7 / 36

甘くて酸っぱいレモネード

 玲望の部屋の掃除は日がとっぷり暮れるまで続いた。もう外は真っ暗だ。家には「ちょっと遅くなる」と連絡したものの、そろそろ帰らなければいけないだろう。  それでも部屋はだいぶ綺麗になった。  居室は隅から隅まで掃除機をかけたしほこりも払った。キッチンのシンクや作業台も磨いて拭いた。レンジの掃除もした。日常の掃除にしてはじゅうぶんすぎるものができたといえる。 「ほら、飲み物作ったぞ」  綺麗になった居室にどっかり座って、はーっと息をついた瑞樹のもとへ玲望がやってきた。お盆にグラスがふたつ乗っている。 「お、手作り? レモネード……か?」  グラスの中の飲み物は薄い黄色をしていたし、目の前のちゃぶ台に置かれたとき香ったのは、ふわっと爽やかで少し酸っぱい匂いだったので瑞樹は正体をうまく当てることができた。 「ああ。昨日スーパーでキズありのレモンをもらってきたから」  例によって売り物にならない食材のお裾分けのようだ。それをこうして立派なジュースにしてしまうのだから、たいしたものである。  ちょっと言い淀んだようだったが、玲望は言う。 「……いちお、世話になったから」  掃除を嫌がるので気まずいのだろうが、こうして礼を言って、手作りの飲み物まで振舞ってくれるのだから律儀である。 「だってお前、ほっとくと部屋カオスにすんだもん」 「うるさいな。暮らせればいいんだよ」  そんな話をしながらありがたくいただいたレモネード。手にするとグラスからして、きんと冷えていた。  暑い折、しかもあれこれ動いたので冷たさが心地いい。氷入りなだけでなく、もしかしたらグラスも冷やされていたのかもしれない。  ひとくち飲めばきりっと冷たく、レモンの酸っぱさと、ほのかに甘い味もする。そして炭酸入りのようで、しゅわっと心地良く舌に刺激が伝わってきた。 「これ、どうやって作んの?」  自分で実践するつもりはないが聞いてみる。玲望も自分のぶんを飲みながら、あっさり言った。 「まずレモンを搾って……」 「握りつぶすの?」 「んなことができるかよ」  混ぜ返すと玲望にちょっと睨まれた。玲望は乱暴に立って、台所から妙なものを持ってきた。三角柱に突起の付いた木の器具である。  それの持ち手らしきところを手に持って、なにか手真似をした。 「こういう器具があるから……これでレモンをぐりぐりっとやって、果汁を搾る」 「へー……」  こんな、レモン搾り器なんて、普通の家にあるものだろうか。  でも玲望の家はそういう、ちょっと奇妙なものがちょくちょくあるのである。自炊に使う、ちょっとマニアックなものというか、そういうものが。 「なんかエロいな」  にやっと笑って言うと、玲望は顔をしかめた。真面目なことを言っているのに茶化されたからだろう。しかし顔がうっすら赤い。 「はぁ!? どこがだよ! 変な連想するほうがエロいわ!」  その様子がかわいくて、瑞樹は笑ってしまう。くつくつと声に出たからか、玲望はもっと顔をしかめて、しかし、ため息をついて流した。こういうからかいは割合よくあるので。 「……はぁ。そこにはちみつを入れて混ぜて、炭酸水を入れる。で、氷入れて完成」  このような工程でこのおいしいレモネードは出来上がっているそうだ。瑞樹も茶化したのは流して、目の前までグラスを持ち上げて、ちょっと揺らした。氷がちゃぷんと揺れる。  疲れたときにはクエン酸がいいっていうよな。ふと頭に浮かんだ。  そしてレモンにはたっぷりクエン酸が含まれるのであって、運動後などに最適。それに汗をかきやすい季節になりつつあることもあって、爽やかで栄養豊富なレモンの食べ物や飲み物がよく売られている。  たくさん掃除で働いた俺を気遣ってくれたんだな。そう思えば余計嬉しいではないか。 「相変わらず凝ってんな……」  でも素直に「ありがとう」と言うのはちょっと恥ずかしい。よってそんな言葉になった。 「どこが凝ってんだよ。搾って混ぜるだけだろ」 「普通の男子高生はレモン搾ったりしないっての」  ふっと笑ってしまった。  ちょっと、いや、だいぶ変わり者の玲望。でもとても優しい性格をしているし、それが自分に向いてくれているのも嬉しいと、瑞樹は思う。  だからこそ自分だってこんなボロいアパートにも通ってしまうのだし、月イチで掃除なんてしてしまう。  玲望に会えるから。  玲望のために動けるから。  一緒に過ごせるから。  ふと思ったことに、瑞樹は体を乗り出した。玲望が目を丸くする。  ひかれるように顔を近付けていた。玲望のさらっとした金髪が目に映った。  ああ、レモンのように艶やかで輝かしい。  食べればきゅっと酸っぱいレモン。けれどその酸っぱさに虜になってしまう。  触れたくちびるもそれと同じ、きゅっと酸っぱい味がした。一緒に飲んだレモネードの味。  玲望の手が伸ばされる。瑞樹のシャツが握られた。ねだるような仕草をされて、一旦離れたくちびるがまた触れる。  酸っぱさと、その中に混ざるはちみつのほのかな甘さ。たっぷり味わって、顔を引いて。赤く染まった目元の玲望に、瑞樹の目にはふっと笑みが浮かんでいた。 「ファーストキスはレモン味だな」  む、とそれには玲望が膨れる。 「なにがファーストだよ」  どうやら不満だったらしい。そうだろう、恋人同士になってから、一体何回キスをしてきたか。それでも。 「何回だって、初めてみたいな気持ちだよ」  何度キスをしたとしても、初めての甘酸っぱさはずっと残っている。

ともだちにシェアしよう!