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第34話 side.K

「名前?」 おれの(あるじ)は、まるで見当がつかないと言わんばかりに首を傾げた。 その表情を見ながら、好きだなと、もう何度目かわからないことを心で思うのだ。 そんな相手から好きだと言われて、嬉しくないわけがない。本当は今すぐにでも抱き締めたい。 でも、もしあの人が知ったら。 家族というものを知らないおれに手を差し伸べて、目一杯甘やかしてくれた。母親であろうとしてくれた。 あの人ほど愛に溢れた人間は、世界のどこを探してもきっと見つからない。そう確信するほど優しくて、そして何より強かなのだ。 与えられた記憶は、とても暖かなものだった。 「……おれに名前をくれたのは、ニーニャ様なんだ」 ――あれは、ルーゴが五歳になって数日経ったある日のこと。早朝、孤児院では職員がやたらと張り切って掃除をしていたから、今日はニーニャ様の日だね、なんて子ども達は噂していた。 一ヶ月に二回ほど、ニーニャ様はルーゴを連れて孤児院へと遊びに来ていた。もちろんルーゴに会えることも嬉しかったが、おれはニーニャ様と過ごす時間が堪らなく好きだった。 「こんにちは、お邪魔します」 「ナイトー! 来たぞー!」 「ルーゴ!」 “偉い人”だと認識するにはあまりにも親しみやすい二人と、幼すぎるおれ。せめて“様”をつけなさいと職員に教えられたが、結局王子に対しては呼び捨てのまま育ってしまった。 「あら? ナイト、それ新しい服じゃない? 素敵ね」 「うん、久しぶりにお下がりじゃないんだ」 ハイルアド帝国から戦争孤児として保護された子ども達は、皆んなおれより年上だっから、服や靴は彼らから貰うことが多かった。 そんな環境だったけど、別に不満はなかった。彼がいたから。 「……ルーゴ、これあげる」 「なにこれ?」 「この前、お祝いの日だったんでしょ」 職員にお願いして手に入れた便箋に綴った、お祝いのメッセージ。覚えたての字で必死に書き連ねたそれを、ルーゴが読めたかどうかはわからないが、心底嬉しそうに笑ってくれた。 「へへ、ありがと! ナイトは誕生日いつ? おれもお返しする!」 「…………ない」 「えー? そうなの? なんで?」 「……わかんない」 誕生日は誰しもが持っているものなんだと、その時に初めて理解した。 どうしておれには誕生日がないんだろう。 そう思った途端、とてつもなくやるせない気持ちになった。悲しくて泣き叫びたくなったけど、なぜか涙を堪え唇を噛み締めた。 必死に我慢していると、ニーニャ様に声をかけられた。 「……ナイト、ちょっと私とお話しない?」 おれは少し驚いた。ニーニャ様が、おれを膝の上に抱えたのだから。まるで我が子にするかのように、慈愛に溢れた瞳を向けて。 「あなたの名前って、どういう意味を持ってるか知ってる?」 「なまえ……?」 「外国の言葉でね、“騎士”っていう意味があるのよ。お馬さんに乗って戦う、とっても強い人なの」 「強い人、なの?」 「そう、私が名付けたのよ。だから……あなたのお母さんになってもいいかしら?」 「……え?」 母親という存在を与えられた瞬間だった。生まれて初めて覚える感情は、くすぐったくて照れ臭くて、でもどうしようもなく嬉しくて。 もちろん孤児院での生活はそれからも続いたが、不思議と寂しくなかった。 この名前に恥じないように生きたい。強くなりたい。強くなって護衛になれば、少しは恩返しができるだろうか。 そうして勉学や剣術の訓練に励めば、寂しいと思う暇なんて少しもなかったから。 名前をくれたあの人は、おれの生き方まで導いてくれたのかもしれない。 「――へぇ、母さんが……」 ルーゴは真剣な眼差しで、興味深そうに頷いた。

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