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第35話
ロサンゼルスから慌ただしく戻って、数日経過した。
ボストンの生活に慣れたようで、戻ってくるとどこかほっとするような気がする。
青い空と海ばかり眺めていたせいで、このボストン・コモン公園の新緑が懐かしくなりまた一人散歩しながらベンチに腰を下ろしている。
「へぇ、指輪買ったんだ。僕の説教が効果的だった?」
アイスコーヒーを飲んでいると、黒瀬が横から顔を出した。
まったくこの男はちゃんと仕事をしているのだろうか。
たまに心配になるが、今日はきちんとスーツを着て重役ぽくめかし込んでいた。
「………………まぁそんな所だよ」
ぼそっと小声で答える。
手には氷が解けて、水滴がびっしょりついていた。
「なにか歯切れが悪いね。なんかあった?」
「いや……」
浮かない返事をしながら、数日前の様子を振り返る。
ロスからボストンへ帰ると、蒼はますます上の空で何を言ってもぼんやりとして、心配になった。
夜も遅く帰ってきて疲弊したように疲れ切っていた。そしてその割には毎日躰を激しく求めてくる。
やめようと窘めても蒼は止めず、躰を押さえつけてでもしようとするので困っていた。
そして、つけた覚えのない無数のキスマークを最近よく目にしては疑問に思っていた。
だが、いつも酒に酔ったまましたりするので覚えておらず、痕をつけないようにしようと反省し、そしてまた激しく躰を重ねるという日を繰り返している。
「もしかしてセックスレス?」
黒瀬は嫌味たらしく、爽やかに笑った。
そよそよと気持ちの良い昼下がりになんて事を言うんだろう。
この男は一児の父親だ。悠の顔を思い浮かべると深く同情した。
「…………逆だよ」
「はいはい、だろうと思ったよ。お熱いことで良かったね」
黒瀬は小さく溜息をついて、手にしていたホット珈琲を飲んだ。
「そうだといいんだけど……」
なにか違和感を感じるのだ。
いつもの蒼とは違い、最近冷たいというか、よそよそしくも感じる。
鈍い自分でもなんとなくそれは読み取ってはいる。
でも仕事の話もしないし、お互い忙しく会話さえままならない日が続いている。
「…………彼も同じ指輪してるの?」
「いや。仕事柄、指輪を外す機会があるから無くすかもって外して引き出しに仕舞ってるよ。」
「…………え?」
黒瀬はその言葉に目が点になり、珈琲を噴き出しそうになっていた。
ごほごほと胸を叩き、喉に入ったのか咽ている。
ざまぁみろと微笑ましく横目で眺めながら、どうしてそんな事を訊くんだろうと疑問に思った。
「あの嫉妬深い人が指輪をしないの?」
「外科医だから手術ぐらいするだろ。貰ってた時は煩い程喜んでたし、いいじゃないか」
やけに食い下がる黒瀬にイライラが募る。
いつもこの男は人を苛つかせる。
「ふーん、珍しいね。まさか浮気してたりしてね」
黒瀬を眉を片方上げて、にこにこと笑ってまた珈琲をごくごくと飲み込んだ。
「はは、蒼が?絶対にありえないよ。黒瀬じゃあるまいし、ないない!」
黒瀬の言葉に笑うと、冷たい珈琲をストローで吸った。
胃の中に冷たい液体が入り、じわっと変な感じがした。
蒼が浮気なんて考えられなかった。散々嫉妬して、ボブに寄り掛かっただけでもヤキモチを妬く男だ。ありえない。
つい最近プロボーズまでした男が浮気なんて信じられなかった。
笑いを堪えていると黒瀬はふと何かを思いついたように言った。
「……今日ボブは?」
「最近仕事が忙しいから、あまり連絡を取ってないんだ」
それは本当だった。ただ、黒瀬から言われた通りボブからの誘いは仕事を理由に断っていた。
ランチをしたいと誘いのメールは受信していたが、プロボーズを受けてからあまり頻繁に会うのもなんだか蒼に悪い気がした。ボストンに帰ってから、蒼にボブと会うの?と聞かれた。
『……………あまり会って欲しくないんだ。ごめん』
蒼はそう言って、困った顔をした。そして黒瀬の説教通り、とりあえずは誘いを曖昧に断っている。
「そういえば、皐月、先週の土曜にボストン港にいた?ウォーターフロントに悠と行ったんだけど、悠が間違って声をかけちゃったみたいなんだ。瞳はブルーだったっていうんだけども、似てる人もいるんだね」
黒瀬は苦笑して言った。
悠はまだ5歳であと数か月で小学校だ。
自分と似ている間違えてもしょうがない。
ボストン港は美しい港として潮泊しているヨットや船がをぼんやり眺めながら、ゆっくりと過ごせる。
観光地としては人気で、土日ともなれば人も多かっただろう。
間違えて声をかける悠を想像して、笑ってしまった。
「そりゃ地球上で似た人はいるだろうけどさ……」
ブルーと訊いて、ユーリの顔を思い浮かべた。
瞳は確か、ブルーだ。だが彼はロサンゼルスにいるはずだ。
「……………そうか、丁度ね、僕も蒼さんに似た人を見かけたんだ」
「蒼?」
「うん。だから、君達もてっきり観光に来てるのかと思ったけど……」
黒瀬は心配そうな顔で言った。
自分は残り少ないアイスコーヒーを飲み切ると笑った。
「はは、蒼は仕事だよ。最近休みなく働いてる。なんか忙しいみたいで、夜も遅いんだ」
ゆっくりと過ごす時間があまりないようで、最近蒼は帰宅時間も遅く会話も少ない。
それでも無理して抱こうとするので心配になる。身体だけ繋がれているようで少し寂しい気持ちはあった。
「そうか。人違いだね。……まぁ、君とそっくりな人で性格が良かったら僕は絶対惚れちゃうかな」
黒瀬は笑って頭を撫でた。
同じ年なのにいつもこうやって、親のように頭を撫でてくる癖をいい加減やめて欲しい。
「悪かったな。俺も黒瀬に似て性格が完璧な人がいたら、絶対に惚れているよ」
嫌味たらしく黒瀬に言ってお互い苦笑した。
ふと蒼とユーリを思い出す。
二人こそお互い完璧と言える、申し分ない容姿と性格を持っている。
本当にお似合いはああいうカップルなんじゃないか、と頭の片隅で思いながら黒瀬の顔を眺めた。
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