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第5話⑦

♫〜〜♪〜 枕元で小さく音楽が鳴っている。 規則正しく刻まれたビートに、明るい曲調、切ない歌詞。俺の好きな曲。けれどアラーム音に設定などしただろうか。覚えがない。 ひとまず止めようと手を伸ばすと、それより先に何かに遮られた。壁にしては柔らかく、温かい何か。 「ごめん、起こしちゃったね。」 柔らかい声が甘く鼓膜を震わせて、そこでやっと自分の置かれている状況を思い出した。 「おはよう、幹斗君。」 …嘘だ。朝からこんなにかっこいい人の笑顔が目の前にあるなんて、夢か何かに違いない。けれど、目を開けた先には確かに由良さんが笑んでいる。 「…おぁっ…、…おはようございます」 声が裏返ってしまい、もともと火照っていた顔がさらに熱くなった。今熱を測ったら、朝なのに37度を超えているかもしれない。 「顔真っ赤。朝からそんな可愛い顔顔見せてくれるなんて、眼福だね。」 男に可愛いという形容詞はどうかと思うが、由良さんにSっ気混じりにいわれてはたまらない。おさまれ、心臓。 「…俺のせりふです… 」 「それは光栄だな。」 「… 」 …しかも頭の中で言おうとしたことを間違えて口に出してしまった。 「今日は用事は?」 「特にありません。」 「じゃあ何か食べるものを用意するから待っていて。たいしたものは作れないけれど。」 はい、と言いかけて、昨夜の出来事を振り返り口を噤む。 カフェで夕食を奢ってもらい、シャワーを借り服も借りた。髪を乾かしてもらい、歯を磨いてもらい、ベッドにも一緒に寝かせてもらい…。 これ以上はいけない気がする。…いやここまででもうすでにあれだけれど。 「あの、よかったら俺作ります。使っていい食材教えてください。」 「えっ…?」 由良さんが驚いたように両眼を瞬かせた。 「…いえ、昨日からしてもらってばかりだったので…。でも、他人にキッチンを使わせるの、よく考えたら嫌ですよね、すみません…。」 いきなりこんな申し出、まだ正式にパートナーとして決まったわけでもない懸案期間なのに差し出がましい。朝からしでかしてばっかりな自分が嫌になる。 「ああ、そうじゃなくて。」 由良さんが俺の唇に人差し指を当て、優しく塞いだ。 「助かるよ。僕、料理はあまり得意じゃないから。でも昨夜の疲れ残ってない?」 …由良さんがかっこ良すぎてどうしよう。既に偏差値が10くらい下がった気がする。 2、3、5、7、11…。由良さんが唇に手を当てている間、素数を数えながら顔を覆うのをなんとか我慢した。 「疲れてない、です。」 指が離れたあと、息絶え絶えに答える。中学の時の持久走大会の後みたい。 「じゃあお願いするね。ある物なら、なんでも使って。」 「はい。」 半ば逃げるようにキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。とてもきれいに整頓され、さらに冷凍庫の中には野菜や肉などがジップロックに小分けにされている。 絶対料理苦手って嘘でしょ。食材も結構豊富だし…。 思いながら、冷凍庫に人参と大根、豚肉の存在を確認し、豚汁でも作ろうかなと考える。 …いやまて、にんじんを冷凍?しかもこれどう見ても生…。さらによく見てみると大きさが狙ってもできないほどにバラバラで。 うん、触れないでおこう。 結局野菜室に入っていたもやしをナムルにして、あとはトーストしたパンに目玉焼きベーコンを乗せて終わりにした。定番最高。 「すごい、幹斗君料理上手なんだね。」 ふと声の方を振り返ると、横でコーヒーを淹れはじめた由良さんが、興味津々にこちらをのぞいている。 「一人暮らしなので。」 緊張して素っ気ない答えを返してしまった。このくらいで料理上手と言えるのかは置いておいて。 一人暮らしは僕もだよ、と由良さんが笑う。 それから朝食を向かい合わせに座って食べ、由良さんはおいしいとたくさん褒めてくれた。 「じゃあまたね。」 「はい。」 朝食の片付けはすると言ったのに断られて、洗濯済みのシャツと下着を渡され、着替えて部屋を後にした。 「お邪魔しました。」 洗い物をしていればもう少し一緒にいられたのに…。 後ろ髪引かれまくりで頭を下げる。 次もあるだろうか。あるといいな。 「また連絡するよ。今度は直接うちにおいで。LINEで住所送るから。」 「はい。」 嬉しい。嬉しくて表情筋が緩む。もう一度感謝を告げ、由良さんの部屋を後にした。 終わってしまった寂しさと、次があるという嬉しさ。 昨夜の行為を反芻しながら、帰り道を辿った。

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