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第57話

「げ、黒瀬」 病室に入ってきた見舞い客を確認すると、自然と顔が顰められる。顔の筋肉がもうそうなってると信じたい。黒瀬はスーツ姿に花束を気障ったらしく掲げて、病室で悠々自適に読書中の自分に近寄って来た。 「……『げ』は無いだろう?『げ』は。」 満更でもなさそうに黒瀬は傍にある空の花瓶を見つけると花束のラッピングを取って花瓶にブーケを活けた。花は赤やピンク、オレンジ、黄色などのカラフルな20本ほどのローズブーケだった。 まるで恋人から貰ったら喜ばれる素敵なセンスにうんざりした。彩り鮮やかな色彩に病み上がりの瞳がチカチカした。 「黒瀬が来ると、一気に疲労が増すんだよ。」 うんざりした声で言いながら読みかけの本を閉じ、横に置く。黒瀬はベッドの傍にある椅子へ腰を下ろす。 「……………皐月の忘れ物を届けようと思って連絡したら、まさか入院してるて聞いて驚いたよ。蒼さん仲直りもして、お盛んに励んでるのかな?て冗談で思ってたけど、まさか生死を争っているとは予想外だったね。君は本当色々大変だね。あ、悠は残念だけど今日は置いてきたよ。心配していたから、また遊んであげて欲しいな。…………で、体調は大丈夫?病状は?」 相変わらずペラペラと話し続ける黒瀬の話に両耳を塞ぎたくなった。 黒瀬の家に本を数冊忘れて来たようで、携帯に黒瀬から連絡が入り、昨日返信した自分を呪いたくなる。 入院しているので、退院後取りに行くとメールで伝えるとすぐに冷やかしに来た。 「胃潰瘍だよ…………。」 不貞腐れながら呟くと、意外にも黒瀬は心配そうな顔をした。確かに朝から励んでいたが、まさか夜に血を吐くとは思わなかった。 「そっか。大量出血て聞いたけど、もう大丈夫?」 黒瀬は蒼から聞いたのか、開腹した部分に視線を落とす。まだ傷口は痛み、食事も抜きなので不自由な入院生活を強いられている。 「……………1週間、食事なし。それ以後も回復するまで酒も珈琲も刺激物禁止だよ。」 自分の好きな嗜好品を全て取り上げられた。 「へぇ。それはご愁傷様だ。」 「………カフェイン中毒としては辛いよ。」 不満そうに呟くと、黒瀬は小さな溜息をつく。 「ま、君が胃潰瘍になるまで傷ついたと思ったら、やっと蒼さんも反省できたんじゃない?」 「………………別にそういうのじゃないよ。」 蒼は出勤前と出勤後に顔を出しては、思い詰めた表情で容態を確認しにくる。 働いている姿を初めて見たが、常に多忙でこっちが心配になりそうなくらい大変そうだった。 たまに空いた時間に顔を出したりするが、すぐにオンコールで呼ばれ、走って去って行く。自分の事より蒼自身の身体が心配になってしまうほどだ。 「へぇ、てっきり僕は蒼さんが反省して君が喜ぶと思ったけど違うの?」 「喜ぶなんてしない。」 呆れたような顔で黒瀬に言った。 別にそれほど怒ってもいない。 「………それにしては豪華な病室だね。さすが、蒼さん。皐月の為なら慈しみも絶やさないで尽くしてくれてるね。」 黒瀬は病室を見渡した。 病室は個室で広く、不自由しないほど豪華だった。大した見舞客も来ないのに、大きなソファまで設置され、ベッドも広くて大きい。大きな窓ガラスからはボストン市内が一望出来る。 「………ずっと点滴で繋がれてるから、広過ぎて無駄に感じるよ。それより早く帰りたい。」 退院は明日の予定で、待ち遠しく待っている。 早く帰って元のような生活に戻りたかった。 「そういえば、ユーリさんとは仲直りできたの?」 「…………できたよ。深々と謝られて、なんだかこっちが申し訳なかった。」 目が醒めてから、同じ病棟で入院していたユーリが病室にボブと訪れて来てくれた。 蒼のパートナーが入院している旨を誰かから聞きつけたらしい。 胃潰瘍が原因で危険な状態だったのを知り、二人とも通夜のような面持ちで謝るので、 こちらが申し訳なく思ってしまった。手術の件も感謝され、お礼をしたいとも言われたが丁重に断った。 「……ふーん、ユーリさんは一枚上手な気がするよ」 黒瀬はしみじみと言った。 「そう?」 「………まぁ、皐月はそのままが一番安心できるけどね。」 「黒瀬、フォローになってない気がする。」 「あ、皐月。それはそうとさ。………僕のコレクションのウォッカとウィスキーが空っぽなんだけど、これも君の主治医に説明した方が良いかな?」 黒瀬はニコニコと微笑んだ。 実は黒瀬の家の留守番から品薄で高値であろう黒瀬のコレクションを発見し、勝手に夜な夜な飲んでいた。好きにしていいよと黒瀬から言われたので、積年の恨みからいつの間にか最終日には空っぽになっていた。度数も高く、ストレートやロックでちびちびと飲んでいたが、ついに気弱な胃が悲鳴を上げたと自分は思っている。 蒼もユーリも懸命に謝るが、自分としては日頃の不摂生とこの黒瀬の酒が原因と考えている。 涙するユーリに笑って話すが、本人は気遣っているのだと思ったのか宥めるのに大変だった。

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