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第32話
「ユーリ!」
蒼はカップを落としてフラフラとこちら側に歩み寄ってきた。足を早めて、腕を伸ばしてどんどんと近づいてくる。一瞬、自分を抱き締めるんじゃないかという錯覚をしてしまい、両手を伸ばして駆け寄ってくる蒼を止めようと身体が動く。蒼はそんな自分をすれ違うように横切り、ボブの向かいに座っていた相手の前に行った。
そして相手も立ち上がると互いにぎゅっと身体をきつく抱き締めた。
蒼の薄緑色の瞳は潤んで、相手も驚きながら背中に手を回すと、左手の薬指の小さな石が陽光に反射して光っていた。
目の前の二人の熱い抱擁をドラマを見ているようにボブと茫然と眺めている。まるで運命の再会を見ているようで、青い空と白い砂浜が絶景のロケーションを演出させている。
「蒼、久しぶりだね…………。」
ユーリと呼ばれた人物は蒼の胸の中で小さく呟き、蒼はユーリを離す事なく、抱き締め続ける。
「………………ユーリ………!」
蒼は強く抱き締めながら泣きそうになっていた。一体どういうわけなのか、よく分からないままその様子をボブと眺めていると、ボブがはっとして蒼の背中を軽く叩いた。
「アオイ、離してあげてくれ。…………ユーリはまだ心臓が弱いんだ。知ってるだろ?」
「………………ごめん。」
はっとして、蒼は名残惜しそうに腕の力を緩めた。ゆっくりとユーリが腕の中から離れていくが、二人ともなんだか意味ありげだ。
「…………二人は知り合いなの?」
場の空気も読めず、自分はにこにこと笑顔で言ってしまった。ボブは小さい溜息をついて、蒼とユーリは自分の顔を見つめると驚いた顔をしている。学生時代の友達と久しぶりに再会できて喜んでいるのだろう、とその時思った。
「………うん、大学からの知り合いなんだ。ユーリだよ、皐月。」
「…………ユーリ・ビルトです。ボブの従兄弟です、初めまして。」
蒼はユーリを自分に紹介すると、ユーリは短く呟いて長い睫毛を伏せながら手を差し伸べた。その手は白くて細く、どこか儚げに見える。
「倉本皐月です。蒼とはパートナーなんだ。」
照れながらユーリに指輪を見せた。海のせいか気持ちが解放的になってしまっていた。ボブがいる手前、知人と答えるのも難しく思い切ってそう答えた。そして蒼がまた結婚式の事を言い出すんじゃないかと顔を見上げるが、蒼はじっとユーリを見つめたままだった。
「…………そっか………。」
ユーリを左手をぎゅっと握り、さっと後ろに隠した。
「……ユーリ?」
何か失礼な事でも言っただろうか。
ユーリの顔は青ざめ、顔色が悪い。
「アオイ、珈琲が落ちてるよ。買い直した方がいいんじゃないか?」
ボブが場を取り繕うように、向こうに転がっているカップを見ながら心配そうに声をかける。白い砂が黒い染みのように広がっていた。
「ああ、そうだね。」
蒼は上の空で空返事をしながら、落ちたカップを拾い上げ、レジへ足を向けた。途中振り返ってじっと心配そうに見ていたが、すぐに珈琲を買いに戻った。ユーリは俯きながら席に戻って座り、ボブも隣へ座りユーリの背中を優しく撫でた。
「ボブ、良かったらランチ一緒に食べようよ。蒼とユーリも久しぶりに再会できたんだし、ピザでも食べない?」
神妙な面持ちの二人を横に、自分は能天気にそんな事を言った。青い海と解放的な気分ですっかり浮かれ、二人の気まずい雰囲気に気づいていなかった。ボブはユーリに視線を移し、ユーリを見ながら困った顔をした。
「………ボブ……。」
ユーリは綺麗なブルーの瞳を潤ませて、ボブの名前を呟いて首を横に振った。ボブは顔を顰めて何か考えている。
「ごめん、邪魔しちゃったかな?」
自分は気まずい雰囲気にやっと気づいて、取り繕うようにボブに言った。
「………サツキ、ごめん。僕達もう行くよ。アオイにに宜しく伝えておいてくれ。」
「そっか。うん、分かった。ユーリ大丈夫?」
ボブの心臓が悪いというのを思い出し、ユーリの顔色が悪いのを見てしまうと強く誘えなかった。ユーリの身体は細く、どこか顔色も青白く感じる。
「………うん、皐月は優しいね。今日はありがとう。会えて良かった。………僕はもう行くよ。蒼によろしく伝えて欲しいな………。」
ユーリは儚げに微笑んだ。綺麗な瞳が潤むように細められ、長い睫毛が頬に影を落とした。
そして丁寧に頭を下げ、ゆっくりと立ち上がる。すると、柑橘系の爽やかな香りが仄かに感じた。
「あ、うん。またね。」
ユーリの儚げな顔立ちに見惚れ、ぼうとその様子を眺めて手を振った。ユーリはテラス側の柵の間からそそくさと出て行くと、ボブが慌てて後を追いかけた。
「……ユーリ!」
「ボブ、出口はあっちだよ?」
「………ああ、ちょっとビーチで気分転換したいんだ。ごめん、カップと瓶をお願いできる?」
「う、うん。分かった。」
きょとんと呑気にボブに声を掛けた。急いでテラス側の柵を越え、ボブは困った顔で小さくなるユーリを追いかけ、あっという間に二人は居なくなってしまった。
半分以上残されている珈琲とジンジャーエールを呆然と見ながらゆっくりとユーリが座っていた椅子に腰を下ろす。
遠くから蒼がこちらを見て目が合う。蒼は一瞬ぎょっとしたのか驚いた顔した。だが、すぐに元の顔に戻りきょろきょろと辺りを見渡しながら近づいてくる。
入れ立ての珈琲の香りがほっと心を和ませた。
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