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第56話
薄っすらと瞼を開く。
瞼の隙間から、ぼやけた無機質な天井が見えた。なんとなく、ここが蒼の家でない事は分かる。見た所、個室に通されたようだ。気のせいか、病院にしては内装が少し豪華な気がする。
黄色い朝日がカーテン越しから射しこみ、部屋を明るく照らしでいた。
もう朝なのだろうか?
周りを見渡すと左手に温かい温もりを感じる。
繋がれた左手の先に視線をゆっくりと移す。
「…………………あお……い……?」
一瞬桐生かと思ってしまい、目を凝らした。
蒼が座ってうつ伏せで寝ていた。前髪は少し濡れ、太い眉には皺を寄せ、長い睫毛が微かに揺れていた。左手を両手で包み込み絡め祈るように握っている。微かな寝息が聞こえ、広い背中が呼吸する度に静かに上下する。
蒼は着替えたのか、最後に見た服とは違うシャツを着ていた。自分は身体を起こそうと身を捩るが、みぞおちから激痛が走り、思わず顔を顰めた。さらに腕から点滴ぐ伸びている事に気づく。
一体何が起こったか、昨夜の出来事を反芻する。確か夜中に吐いて、そのまま記憶がない。遠のく意識から蒼の声がしたのは覚えている。
夕食から痛みを増し始めた胃が、夜中に激痛へ変わり、吐き出した黒褐色のどす黒い染みを眺めながら、クリーニングに出さなければと呑気に考えていた。それから救急車のサイレンが聞こえ、蒼の顔を眺めていた気がする。
懸命に自分に声をかけてくれるが、答える事も出来ずただぼんやりと蒼を見ていた。
「……………………皐月?」
絡めた手を離そうとして、蒼が目を醒ました。
ゆっくり開いていく蒼の瞳に優しく微笑みかけると、すぐに瞼が全開し薄緑色の瞳が潤み始める。
「……………蒼、おはよう。よく寝れた?」
蒼は首をふるふると横に振る。
寝不足なのだろうか、端正整った顔には疲れが滲み出ているように感じた。
絡み合う手には指輪が光って見え、そこには石などなかった。ほっとしながら小さく溜息をつくと、蒼はぱたぱたと涙を落とし、白いシーツを濡らしていた。
「皐月、本当に……ごめん…………。」
眉を顰め、瞬きせずに涙する蒼にぎょっとした。
「あ、蒼?どうしたの!?」
蒼は絡めた左手をぎゅっと両手で握り、離しそうにない。右手で蒼の頬を優しく撫で、伝い落ちる涙を救う。どうして泣いているのかわからず、状況が読めない自分は困った顔で蒼を見つめた。
「……………出血性ショックで本当に危険だったんだ。」
蒼は低い声で言った。
涙で潤んだ瞳を細め、絡めた手をさらに強く握る。
「出血性ショック?」
聞きなれない用語を呟くと、蒼は小さく頷いた。
「…………原因は胃潰瘍だけど、切れた血管の場所が悪くて大量に吐血したんだよ。念の為、癌かどうかも摘出した細胞を検査に出して調べてる。………ごめん、全部僕のせいだ。皐月、ごめん。」
蒼は頭を下げ、真摯に謝罪した。
頭を下げ続ける蒼の肩を叩く。
「あ、蒼?」
「ごめん、全部僕が悪い。」
蒼は明瞭な口調で、真剣な面持ちで言う。
出血性ショック?
胃潰瘍?
最近、確かに胃のあたりがキリキリと痛むのは自覚していた。単なる胃痛だと思い、放置して自然に治ると思い込んでいた。
相変わらず大量の珈琲はやめられないし、アルコールも好きだ。喫煙だけしてないのが救いで、仕事が忙しいせいかと思っていた。
「蒼、落ち着いて。全部、君のせいじゃないよ。」
驚きながらも、広い背中を摩った。
蒼は祈るように両手で左手を優しく掴む。
「………違う、全部僕のせいだ。君がこんなになるまで苦しめたんだ。ごめん。」
「大丈夫だよ。全部、蒼のせいじゃない。蒼、大袈裟だよ。」
困った顔で、絶望感溢れる蒼を慰める。
患者は自分なのにどうして蒼を励まさなければならないのか。
自分は優しく蒼の背中をさすりながら、一番の原因を思い返し、心の中で苦笑いをした。
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