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第19話
「あ、蒼?」
たじたじになりながら蒼を見つめるが、逆に蒼は薄緑色の瞳を潤ませて見つめ返す。
怒っているのか、それとも他の事を考えているのか、全く読めない表情だった。
「………ごめん、もしかして全く飲めない?」
「い、いや。飲めないというわけじゃないけどさ………。」
しどろもどろでソファに腰を下ろす。目の前には映画のDVDがいくつか用意して置いてあ、ジャンルはアクション、恋愛、ミステリーと豊富だ。
二人とも映画好きで、日本にいた頃はよく家でも映画館でも映画をよく観た。しかしながら、ボストンに来てから、引っ越しやら仕事などで映画すら観てない事に気がつく。
よく考えると、蒼とゆっくりこの家で過ごした事なんて数少ないかもしれない。大抵ベッドの中にいるか、本を読むか、外へ出かけてしまい、数あるDVDもあんなに何度も観たのに、久しぶり過ぎて懐かしくすら思う。
「イタリアのバローロなんだけど、知り合いから頂いたんだ。………皐月、やめる?」
赤ワインのボトルを見せて、蒼は優しく微笑んだ。バローロはイタリアで最上級の赤ワインとして有名だ。長期熟成に耐える重厚かつ深遠な味わいを持つ。値段はピンからキリだが平均的にやや高めで、美味しさは保証できる。
「…………うぅ。ずるい。」
「皐月、嫌ならいいんだよ。無理には勧めたくない。」
そう言いながらも、ボトルを眺めてると飲みたい気持ちになる。
どうしてこう、酒好きは反省という言葉がないのだろう。
「でも、飲んで酔っても…その、なんかしてたらごめん…。」
一応飲む前に謝った。
過去に黒瀬に散々怒られた記憶を反芻した。
あれは学生の頃、黒瀬の部屋で飲んだ時だ。黒瀬がバレンタインに持ってきた高級そうな赤ワインを二人で飲もうと意気揚々に持ってきた癖に、黒瀬に真剣な顔で正座されられて、散々怒られ、大変だった。朝起きると記憶が全くなっており、事後だったが、二度服は脱ぎ捨てられて、グラスは転がり、残骸が色々すごかったのを覚えている。
『絶対に僕以外の人と飲まないでね。いいかい?絶対にだよ!』
普段怒らない槙を怒らせた。それが、なんだか怖くなり、それ以来赤ワインは控えてる。
何をしたんだろうと不思議に思いながら、槙に何度も聞くが槙は絶対に口を割らなかった。
そんな遠い記憶を思い出しながら、DVDを数枚手に取り、その中から適当にミステリーを選ぶとケースから取り出してデッキに入れた。リモコンはご丁寧にテーブルの上に揃えられている。
「怒らないよ、ただちょっとだけ、黒瀬さんに嫉妬したよ。無理に勧めるわけじゃないけど、彼の挑発に乗っちゃったね……。ごめん。」
蒼はしゅんとしながら、ソファの前に設置してるローテーブルにワイングラスを二つ並べた。恐らく黒瀬の秘密を握るような言い方が気に食わないのだろう。
なんだって、いつも、黒瀬は蒼を挑発するように余計な茶々を入れてくる。
悠は素直で可愛いが、黒瀬はその逆なので会うと頭が痛い。
「…………蒼が謝る事じゃないよ。黒瀬は昔からああだし、………その、飲み過ぎると記憶が飛ぶんだ……。」
「え、そうなの!?……皐月、ごめん。それならやめよう。」
蒼は急に驚いた顔をして、慌ててボトルワインを片付けようとした。
流石に記憶が飛ぶと聞いて、蒼も無理に勧めたくないらしい。
「……あ、いや。少しなら飲める。大丈夫。」
目の前に置かれたシンプルで華美なラベルを眺めた。ラベルに印字されたバローロと流れるような字体が、ますます名残惜しく見えて、どうしてもやんわりと諦められない。
じっとボトルを顔を顰めて物欲しそうに見つめるのを蒼は読み取ったのか、クスッと苦笑した。
「…………うーん。なら、味見程度にしよう。ごめん、わざと苦手な赤ワインなんて出して。意地悪だったね。少し飲んで、映画でも見ながらゆっくり休もう。」
蒼は優しく言って、ワインのコルクを抜いた。ふわっとラズベリーの可憐な香りが鼻腔を擽り、赤く芳醇な赤ワインがとくとくとグラスに注がれた。二つのグラスは薄暗い中、間接照明で仄かに照らされ、赤ワイン独特のタンニンの香りが漂い、うっとりとした気分になった。
「…………うん。」
ロマンティックな情景を細目で眺めながらも、複雑な気持ちになる。
「……皐月、もしかして、そのままベッドの方が良かった?」
ドキッと胸が高鳴り、蒼の顔を見た。
図星だった。蒼はにこっと意地悪そうな顔で微笑み、赤ワインを手に取る。
「いや、全然……!」
まさか初めて自分で準備して、弘前に餞別がてら押し付けられた如何わしい下着を身に着けているとも申告したくない。
「…………そうだよね。いつもベッドばかりだから、なんか僕も反省したよ。ちゃんと、こうやって時間を取って、のんびり話をしないといけないてね。」
蒼は溜息交じりに苦笑した。
てっきりボブのドタキャンや黒瀬の挑発に怒っているかと思っていたので、拍子抜けだった。
「………蒼、怒ってないの?」
そう聞くと、蒼は優しく微笑んで赤ワインのグラスの香りを嗅いで口に一口含んだ。
その表情は柔らかく穏やかだ。
「………そりゃ、ボブとか黒瀬さんに邪魔されて頭にはきてるけど、皐月とゆっくり過ごしてないなって今日反省したんだ。…………ごめんね。去年僕が皐月にした事に比べれば、全然許せるさ。……もう君の唇から、別れの言葉を聞きたくないんだ。」
蒼はそう言って、長い指先で唇に触れた。
「…………え、いや。」
「それに、君が朝倉君の事を言っていた意味、何となくわかったしね………。」
赤ワインの渋みなのかわからないが、蒼は苦い顔をした。
自分は蒼の言葉で昨年の自分を思い出して、掻き消すようにワイングラスを煽るように流し飲む。朝倉とは何度か会ったがやはり苦手で、今でも学会で落ち会う二人を咎めはしないものの、黙って見過ごしている。
「いいよ、同僚なんだから。………気にしてない。」
そう言って、テレビの画面を眺めた。薄暗いリビングで、映画に集中するが、選んだDVDは眠そうなミステリーをチョイスしてしまったようで少し後悔した。序盤からすでに登場人物が多く、設定が複雑過ぎて頭に入らず、赤ワインをどんどん飲んでしまいそうだった。
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