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第38話

昼間から浴槽にお湯を貯めて、蒼とゆっくり身体を温めながらお風呂に浸かる。さっきは後ろから抱き締めるように抱かれ、浴室に卑猥な声が漏れ響き恥ずかしくてたまらなかった。 ぐったりと後ろから抱き抱えられるように湯船に浸かっていると、ふと、蒼が怪訝な声を出して、首筋を指でなぞった。 「………これって……?」 なぞられた場所がすぐにわかり、急いで首を押さえて隠してしまった。 「………へ?………あっ…!」 その部分は赤く充血して痕になっていた。 実は帰り際、黒瀬が身体を引き寄せ、急に首筋を吸いつけてきたのだ。冗談にしては悪質で、黒瀬本人は悪びれる事なく言ったのを思い出す。 『……………この間はお説教しちゃったけど、もうちょっと余計なお節介を掛けてあげるよ』 ニコニコと爽やかに笑うので、手の甲を思いっきり抓った。『要らぬお節介はもうやめろ……』と言いつつ、自分は物凄い顔で黒瀬を睨んで帰った。 「……………これ、どうしたの?」 「……ごめん、黒瀬が…………なんか、冗談でつけてさ……、怒ったんだけど…………………。ごめん、油断してた。」 蒼はじっとその部分を眺めながら何も言わないので、しょんぼりと白状した。 冗談と言っても一線はある。このキスマークを見て、いい気分はしない。 「黒瀬さん、何か言ってた?」 冷たい声でその部分を優しくなぞり、蒼は言った。 その指先は冷えてぞくっと背筋が震えそうだった。 「…………いや、何も言ってないよ。本当、今度からきつく言っとく………。蒼、ごめん。黒瀬と言っても、昔の恋人のキスマークなんてついてたら不愉快なのは分かってる………………。」 肩を竦めて蒼の胸元に沈む。 温かいお湯が肩まで浸かり、ぬるま湯が心地良く感じるが蒼の気持ちを考えると罪悪感で一杯でやるせなかった。 なぜこうまでして黒瀬は自分にちょっかいを掛けてくるのかよく理解できなかった。 頭上から蒼の声が響く。 「………………まだ黒瀬さんの事、好き?」 「へ?」 意外な言葉が蒼の唇から出て、思わず変な声が出た。お互い桐生や黒瀬の事はなるべく話題にしないように接してきた。 黒瀬の事などお互い嫌という程分かりきっている。 「今は蒼だけだよ。本当。黒瀬の事はもう終わってるから。……………心配しなくていい。その、これは、本当にごめん……油断してた…………。」 自分の間抜けさに呆れながらも、蒼に謝る。 昨年、黒瀬の事で揉めた事もあり、蒼を安心させたかった。誰だって、過去の恋人にそんな事をされたくない。 蒼は辛そうな顔をして、優しく首筋にキスをした。 「…………いいんだ、ごめん。」 「蒼?」 蒼があまりにも寂しそうな声を出すので心配になって顔を見上げた。 その顔はなんとも言えない複雑な気持ちを孕んでいる。 また自分は蒼の気持ちを考えずに無自覚に傷つけてしまったのではないかと不安になる。 ボブの事といい、無自覚過ぎると黒瀬に言われながらもこんな形でキスマークをつけてくる自分をますます反省してしまう。 「そろそろ上がる?」 蒼は優しく微笑んで、立ち上ろうとした。 引き締まった肉体に抱き支えられ、浴槽からでる。 「…………うん。」 少しのぼせたのか、ふらふらと浴室からでて脱衣所に出ると蒼からタオルを貰う。 ふと、蒼が脱いだ紺色のポロシャツに目が留まった。 確か、指輪を入れていたような気がして、横目でドライヤーをしている蒼を確認しながら、なんとなく胸ポケットに手を伸ばす。 「どうしたの?」 蒼の視線が自分に留まった。 胸ポケットを触った瞬間、身体がびくっと揺れて指輪がコロコロと落ちた。 カーブのない、石のついた指輪が目の前を転がり、蒼はすぐに手に取った。 「…………忘れてたね。ありがとう。」 それだけ言って、蒼は穏やかに微笑んでバスローブを羽織るとすぐに出て行ってしまった。 バクバクと嫌な予感がした。

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