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夏休みは夏期講習

 七月の終わり。桜下高校も夏休みに入った。  ぎらぎら照りつける太陽、もくもくと広がる入道雲、セミの声……。  そんな情緒ある夏は、現代ではあまり無いけれど。  なにしろ暑すぎる。酷いと気温が40度を上回る日もあるくらい、過酷な季節だ。  昔はもっと気温が低かったと聞くと、いいなぁと思ってしまうものの過去を羨んでも仕方がない。瑞樹は熱中症防止の塩飴をころころ口の中で転がしながら、灼熱の道を歩いていた。  今日は夏期講習の日。朝から学校がある日だ。  夏期講習は一年からあるのだけど、三年生は受験が控えていることも手伝って、特に開催日が多い。自由参加の日もあるが、せっかくタダで勉強ができるのだ。塾などに通うよりコスパがいい。  親にも「行きなさい」と考える間もなく言われたし、瑞樹も気は進まないにしろ、最初から参加するつもりであった。  一応、大学進学志望なのだ。それならあまり好きでなかろうと勉強をしなければ、その希望だって叶えられない。  それに楽しみもある。夏休み中は気軽に会えない友人にも会えるし、一緒に昼食なんかも食べられるし、それに。 「おっ、オハヨー」  学校の昇降口に入ったところで、瑞樹は知っている人物を目にとめて笑みを浮かべてしまった。  ちょうど上履きに履き替えているのは玲望ではないか。  暑い季節はたまにそうしているように、金色の艶やかな髪はうしろでひとつにくくられていた。そういう髪型をすると余計にかわいらしく見えるので、瑞樹は夏の玲望の姿も好きだった。 「ああ、おはよう。珍しく早いな」  けれど言うことはちょっとひねた玲望の物言いそのままだったので、おかしくなってしまう。いつものこととはいえ。  朝から会えて嬉しいと思っていたのに。いや、こういうのが玲望だから嬉しいけれど。 「珍しくは余計だっての」  なので瑞樹もいつも通りの返しをして、校内に上がる。自分の靴箱に脱いだ靴を突っ込んだ。  玲望は当たり前のように、廊下に出て待っていてくれる。  さっさと行ってしまってもいいのに、こうして待っていてくれるところが優しいのだ。一緒に教室の近くまで行こうということだろう。クラスは違ってもすぐ隣なのだから。 「玲望は今日、午後までいるの?」 「ああ。バイトも夕方からだから」  午後は自由参加の時間であった。でも玲望はそちらにも出るらしい。熱心なことである。  でも本来、玲望はそれほど必死に勉強をする必要はないのである。何故なら進路が違うからだ。 「そっか。じゃ、昼飯、一緒に食おうぜ」 「ああ。瑞樹は弁当?」 「今日は買いに行かないとなんだよな」  話しつつ階段を上がっていく。今日は昼も一緒だ。そういう楽しみが待っているだけで、今日の夏期講習も頑張れる、なんて単純にも思ってしまった。 「じゃ、な!」  午前の授業は必須参加なのでクラスごとだ。瑞樹は自分の教室の前で立ち止まり、ひらっと手を振る。  玲望も「ああ」なんてそっけない言葉だけであったけれど、応えてくれて自分の教室へと歩いていった。  数秒だけその後ろ姿を見て、瑞樹は教室に入る。すぐに友人が声をかけてくれた。 「お! 梶浦おはよー! 早いじゃん」  ここでも言われてしまった。瑞樹は笑ってしまう。 「早いは余計なんだよ」  同じことを言う。そのまま少し駄弁って、そのうち授業がはじまった。  内容は通常学期の中の授業とは少し違う。教師の話を聞くよりも、ワークなど、自分で取り組む勉強が主なのだ。  わからないことがあれば、手をあげて質問していい。なので、教室ではたまに「センセー」と呼ぶ生徒の声がしたり、教師がそれに応えて解説する声が小さく聞こえてきたりする。普段とだいぶ違った空気の教室内。  瑞樹も瑞樹でワークを進めていた。一時限目は数学。  数学はあまり得意ではないのだ。けれどそれだけに重点的に取り組まなければいけない。億劫ではあるけれど、そのために来ているのだから、やるだけだ。  一時間、真面目に取り組んで、休憩を挟んで二時限目。  次は現代文だった。こちらは得意なので億劫どころか楽しくできる科目だ。  