の手から珈琲を奪い一口飲んだ。
「…………どうせまた余計な事話してたろ?」
「…………うーん、どうだろう?あ!皐月さ、指輪見に行ったの?」
「へ?」
黒瀬を見ると、じっとこちらを真剣な表情で見つめていた。
「指輪だよ。ボブだっけ?…………彼と見に行ったの?」
「………行ったけど?」
不機嫌になりながら言うと、黒瀬は呆れたのか、大きなため息をついて、大袈裟に首を横に振った。
「……皐月、本当に君は信じられない。もしかしてだけど、お互いに同じ指輪を嵌めて見せ合いっことかしてないよね?」
ぽかんと口をあけて、黒瀬の顔を眺めた。
黒瀬から戻された熱い珈琲が指先をじんじんと感覚を麻痺させていく。
「したよ。なんでそんな事知ってるんだよ。」
悪態をつくように黒瀬に言う。
「…………まさかと思ったけど。信じられない!!君は馬鹿なの?僕は蒼さんに同情するよ。」
「なんで?」
「………なんで君はどうしてそう、鈍感なの。もの書きだよね。心理描写書かない?ミステリーばっかり書いて麻痺してない?」
黒瀬にそこまで言われる筋合いはないが、鈍感なのは当たっているかもしれない。
「書くよ。心理描写書くけど、それが指輪とどう関係があるんだよ。」
不満そうに反抗するが、まるで理解してないという表情で黒瀬の瞳は憐憫に満ちていた。
「そうじゃなくて、例えば蒼さんが君と違う人と指輪を一緒に見に行って、それを楽しそうにウィンドショッピングしてる姿を想像してみなよ、嫌だろ?」
「………それは。」
嫌だった。相手が誰であれ、嫌だ。
ごくごくと珈琲を飲み込むが、胃の中がカッと熱く感じ酸味が口の中に広がる。
『見に行く姿さえ嫌だよ。』
昨夜の蒼の言葉が頭に浮かんだ。
「ね?そういうことだよ。君、もうちょっとパートナーの気持ちを考えた方がいいよ。…………僕が言えた義理じゃないけど、よく話し合った方がいい。」
余計なお節介だったが、一理あった。
「…………でもボブは友達だよ。」
「友達だとしてでもだよ。同性だから難しいけど、自分が嫌なら辞めるべきだ。同じ立場になったらきっと分かるよ。……………まぁ僕には心が痛い言葉だけどさ。」
散々浮気した奴がよく自分に説教を垂れられるなと感心する。
確かにボストンに来たばかりで、知り合いもおらずボブにばかり頼りすぎた。
ちゃんと蒼と向き合ってるはずだが、昨夜の蒼の言葉から自分は蒼の気持ちをもっと考えるべきだと痛感した。
「…………僕達、話し合いもせず、それで別れたんだから、それも踏まえて彼を大事にしなきゃ駄目だよ。この前は彼、すごく不安そうな顔していたからね。」
黒瀬は肩を軽く叩くと立ち上がって、笑った。
「不安そう?」
「そう、なんだか可哀想だったよ。いじめ過ぎたって謝っておいて。……ごめん、秘書から鬼電来てるからもう行くよ。」
黒瀬は振動する携帯を手に取り、振り返りもせず、さっさと歩いて行ってしまった。
小さくなっていく黒瀬を見つめながら、自分も珈琲を飲み干すと反対方向に足を早めた。
ともだちにシェアしよう!