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夜のはじまり

 食休みをしたあとは、風呂を借りた。  玲望の家の風呂は、こんな家なのだから当たり前のようにボロい。シャワーのお湯がいきなり水になったりすることもあるから油断できないくらいだ。  けれど小さいながら一応浴槽もある。都会のマンションではユニットバスなどでシャワーしか使えないところも多いらしいので、そういう点はここもいいなと思うのだった。  冬はその小さい浴槽にお湯を溜めて浸からせてもらうこともあったけれど、今は夏である。サッと済ませていいだろうと、シャワーだけにすることにした。 「風呂、さんきゅー」  髪を拭きながら部屋に戻ると、玲望はさっきのポップ作りの続きをしていたようだけれど、瑞樹を見て顔をしかめた。 「おい、ちゃんと髪、拭いてから部屋入れよ。畳が濡れる」  文句を言われたけれど一応理由はあるのだ。 「ドライヤーこの部屋にあるんだから仕方ないだろ」  けれど玲望には許してもらえなかった。 「だからってな……せめて水気くらいは落としてこい」 「はいはいすみませんでしたよ」  掃除は嫌いであるけれど、家主なのだ。部屋のことに関してはきっちりしていた。  瑞樹はおとなしく謝っておく。ドライヤーを手に取って、コンセントに突っ込んで。  風呂は次、玲望の番である。タオルや着替えを取って、玲望は「じゃ、入ってくる」と行ってしまった。ごおお、と音を立てるドライヤーがうるさかったけれど、瑞樹は「おー」と一応の返事をした。  このドライヤーは家に似合わずなかなか高性能。ナノイーとかはよくわからないけれど、そういうシールが貼ってあるしハイパワーだ。  もっとも、定価ではなくリサイクルショップで買ったと玲望は言っていた。「なかなかの掘り出し物だった」と満足げだった。そういうところがかわいらしい、と瑞樹は思う。  風呂のほうからはシャワーの水音がする。勿論、玲望がシャワーを浴びている音だ。  それを聞きながら、妙にドキドキしてきてしまった。なにしろ泊まりである。恋人同士の泊まりである。  そういうことを期待してきたし、実際、もう年単位で付き合っているのだから、そういうことだって何度も起こっている。泊まりで起こらないほうが珍しいくらいだ。  なのに未だに『そういう』雰囲気を匂わせるシーンになれば緊張してきてしまって。ピュアか、と自分に突っ込む瑞樹なのだった。実際はまったくピュアなどではないのだが。  そんな気持ちを抱えつつ、髪を整え終えて、布団でも用意しようかと思ったがまだ寝る時間には早い。それに布団を敷いて迎えるというのもあからさまだ。  なのでちょっと考えて、やめておいた。  手持ち無沙汰になったので座布団の上に寝転んでスマホを弄っているうちに、玲望が風呂から上がったようだ。自分で言ったように、きっちり髪を拭いたようで、タオルは首にかかっていた。  しかしそれを見て瑞樹はもっとどきりとしてしまう。長めの金髪が濡れていて艶めかしい。石鹸の清潔な良い香りもする。  それにこれが一番であるが、シャワーを浴びてあたたまって、上気した玲望の様子がとても色っぽい。  ああ、もう。やっぱりこんなの、何回も見てるじゃないか。  瑞樹は自分に呆れてしまうのだったが、玲望はそんなことまったく気付いていない様子で「ドライヤー使うから」とさっさとドライヤーを手にしたけれど、瑞樹はそのドライヤーを玲望の手から取ってしまう。 「乾かしてやる」  言ったことは、たまにしていることだった。玲望はあっさり受け入れて「まぁ、それなら」と座布団に座った。  スイッチを入れて、今度は玲望の髪を乾かしていく。ちょっと長めの金髪はまだ水気をだいぶ含んでいた。その髪を持ち上げるように風を通していって。  髪からだんだん水気が飛んでいって、手触りがサラサラしていく。瑞樹はこの感触が好きだった。自分のただの短髪にはないものだから。ざっと風を当てるだけで済んでしまう。  手入れが大変なのではないかと思ったけれど、前に聞いたとき、玲望は「別に」とさらっと言った。昔からこのくらいなので、もう慣れたのだという。  中学生から伸ばしているのだとか、長いときは結べるくらいあったのだとか、聞いた。特にこだわって長めにしているわけではなさそうだけど、なんとなく思い当たる理由はある。  多分、散髪の間隔が多少空いたとしても良いように、だろう。流石に失礼かもしれないので、口に出したことはないけれど。  その通りで、あまり頻繁には切っていないようだったけれど、玲望の髪はトリートメントのおかげかいつもつやつやしているのだ。清潔感がないなんてとんでもない、逆に学校で女子にも「基宮くん髪、綺麗だねー」なんて褒められているくらいだ。  自分がそうなりたいとは思わないけれど、褒められるくらい容姿がいいのはちょっといいな、と思う瑞樹だった。  それでもロングヘアというほどはないので、比較的早くドライヤーは終わる。最後にぽんと玲望の肩を叩いて終わりを告げた。 「ほい。おしまい」 「ああ、ありがと」  玲望は振り向いて、自分の髪を触った。 「瑞樹が乾かしてくれるとなかなか綺麗に仕上がるな」 「おい、なかなかレベルかよ」  褒め言葉なのに微妙なレベルだったので、瑞樹は苦笑してしまう。けれどこの素直になり切らないところが玲望らしい。 「なんでだろな。自分でも下手じゃないと思うのに」  玲望は不思議そうだったけれど、理由なんて決まっているではないか。  すっと、玲望の金髪を手に取る。ひとすくいしても、よく乾いた髪はするっと落ちそうになるので、その前に顔を近付けた。髪に軽くくちづける。 「そんなの」  玲望からは直接見えなかっただろうけれど、髪にキスされたことくらいは察せただろう。ぴくりと肩が揺れた。 「お前の髪なんだから、丁寧にして当たり前だろ」  本当のことを言ったのに。  ぱっと瑞樹の手が振り払われた。  けれどそれは嫌悪からではない。その証拠に玲望の頬はほんのり染まっていたのだから。風呂からあがってもうだいぶするのだから、火照っているわけではないに決まっていた。 「またお前はそういうことを」  顔をしかめられたけれど、そんなに頬を染めていてはなにも意味がない。照れ隠しのセリフでしかない。 「いけないのか?」  わざとしょげたように言うと玲望は、う、と詰まった。自分の言葉や態度が素直でないのは自覚しているのだから。 「そ、そうは……言ってないだろ」  言い繕う言葉まで素直でない。瑞樹はそれがかわいいやらちょっとおかしいやらで、ふっと笑ってしまう。玲望の眉間にもっとしわが寄った。  それを封じるように、手を伸ばして肩に触れる。力を入れて、ぐっと自分に引き寄せた。  抱き込むと、目の前に来た髪からふわっとシャンプーの良い香りが漂った。つい、誘われるように鼻先をうずめてしまう。  ドラッグストアで売っている安いシャンプーだけれど、香りは悪くない。爽やかな柑橘系の香り。  レモンではないようだけど、近くはある。爽やかで少し酸っぱいような香りだ。

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