けれど数学で頭を使いすぎたせいか、集中力が少し低下しているような気がした。こういうとき無理にやろうとしても効率が悪い。  よって瑞樹は問題を解くペースを少し落とした。それだけでなく、長文だけでなく漢字問題のページを選ぶ。長文読解よりは頭を使うことが少ないからだ。  漢字を思い出しつつ書きながら、瑞樹は朝、昇降口で玲望とちょっとだけ話したことを思い出してしまった。  午後も参加すると言っていた玲望。でも本当はそれほど必死に勉強をしなくてもいい……。  玲望の進路は既に聞いていた。専門学校だ。  料理上手な玲望。調理の専門学校に行って、調理師の資格を取るつもりだと言っていた。  まぁ妥当で堅実である。得意なことを生かせるのだし、それなら専門学校の勉強も楽しめるだろうし、そして卒業後の就職先も心配ないだろう。  玲望が大学進学志望ではないのは、単に大学進学には金がかかるからで、玲望の家からそれを工面してもらうのは難しいからなのであるが、例によって玲望は気にした様子もなかった。  「仕事が苦じゃなくなるだろうし、それに調理師ってなかなか稼げるらしいんだぜ。なんせ資格がいるんだからな」と言っていた。合理的な玲望らしいことだ。  けれど。  瑞樹はたまに思うのだった。  玲望は勉強が苦手ではない。いや、むしろできるほうだ。  学年トップなんてものではないけれど、クラスでは上位に近いと聞いていた。  そんな玲望なのだから、本当は……家に経済的な余裕があったら。大学進学したいと思う気持ちもあったのではないだろうか。  もっと勉強ができるのだし、学校やサークルなど楽しいことも多いだろうし、それに俗な話だが、卒業後に手に入る学歴としてだって専門学校より上だ。  割り切るのが上手く、家の貧しいことだって受け入れている玲望のことだから、そんなことは口にしないだろうけれど。  でも、まったく思わないはずはない、と思う。玲望とて一人の男子高校生なのだから。  聞いたりするつもりはない。本人がそれでいいと思っていて、前向きに捉えているのだから。  だけどたまに瑞樹は考えてしまうのだった。  進路が離れてしまうことについて。  今は同じ高校に通っていて、クラスも部活も違うけれど、それでも毎日会えている。  でも大学と専門学校と、分かれたら。毎日過ごす場所だって、まったく違うものになる。  勿論、関係をやめるなんてことは微塵も考えていない。考えてはいない、けれど。  どうしても今より距離ができてしまうということは、不安材料だった。  玲望のことを信頼しているのだから、自分から離れていくなんて思わないし、恋人同士としては一緒にいてくれると信じている。  それでもほんのり胸の中にあること。  将来の不安ともいえるようなことだ。それは夏の暑さのように、たまにじりじりと迫ってくるのだった。 「梶浦? わからんところでもあるのか?」  不意に瑞樹の思考は中断された。はっとする。上を見ると、教師が見下ろしていた。  まずい、いつのまにか手が止まっていたようだ。  サボっていたも同然である。  一応、勉強は真面目にしているほうなので『サボり』と思われなかったのは幸いだ。  瑞樹は慌てて、「え、えっと、ここがちょっと……」なんて適当なところを指さした。  教師はそれを覗き込んで、「ああ……辞書を引いたらいい。類語なら考えてるより調べちまったほうが早いからな」と言ってくれた。瑞樹はほっとする。  今、考えても仕方ないことだ。あとにしよう。  いや、あとで考えることだって仕方がない。そのとき……卒業やその直前になって考えればいいことだ。  今はとにかく、自分の進路のために勉強することが重要。  瑞樹は内心、ちょっと首を振って思考を切り替えた。勉強に戻ってくるように。  教師が「頑張れよ」と言って、教室を回るのに戻っていって、ほっとした。  ほっとするだけでなく、アドバイスの通りに電子辞書を取り出した。本当はわかっていた問題だけれど、訊いてしまったのだから、一応辞書を見ておかなければ。  そのまま瑞樹はワークに戻っていった。そのあとは真面目に夏期講習に取り組んだと言えるだろう。

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