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※第11話③

「うわぁ… 」 部屋の中に入った瞬間、思わずため息と共に声が漏れた。 暗い青を基調とした内装は、“マリンホテル”という名の通り深海の中を思わせる。 中央にある大きな貝殻ベッド、壁一面にプロジェクターで映し出された波。 そして何より目を引くのは、ドアを開けた途端に視界に映り込む、階段のついた大きな水槽。高さは俺の背よりも高い。 「…本当にいいんだね…?」 もう何度もいいと言っているのに、背中側にいた由良さんが再び確認してくる。 「俺がしてほしいんです。」 振り返り、由良さんを見上げてきっぱりと言った瞬間、視界に彼の瞳が映りこんだ。この部屋と同じ、海の底のような深い青。 「わかった。でも無理になったら絶対に言うんだよ。僕もしたことがないから、無理をさせてしまうかもしれない。」 困ったような、でも期待もしているような、難しい表情で由良さんが言った。 「初めてなんて、嬉しいです。」 「…そんなに煽らないで。」 「んぅっ… 」 立ったままぐっと引き寄せられ、噛みつくようなキスをされる。 余裕のない表情の由良さんが、俺は嬉しくてたまらない。 さらに今からのプレイを思うと、期待を隠せずにはいられなかった。 この部屋の水槽には、水すら入っていない。入っているのは頑丈そうな檻が一つだけ。 その檻に入るのは、魚ではなく、人だ。 この水槽は、臨死調教用に作られたもの。鍵付きの檻に人を入れて逃げ道を奪い、その周りから水を満たしていく。 苦しくても檻の中ではどうすることもできず、ただもがきながら、相手が水を抜くのを待つしかない。 つまり、相手に命を委ねることで、深い忠誠を示す。それがこの調教の醍醐味である。 「一応システムを確認しておこうか。」 由良さんが説明書を読みながら、檻に鍵をかけ、赤いボタンを押した。 少しずつ中に水が満たされていく。もう一度赤いボタンを押すと水が止まり、赤いボタンの下にある青いボタンを押すと、排水が始まる。 俺は自分がこの中に入っていることを考え、ぞくりとした。 水が檻を全て覆ったとき、俺は呼吸ができなくなる。 そして由良さんの助けなしには、そこから出られないのだ。 …どうしよう、それって絶対に、気持ちいい。 「…くん、幹斗君?」 突然身体が揺さぶられ、自分がぼうっとしていたことに気がつく。 「僕が見たところシステムに不具合はなさそうだけれど、大丈夫?」 「はい。」 「本当に無理だと思ったら、セーフワードのかわりに檻を3回内側から叩くこと。 僕もそうならないように気をつけるけど、一応、ね。」 俺は再び首を縦に振った。 身構え過ぎたとも思うが、このくらい注意を払ってくれた方が、安心して任せられる。 「プレイの前に何か食べておく?」 「…いえ、来る前に軽く食べたので…。由良さんが食べるの、待ってます。」 「僕も少し入れてきたから、プレイの後にしようか。…じゃあ、始めていい?」 「よろしくお願いします。」 「幹斗、kneel(お座り). 」 圧を持った低い声が防音の室内に轟く。 俺は吸い込まれるようにして、由良さんの足元に跪いた。 「まずどのくらい耐えられるか確認しようね。耐えられなくなったら、左手で机を叩いて。」 そう言って由良さんは、水で満たした洗面器を机の上に置いた。 ちゃぷんと音を立て由良さんが俺の顔を水に埋める。 身体が危機を察知して反射的に逃げ出そうとしたが、上から強く押さえつけられた。 「…苦しい?」 尋ねられ、水の中でふるふると首を横に振った。 押さえつけられることでより不安が煽られるが、予行練習でそんなことを言っていても仕方がない。 どのくらいの時間が経っただろうか、だんだん息が苦しくなってきて、少しだけ息を吐こうとした。すると意図せず全ての空気を吐き切ってしまい、肺が新たな空気を吸い込もうとする。 わかっている。ここは水の中で、いくら吸っても水しか得られない。 けれど習慣とは怖いものだ。わかっているのに、鼻から、口から、思いっきり息を吸ってしまった。 …苦しい。 侵入してきた水を吐き出そうと、身体がもがく。咳を出そうとしても出すことができなかった。 苦しくて身体が暴れ、押さえ込む腕を、必死で跳ね除けようとするけれど、それでも由良さんの腕はびくともしない。 ふと、限界になったら机を叩けと言われたことを思い出した。 …でも、そんなことでは、由良さんに想いは伝えられない。 口から、鼻から、水が入ってくる。 もう無理だ、と思った時、やっと頭を押さえる力が弱くなり、俺は勢いよく顔を上げた。 「げほっ…、ごほっ、ぐっ… うぅっ…、げほっ…!」 新たな空気を少しでも多く取り入れようと、そして体内の水を全て吐き出そうと、身体は必死にもがきだす。 俺を襲うのは、全力疾走した後に酸素の薄い場所に連れて行かれたような、耐え難い苦しみ。 何度か呼吸を繰り返しやっと落ち着いてきたところで、“幹斗”、と由良さんが、プレイ中だとは思えない、雲のような優しい声で囁いてきた。 「…全身を潜らせたら、もっと苦しいよ。僕への忠誠はわかったから、水槽に入るのはやめておこうか。」 端正な唇が歪んでいる。 彼は以前、Subに苦痛を与えるのが苦手だと言っていた。なら、この行為は彼にとってしたくないことであるかもしれない。 …けれど俺は、ふと彼の瞳の奥に期待が宿っていることに気がついた。 そう、彼はDomなのだ。きっと彼のDom性はこの行為によって満たされる。Subの強い従属を嫌うDomはいない。 「辞めません。由良さんに委ねたい。」 はっきりと言ってのけると、負けたよ、と由良さんが苦笑まじりに言った。

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