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泊まりの夕食
「タダイマー」
「なにがただいまだ。ここはお前のウチじゃねぇ」
靴を脱ぎながら言ったことには、呆れた顔と声が返ってきた。
今日やってきたのは玲望の部屋。相変わらず玄関は盛大な音を立てて瑞樹を迎えた。
週末なのだ、今日は泊まりと決めていた。たまにこういうことはある。
週末とか長期休みとか。玲望の部屋に泊めてもらうことは。
親には「友達と勉強会」なんて言い訳、いや、報告をちゃんとしてある。
勿論親とて丸々信じているはずはないだろう。『勉強』なんて、やるにしてもほんのちょっとで、男友達とわいわい騒いでおやつでも食べながらゲームなんかしたりする、と思っているはず。
それも多少はやるけれど、まさか男の恋人の家に行くとは思っていないだろう。それを思うとちょっと罪悪感は沸くのだけど、こういう機会でもないと長く一緒に過ごせないので許してほしい。まるっきり子供ではないのだし。
「泊めてくれるっていうのに随分な言い方だ」
ちっとも効いていないどころか、玲望のそういう物言いが好きなくせに瑞樹は少しがっかりだ、という様子をわざと取った。
玲望は単純なことに、急に態度がしおらしくなる。物言いはぶっきらぼうなくせに、素直なのだ。
「そ、そういう意味じゃねぇよ……」
苛めたようなものなのにそう言われて、瑞樹はくすっと笑ってしまった。表にも出てしまったので、玲望に不思議そうな顔をされる。
その頬に手を伸ばして触れる。きゅっと包み込んだ。
「ごめん、ちょっとふざけただけだ」
こちらも素直に謝っておく。ふざけた、からかわれたと知った玲望は元通りの強気に戻って「ふざけるとかすんな!」とか瑞樹の手を払って先に奥へ行ってしまったけれど。
それを追いながら、こういうやりとりができるのは幸せだ、と瑞樹は思うのだった。そういうのが恋人同士のやりとりらしいと思ってしまうから。
「あー、腹減った」
勝手にどかりと定位置に腰を下ろしてネクタイを緩める。ここしばらく随分暑くて、ネクタイすら少々邪魔なように感じてしまう。
「……飯、そうめんにした」
多少機嫌は直してくれたらしく、玲望もなにやら作業していた様子の文房具などを片付けながら言ってくれた。
「おお! そうめんか。夏らしー」
「夏だろ」
ちゃぶ台の上にはまだなにか紙のようなものが散らばっていた。黄色や赤が多い。
「それ、なに?」
瑞樹が身を乗り出すと、玲望は意外なことを言った。
「バイトのバイト」
「なんだそりゃ?」
バイトの更にバイトとは。掛け持ちでもはじめたというのか。それは中らずと雖も遠からずだったらしい。
「スーパーのポップ書き。ちょっと追加収入になる」
「あー、なるほど。販促?」
「そういうこと」
ちゃぶ台にはほかにスマホがあった。そこにはなにか、文字が大きく表示されていた。
『あ』とか『特』とか、謎の漢字だったけれど、販促だと思えば合点がいった。『特売品!』とか書くのだろうと。そのフォントの参考。
玲望は器用だ。料理が得意なのもその一環なのだろう。
今時、素材を拾ってきて印刷かなにかで作ってもいいのに少しばかりだからと手作りすることにしたのか、素材を拾って体裁を整える手間が惜しかったのか、それとも玲望に仕事をくれることにしたのか……詳細はわからないけれど、最後のもの、玲望に収入が増えるというならそれは喜ばしいと思った瑞樹だった。
「なかなか頼もしそうなポップじゃん」
完成に近づいていたものを、汚さないように気をつけながら持ち上げる。そのくらいでは玲望も文句を言わなかった。
それは野菜につけるのか、『ゴーヤチャンプルに!』と書いてあった。夏の定番、ゴーヤを使った料理だ。旬の食材を売りたいのだろう。
「ま、苦手じゃないし」
玲望も満更でもないようだ。声がちょっと上向いた。
いい時間になったので夕食とすることにする。そうめんは茹でるだけだが、ツユが必要だ。
けれど玲望の持ってきたツユは、普段使っているボゥルに入っていた。
「これ、手作り?」
なんとなくそうではないかと思ったけれど、玲望はなんでもない顔で頷く。
「簡単だし」
いや、簡単じゃないだろ。瑞樹は心の中で突っ込む。少なくとも男子高生が作るものとしてはかなり難しい部類に入るはず。
瑞樹はそうめんのツユの作り方など知らないけれど、家で食べるときだってツユは市販のものなのだ。よって、玲望の家でのほうが、むしろ自分の家より手作りされたものが多いくらいなのだった。
本当に、嫁みたいだ。
こんな、手作りのツユひとつからそう思うのもなんだと思うのだが、なにしろ恋人が自分のために作ってくれたのだ。嬉しくないはずがないだろう。
玲望はボゥルからおたまでツユをすくって、深い器に入れた。これにそうめんを浸して食べるのだ。
テーブルにはほかに、そうめんに入れる薬味がいくつか並んでいた。定番のネギのほかに、シソや生姜なんかもある。どれにするか悩んでしまいそうだ。
