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第42話
はっとして、ユーリの顔を見る。
柑橘系の嗅ぎなれた香りが微かに鼻腔を擽った。
「ごめん、ユーリ。勝手な事ばっかり言う奴なんだ………。聞くに堪えないけど、聞き流して………。」
笑って黒瀬の肩をバシバシと叩くと、どくどくと自分の鼓動が胸を鳴らすのを感じた。
「……………似てない……?」
小さく小声で呟くように聞こえた。
ユーリは呆気にとられて、茫然とこちらを眺めている。
「全然似てないよ。そりゃ、雰囲気こそ合えば似てると思うけど、全然タイプ違うよね。皐月は蒼さんのツボをよく掴んでるし、蒼さんは阿保かと思うぐらい、いつも君の惚気ばかり言ってるんだ。ちょっと皐月の事を言うと、あの人、すぐに嫉妬するからね。ついついこっちも苛めたくなっちゃうんだよ………っ……いててっ………。」
笑いながら言う黒瀬の掌を強く抓って、溜息をつく。
前回蒼が黒瀬とランチしていたのを聞いて、内容が心配になったが碌でもない内容なのが予想出来て少し安心した。
「……………黒瀬っ…!…………ごめん、ユーリ。変な事聞かせてしまって………。」
昼間から黒瀬がまた変な事を言い出しそうで、ユーリに対して申し訳なかった。
せっかくの友人である蒼の評判を落としたくない。
「…………蒼、嫉妬とかするんですね…………。」
ユーリは悲しそうな顔で言うと、またアイスティーを口に含む。
昔は冷たかった…という弟の紅葉の言葉がふと思い出す。
「するよ、彼は皐月にぞっこんだからね。……………まぁ変な邪魔が入っても無駄だと思うよ。彼の心は皐月で満たされるからね。」
黒瀬は自分の代わりにペラペラと言いいながら珈琲を飲み、穏やかに微笑んだ。
なぜ元恋人に現恋人の惚気を代弁させられなければならないのか。
黒瀬の余計な言葉の端々に、どっと疲労感だけ増していく。
「…………黒瀬、蒼の評判に関わるからやめろ。」
「そう?………彼、君にプロボーズするんだと僕に大人気なくけん制をかけてきたんだよ。本当あの嫉妬深さには尊敬するね。…………もう、皐月はプロボーズされた?」
にっこりと微笑みながら黒瀬はユーリを横目でみながら自分の方を向いて聞いてくる。
胃がキリキリと痛み出す。
黒瀬はユーリを敵対するかのように、蒼の恥ずかしい言動を晒しながらずいずいと自分に迫ってくる。わざとらしいような、その場の雰囲気を楽しむような顔が横目で見えた。
「……………されたよ。」
短くそう言うと、ユーリは悲しげに笑い、そっと席を立つ。
「………そっか…………ごめんなさい、用事を思い出しました。………もう帰りますね。お会計ここに置いて……。」
ユーリが財布を出そうとしたので、自分はその手を止めた。
薬指の石が目に入る。似たようなデザインに見覚えがあった。
「いいよ。気にしないで。………今度また会ったら、黒瀬におごって貰おう。」
優しく微笑んで、触れた左手の薬指を軽く撫でた。ユーリは驚きながらも、申し訳なく頭を下げて、すぐにカフェから出て行った。
ユーリの姿が見えなくなるのを確認すると、どっと力が抜けて疲労感から解放された気分になった。
疲れた。
「……………皐月、そういう時は『もし良かったらユーリさんも結婚式に来て下さい』くらい言わなきゃ。」
黒瀬はビスケットを何枚か一気に口の中に放り込んでバリバリと食べて、意地悪そうに言う。
せっかくのチーズが台無しである。
「煩い、俺はそこまで性格悪くないよ。相手は病人なんだ。」
溜息をつきながら珈琲を飲み込む。
胃の中がキリキリと痛むように感じ、自分もビスケットを食べた。チーズの味が口の中に広がり、甘い味に癒される。
「へぇ、君はもう気付いてるんだよね?」
眉を少し上げてわざとらしく、にこにこと人の不幸を笑うように、黒瀬は珈琲を飲み込む。
「……………流石にね。」
全てお見通しのような顔でこちらを眺める黒瀬を睨んだ。
「…………ま、鈍感で愚直な君が気づいたのは褒めてあげるよ。で、これからどうするの?一週間の別居生活楽しんでいいの?」
にこっと笑いながら、黒瀬は貶しながらも意地悪く笑う。
伊達にこの男の浮気癖に8年費やしていたのも無駄でなかったなと、痛む胃を摩った。
「…………黒瀬、少し頼みがあるんだけど……。」
高くつくだろうと予想できたが、数年ぶりに黒瀬を頼った。
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