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第52話

悠の世話が終わったのに、蒼の世話が待ち受けていると思うなんて身体が休まらない。タクシーに揺られながら、蒼を横目で見るが表情は読めない。怒っているわけでないのは確かだ。 自宅に着いてチップと料金を支払い、荷物を下ろす。1週間ぶりの我が家はなんだか懐かしく感じた。家に入り玄関のドアを入り上履きのスリッパを履くなり、急に手を掴まれて浴室に連れ込まれた。 「あ、蒼?」 蒼は無言で表情が見えない。 どうしてそんな強い力で浴室に連れていかれるのか理解できない。 蒼はすぐにシャワーヘッドのスイッチを押し、無言で抱き締めてくる。 温かいお湯が流れ落ち、すぐにお互いの服が濡れていく。 蒼に浴室の壁に押し倒されながら、貪るようにキスをされた。 リップ音を立てながら、蒼は手首を押さえつけて情熱的に唇を合わせていく。 口腔内に舌が蹂躙するように侵入し、互いに絡めようとするが追い付かない。 唾液を吸われ、唇が離れる。 目の前の蒼を見つめると、その表情は憐憫に満ちて悲しげだった。 「………………ごめん、皐月から黒瀬さんの香りがして嫉妬しているんだ。」 「はは、蒼、俺より心が狭い。……………もう、びしょびしょだよ」 そう言って、離れた唇に軽くもう一度唇を重ねる。 互いに濡れていくのを感じながら、軽いキスが段々と深くなっていく。 さっき黒瀬に抱き締められた時にコロンが移ったせいだ。それに1週間も住んでいれば、匂いも変わるだろう。蒼の狭量の小ささに笑いそうになった。 家についた途端、シャワーをかけられるほど嫉妬するなら自分はまだ蒼より大人だなとしみじみ感じる。こんな蒼を可愛いとすら思う自分に呆れそうになる。 シャワーの水音が浴室に響き、徐々に服が肌に張り付く。お互い求めるように腕を回す。久しぶりの蒼の引き締まった身体の感触に胸がときめいた。 「…………逢いたかった。」 蒼が抱き締めながら、泣きそうな顔で言った。 前髪が濡れ、せっかくのジャケットがすでに見る影もないほど濡れている。 それでも不思議と恰好良く見え、胸がドキドキと高鳴る。 1週間、連絡すらしなかった事を少し後悔しそうになる。 「また隠し事したら、次は蒼に何かしてもらおうかな。」 蒼の唇にまたキスをして、軽く噛んだ。 次なんてあるんだろうかと少し疑問に思ったが、まぁそれはその時考えよう。 だが、あまり苛めると黒瀬にまた嫌味を言われそうだ。 「……………皐月、まだ怒ってる?」 「怒ってないよ。」 少し悲しげに笑って言った。 昨夜の話をまた思い出しそうになって、どうでも良くなってしまったのだ。 「また離れたら、もう逢えないと思ったんだ。これからは君をもっと信じるよ。」 「………………その事なんだけど。蒼、俺のパスポート知らない?」 壁に寄り掛かりながら、蒼を上目遣いで見つめる。 いつの間にかトランクからパスポートが消えているのだ。 昨日確認した時に気づいて、しまったと焦った。 これでは日本に帰れない。 「僕が持ってる。」 ぎゅっと抱き締める蒼は耳元で低く囁いた。 「……………だと思った。」 呆れながら、小さな溜息をつく。 蒼はちゃんと自分の性格をある程度理解しているようだ。 「帰る時はちゃんと言うって約束したからね。」 蒼は前に約束したことを覚えいたのか、じっと自分を責めるように見つめキスをした。 吸い付くような優しいキスに絆されかけている自分がいた。 「……………事後報告でもいいと思った。」 小さな声で囁くように話すと、蒼はきっと怒った顔をした。 「皐月、それは反則だよ。」 「……………んっ………。」 唇から首筋にキスを落とされ、甘い痺れが走る。 蕩けるような感覚に身体から力が抜けそうになる。 「………………………皐月、一週間分、愛していい?」 蒼は濡れた前髪を掻き分け、薄緑色の瞳を潤ませた。 自分は笑いながら、首をふるふると横に振った。 悠の世話が終わった途端、蒼の世話までするには身体が持たなかった。 だが、蒼は容赦なく唇を重ね、シャワーが流れ落ちる音が耳に響いた。

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