ほかにはちょっとしたおかず、鶏と根菜の煮物やおひたしなんかが並んでいる。完璧な『手料理の夕ご飯』だった。
「いただきまーす」
大きな皿に盛られたそうめんをすくう。
麺類は茹でてしばらくするとくっついてしまうのだけど、そんなことはなく、すっと箸ですくえてしまった。店で出されているものをすくう感触と同じである。
家で食べるときはくっついてしまっていて、剥がすのに苦労するのだけど。
そういうところも食べやすく作っているのだろう。やはりどうやっているのか瑞樹は知らないけれど。玲望の細やかさはこういうところにも発揮されているらしい。
しかし玲望は当たり前のように、「いただきます」と自分でも箸を取ってそうめんをすくった。
そうめんには何本か、色のついたものが入っている。ピンクとか、青とか。子供の頃からそれを取るのがなんとなく嬉しかったものだ。味は変わらないのに。
瑞樹が狙ってピンク色の麺のところを取ったからだろう。玲望は何故か笑った。
「やっぱそこからいくのか」
取ったそうめんをツユの皿に入れながら、どうして笑われたのかよくわからなかったので「なんでだよ」と瑞樹は聞いてしまった。
「や、かわいいなと思って」
「は?」
ピンク色の麺を取っただけでどうしてかわいいなと言われるのだろうか。不本意な気持ちが声に出たのだけど、玲望はむしろもっとおかしい、という声で理由を言ってくれる。
「実家の弟や妹がそうだからさ。色のついた麺を誰が取るかとかでいつも騒ぎになる」
理由はわかった、けれどそれにはちょっと恥ずかしくなってしまった。子供っぽいと思われたということだ。
「ま、大体、上手く分けるんだけどな。弟は青で、妹はピンクだとか」
玲望の声は懐かしそうで、そしてなんだか寂しそうにも聞こえた。
今は一人暮らしをしている玲望。中学生までは実家で暮らしていたのだ。玲望の住める部屋がなくなるくらいに家族が多いので、一人で暮らせと追い出される、といったら人聞きが悪いが、とにかく一人で放り出されたも同然の玲望。
まだ高校生なのだ。一人暮らしなんて寂しいに決まっている。家族仲が悪いわけではないならその気持ちはもっと大きいだろう。
瑞樹は割合頻繁に訪ねてきているとはいえ、ここに住んでいるわけではない。家でご飯を食べるときは両親と大体一緒である自分のことを、瑞樹は考えた。
その日あった何気ない話をしながら食べる夕食。たまに鬱陶しいと感じてしまうこともあるけれど、無いと寂しいだろうな、と思う。
なのに玲望は食事のほとんどを一人で食べているのだ。それは、どんなに。
「どうした、取っていいんだぞ」
瑞樹がそんなことを考えていたからか、促されてしまった。ちょっと不思議そうな顔をされている。本人は気にしていないらしい。それは玲望の強いところだ。
「あ、ああ……ツユ、美味いな。どうやって作るの?」
誤魔化すようにもうひとすくいそうめんを取って、ツユの話なんて話題に持っていく。玲望はいつも通りに「カツオから出汁を取って……」と説明してくれた。
食べながら話すのは、学校のこと、玲望のバイトのこと、それから瑞樹のボラ研のこと。
そこからボラ研で夏休みの活動の計画を立てているという話になった。
「へぇ、バザーねぇ」
玲望は興味を持ってくれたようだ。煮物の鶏肉を摘まみながら、今度は玲望のほうから質問してくれる。
「なに出すの?」
「いやー、それはまだ……リサイクル品とか、あとは作るなら手軽にできるもの、っていうか、みんなで作れば負担が少ないものにしたいんだけど」
詳細はまだ決まっていないのだ。大体まだ候補のひとつでしかないし。
「ふーん……手作りもいいかもな」
そこでふと、瑞樹は思い当たった。手作り、というところから、そして今、食べているそうめんやら煮物やらから。
「色々許可が下りたら食べ物を出せるところもあるんだってさ。食べ物だったらなにがいいと思う?」
料理なら玲望の得意分野。参考になるかもしれないと質問してみる。
「え? そうだなぁ……簡単にできて、失敗しにくくて、素人でも売り物レベルにできるんだったら……クッキーとか焼き菓子とかどうかな」
確かに学園祭などでも焼き菓子はよく売られている。
「それ、いいな。袋詰めしといたら売るのもラクそうだ」
そのときはそんな軽い話で済んでしまった。詳細が決まっていないので先走ったことは言えないけれど、と思ったので瑞樹はその先は言わなかった。
もしなにか食べ物を作るのであれば、玲望に手伝ってほしいな、などは。
依頼すれば玲望は口では文句を言いつつも力になってくれるだろう。
だから、もしそう決まるなら。頭の中で考えて、瑞樹はそうめんとおかずをぺろりと平らげた。
ごちそうさまを二人で言って、後片付けは瑞樹の役目。皿を洗って、拭いて、片付けて。
作ってもらったのだから片付けくらいはさせてほしいし、それにこういう作業も好きなのだ。
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