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第11話①
週末。いつものように由良さんの家に行くだけでは言える気がしなかったから、俺は由良さんをデートに誘った。
ちょうど3駅先の水族館がクリスマスイベントとしてカップル向けの夜営業をしており、待ち合わせはその水族館が入ったビルの前。
「久しぶり。」
待ち合わせ場所に着くともうすでに由良さんが立っていて、俺を見て片手を上にあげ、爽やかに微笑んでくれた。
今日は仕事だと言っていたが、私服に着替えている。最高に格好いい。
「お久しぶりです。」
周りの女性の視線を痛いほど感じながら、俺は彼の元にかけていく。
当の由良さんは何も気にした様子はなく、自然に俺と手を繋いだ。
けれど見上げた先に映る彼の瞳はやはりどこか寂しげで。
「早速行こうか。」
…心臓がうるさい。顔が熱い。でもこんなことに惑わされていてはいけない。今度は由良さんに俺が手を差し伸べる番なのだから。
落ち着け、俺。
金曜日とはいえ平日の夜で、クリスマスからは遠く、客はまばらだ。
「幹斗くん、水族館好きなの?」
「あ、…ええ、まあ… 」
なんとなく目を逸らす。本当は学校行事でしか行ったことがない。
家以外で人目を気にせず過ごせる場所、かつ話すことができて、重い話をそれとなく切り出せる場所、というとこのくらいしか思いつかなかったのだ。
「夜の水族館なんて、ちょっと不思議な感じだね。…あ、流石にイルカショーとかはやってないんだね。」
パンフレットとにらめっこしながら由良さんが言う。
「その代わりに普段やっていないライトアップとか、されるみたいです。」
「それは楽しみだ。」
入ってすぐ、クラゲが虹色にライトアップされていた。
その先に進むと、暗い照明の中で、様々な深海魚の水槽がある。
「あの、手… 」
チケットを買う瞬間を除いて、由良さんはずっと俺と手を繋いでいる。しかし館内は人もまばらではぐれる心配もないし、何より俺の心臓がもたない。
そろそろ離しませんか?と目で訴えてみた。
「つなぐの、嫌?」
しかし由良さんに悲しそうに言われ、いえ、と首を振ってしまった。無理だ。こんな、すがるように見られたら断れない。
そうして由良さんと他愛のない話をしながら館内を回り、気づけば巡路の半分以上まで来てしまった。
まだ本題を切り出せてすらいないのに…。
焦りにより、どんどん手が湿って行くのがわかる。こんなに濡れているのなら、由良さんも気づいているのではないか。手を離せる状況でもないし、どうしよう。
ぐるぐると考えていると、突然、由良さんの足が不自然に止まった。
視線の先にある解説パネルには、”シクリッド”、と書いてある。どうやら聖夜仕様で展示されている魚らしい。
タイトルには、”硬い夫婦の絆。一生ひとりの相手とともに添い遂げる魚”、とあり、説明欄にはその根拠が書かれている。
ある実験で、この魚の番 のオスを違う水槽に移したところ、残されたメスはふさぎ込んでしまったと言う。なぜ由良さんがここで足を止めたのかはわからなかったが、パネルを見つめる彼の表情は悲しげで、繋いだ手は少し震えていた。
「…ごめん、あんなこと言ったから、気にしているよね。」
威圧感のない低い声で、彼は小さく、俺だけに聞こえるように呟く。
あんなこと…
多分、俺が尋ねようとしてたことと同じだ。由良さんから切り出してくれたんだ。なら、もうここで言うしかない。
彼に聞こえないように深く息を吸い込み、覚悟を決める。けれど、俺が言葉を発する前に、再び由良さんが口を開いた。
「…こんなに汗ばんで、震えて。
…いいんだ。幹斗君にこんな僕は重い。嫌になったら、それでいいんだよ。無理に付き合うことはない。」
ぞっとするほどに悲しい声は、弱々しくすがるような響きを帯びている。
そのまま彼は繋いだ俺の手をすくうように持ち上げ、俺と繋いでいない方の手を、俺の手の甲にふわりと重ねた。愛おしそうに、繊細な氷細工にでも触れるような柔らかな手つきで。
「違います。」
考えるより早く、そう答えていた。
だって、違う。
確かに俺はこれ以上のことを知ろうとしなかったけれど、それはこの関係を続けていくためで、由良さんと離れることなど微塵も考えていなかったのだから。
「由良さんと一緒にいたいから何も触れなかったんです。でも、…よく考えてみたら、それも違うのかなって。
だから、詳しく聞かせてくれませんか?
…それを言いたくてずっと、今日は焦っていたんです。」
由良さんは一瞬驚いたように俺をみたけれど、すぐにその表情は寂しげなものに変わった。
「一緒にいたいのなら、知らない方がいいかもしれない。聞いていて楽しい話じゃないから。」
泣きそうな彼を見て、俺は心底自分を恥じた。胸が締め付けられるような心地がする。
俺は、一体彼の何を見てきたのだろう。多分ずっと、誤解していたのだ。
とんでもなくルックスが良くて、性格は穏やか。気遣いも人一倍できて、プレイの時はガラリと雰囲気が変わる、完璧なDom。
俺の抱いていた彼のその印象は半分正しくて、半分間違っていたのかもしれない。
いつも微笑んでいるのにどこか寂しげで、パートナーになる前だって、”俺なんかが幹斗君と…”という感じのことを言っていた。
ただのうぬぼれだったら恥ずかしいが、案外彼にとって俺は大切な存在なのではないだろうか。
「大丈夫です。どんなことでも受け止めます。
…由良さんが捨てるまで、俺はあなたのものだから。」
自分の口から出たとは思えないほどのはっきりとした言葉に、自分でも驚く。
さらに図々しいことに、周りに誰もいないことを確認し、震える彼の体を抱きしめた。俺は由良さんより背が低いから、抱きつくような格好になってしまったけれど。
「…場所、変えようか。」
数秒の沈黙の後、由良さんがそう言って指差したのは、向こう側にある大きな水槽の前のソファ。二人がけのものが5つ並んでおり、そのうち3つが埋まっている。
座ってみると、なんと天蓋のような仕切りがついており、個室とまではいかなくてもプライベートな空間が演出できるようになっていた。
…さすがカップル向け企画。
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